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運動音痴と思い込み続けて30年

「まんが家になる」それが子どもの頃の夢だった。

小学生時分、身長が低く、線も細かった私は、力がなかった。そのうえ元来の引っ込み思案な性格が手伝って、周りの注目を集めたうえで瞬発的な力を必要とするような投げる・キャッチする・全力疾走といった思いきりのいる動きが特に苦手だった。

小学生の遊びの定番のひとつとも言えるドッジボールだが、私はもちろん嫌いだった。たった5分だか10分だかしかない休み時間に、チャイムが鳴ると同時にボールを引っ掴み猛ダッシュで運動場へと向かっていく男子たちを、宇宙人でも見るような気持ちで眺めていた。

絵を描くのが好き。
物を作るのが好き。
机に向かって創作に没頭する時間が何より至福。そしていつの間にか、「自分は運動が苦手だし、嫌い」だと思い込むようになっていた。

冒頭の「まんが家になる」という夢は、なんとなく決めたものだった。
休み時間(に留まらず授業中にも及んだが)にずっとラクガキをしている私を見て、周りの子たちは「まんが家になれそう」と言った。みんなに言われたから「なれるかな?」と思って、なんとなくそう決めていただけだった。言う方も受け取る方も、絵を描く仕事=まんが家しか知らない、ぐらいの安直なものである。
結局「まんが家」にはならなかったものの、私は商業デザイナーになった。近からずとも遠からずである。

小さい頃から音楽が好きだった。
まだ自力で歩けもしないころ、家で流れているマドンナのVOGUEに合わせ、掴まり立ちで体を揺らしていた。自我が芽生え始めるより先に、踊ることが好きだったらしい。
小学生時分には、語ると長くなるため詳細は割愛するが、自前のディスコで定期的に踊り狂っていた(気になって仕方ない人は過去記事ご参照ください)。

よく思い返してみれば多分、もともとの私は運動音痴ではなかった。
縄跳びが好きだった。竹馬が好きだった。幼稚園のころから木登りが得意だった。毎日のように父親と、日が暮れるまで野球ごっこやバドミントンをしていた。コツさえ掴めば、そこそこはできたのだ。

野を駆け、木に登り、動物と転げ回っていた頃の私と父

それなのに「運動が嫌い」だと思うようになってしまったのは、周りの目、失敗と嘲笑を恐れる気持ち、妙に高いプライド、きっとこのせいだ。学校教育の欠陥だとか大それたことを述べるつもりはないが、集団でざっくりと行う体育の授業の限界に弾き出されてしまったのだろう。

自分の中に苦手意識が生まれてしまって以降は、当然ながら花開くことなく、小・中・高とずっと体育の成績は5段階評価の2か1だった。

就職して以降は運動する機会もなく、したい気持ちもなく、自分は運動ができないのだと思い込んで生きてきた。大人になってから知り合う人には、当然のように自分のことを「運動は苦手で嫌いです」と紹介した。

音楽だけは、変わらずずっと好きだった。
人生33年目のある日、仲違いして久しい私と「運動」を繋いだのは音楽だった。

「才能を殺さないために」を社是としている、とある音楽事務所が、初心者向けのダンスのワークショップを主催した。「音楽に合わせて体を動かすとはどういうことか」「上手い下手は関係なく、音に合わせて動くことが楽しいと感じてほしい」というような趣旨のものだった。
運動には全くもって自信がない私だが、それくらい易(優)しいコンセプトなら参加しても許されるんじゃないか、と思った。

無事に当選してワークショップに参加できることになり、その日、私は人生で初めてダンススタジオで踊った。
上手かったか下手だったか、それは定かではない。上手いわけはないと思うけれど。
しかし、同じようにそこに参加していた子が「かっこよかった」と言ってくれて嬉しくなった。
何より、楽しかった。


ワークショップから3ヶ月後、私はダンスレッスンに通い始めた。
田舎に住んでおり近所にスタジオはないため、片道3時間かけて。

いくつかの体験レッスンに行ったが、その度にすべての先生から「本当に未経験?」と言われた。何パーセントかのお世辞は含まれていたかもしれないが、リズム感だけは人並み以上にあったし、自分でも、思ったより体が動く感覚があった。
マドンナで踊った0歳のあの日から、体の根底に流れるものは変わっていなかったらしい。

誰かに見せる目的もなく、毎晩のように家で基礎練をする。
遠すぎて毎週欠かさず行くことは難しいため、行けない日の分は動画を送ってもらって覚えてレッスンに通った。
先生は優しくて、ずっと飄々としていて、レッスンの雰囲気はとても良かった。そのかわり、悪い部分の指摘がほとんどと言っていいほどなく、「始めたばかりの初心者で上手く出来ているわけがないのに、こんな感じでいいんだろうか」と逆に不安になった。
自分が踊っているところを撮影してもらえた時には、その動画を何度も見返して、ダサいと思う動きを細かくすべて紙に書き出して家で修正したりした。

ダサい自分を客観的に見るのは恐怖の作業

昔から手先だけは器用で要領が良かったから、創作、手芸、フィギュア造形、動画編集などクリエイティブな分野に関しては、新しく「やってみたい」と決めて臨んだものは、すぐにある程度まで思い通り形にすることができた。
ダンスは、全然思い通りに踊れなかった。
30数年のなかで、一人で何かに真剣に向き合って努力したのは、これが初めてかもしれなかった。初めてこれだけ熱量を注ぐ先が、まさか運動だなんて。今でもそれをふと考えると、信じがたいと思う。

あのワークショップの日から365日後、私はステージに立った。

コンテストのように技量を競うものではない。スタジオ内の発表会なので、批評も無いし、プレッシャーも無い。ただ成果を披露する場である。
それでも私は真剣だった。練習中も、本番も、ずっと真剣だった。
ダンスが好きだから。音楽が好きだから。上手くなりたかったから。

本番のステージに立った瞬間、「経験の浅い人もいますが、短期間でもこんなに踊れるようになるんだ、というところを見てやって欲しい」という先生のコメントが読み上げられ、そのまま音楽が流れだす。
私は泣きながら踊り始める羽目になった。

この日、私の中で「何かが明らかに変わった」という感覚があった。
30余年、運動が「苦手で嫌い」だと思い続けて生きてきた。しかし、少なくとも「嫌い」ではなかったのだ。長い間、自分のことを分かってあげられないまま生きてきてしまったのかもしれない、そう考えると、なんだか取り返しのつかないことをした気がして、悔しくて、切ない思いがした。
同時に、今更でも気付けてよかった、とも。

実際は私含め3人でのパフォーマンス。肖像権の許可を取ってないので切り取らせてもらってます


今、思うことがある。
若いころに「自分が何をしたいのか分からない」という悩みにぶつかって焦る人は多い。でも、分からないままでも構わないと思う。というか、分からない人の方が多いんじゃないだろうか。いや、分からなくて当たり前とさえ思える。
10代や20代前半で、本当に自分のやりたいこと・好きなことに出会えている人は、幸運だと思う。

自分の目指したい方向が分からなくても悲観しなくていいし、焦らなくていい。アンテナだけは常に張りながら、とりあえず出来そうなことをしていけば、それでいい。
そうして生きていくうちに、何かに対して「やってみたい」という衝動に駆られる日が来たとき、迷わず動き出すためのパワーを常に溜めていてほしい。

就職、退職、結婚、鬱、独立起業などを経て30歳を過ぎ、ある程度「置きにいく」ことすら体に馴染み始めた今さら、自分の新しい一面に出逢い直すことになるなんて、想像もしていなかった。
私の実体験をもって、「こんなこともあるんだよ」と若い人たちに伝えたい。


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