令和6年10月31日(木)のあたりさわりないエッセイ日記
今年も10月1日から31日まで毎日エッセイ日記を書くことにしました。
本日のテーマ (愚痴が長いです)
今月も時間が過ぎるのが早かったです。来月が11月で再来月が12月。その次がもうお正月です。早すぎませんか。このままだと、死ぬ日に己を振り返れる状況にあれば、今までと同じように一生が短すぎたと言いそうです……というわけで、今回は過去から現況を綴ります。
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今月はクリヒフェスと称してエッセイを綴りましたが、後に続く人は皆無でした。無名がやることの結末って、こんなものです。でも、わたしのように誰ともつるまずに書いている人の方が実は多いはずです。
わたしは周囲に文章を書いていることは公言していません。昭和時代には言うとバカにされる環境にいたせいもあります。当時はSNSなるものはありませんでした。
コミケはありましたが、その類に参加する人や同人誌を創る人は軽蔑される環境にいました。わたしの家庭も創作的にはよくなくて、隠す必要がありました。若い人には信じられないでしょうが、オタクって言われることは不名誉なことだった。
ある時、ある人が某を受賞した時に、あの人はコネがあった、と言っている人がいました。その人は文章を書かない人でしたが、かなり信ぴょう性があり、言われても仕方がない状況でしたが噂自体は広がりませんでした。でもオタクはこれだから、という感じでしたので嫌悪感を持ちました。
ただ、本当に才能ある人は、コネがあろうがなかろうが関係がないことは断言できます。でないと、プロとして常に新作を生み出して読者を楽しませることはできない。
さて、わたしは23歳の時に初めて書いた短編で佳作をもらい、それで自分に才能があると思い込んでしまいました。ベストセラーを書いてそれでもって大好きなバレエの道に浸かりたい。
勘違いも甚だしいのですが、己の好きなことを見つけた娘を常に妨害する母親がいたので、余計に執着しました。当時は夢を追った童話ばかり書いていまして、我ながらかわいそうです。中高時代の作品は段ボールに入れた過去の教科書の下に隠してあり、引っ越しを機会にすべて処分しました。じめっとした原稿用紙の束を見て自分で書いたものなのに気分が悪くなりました。
童話という体裁をとっていても、読んで気分の良い作品ではなかったからです。捨ててよかったと今でも思います。ただ当時の思考の破片は今なお己の頭の中に巣くっており、時折取り出してはいずれ小説のネタになりそうだな、と思ってまた頭の中の隅にしまい込んだりします。
わたしは絵本もチラシの裏をホチキスで閉じて自分で作っていましたが、それも親に捨てられていました。親としては、外で遊んでほしかったみたいですが、外に行くとわたしは他の子と同じように、仲良く遊べなかった。耳が悪いのに、悪くないふりをさせて外で活発に遊んでほしいってかなり無茶だと思う。家で本を読むのは好きなのに、読書自体は親の思う良い子がすることなので奨励はされましたが、雨の降るときや、夜に読んでほしかったみたいです。
親に創作物を勝手に捨てられていた子どもっていますかね。親としては、わたしのための躾だと思っていました。
親はわたしに外交的で活動的な子になってほしかったようです。わたしが漫画を描き始めると、部屋に入ってこんな絵はダメ、横向きの絵がダメ等という。
わたしは知らずして夢の世界で一人遊ぶ術を取得しまして現在に至ります。
長々と綴りましたが、派手なことをしなくても、わたしのように己の思いや創作をそっとネットの海で一滴垂らすということはたくさんおられると思います。
今月は毎日、垂らしてみました。読みに来てくださって、ありがとうございました。
ふじたごうらこ 拝
最後の画像
クリヒフェス記念に置いておきます。
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読んでくださってありがとうございました。