寄附金差別のはなし
どうしても書きたいので書く。寄付金の多寡で差別をする側が私の母方の親戚で、された方が私。
個人的な話ですが平成最後の秋に私の母が倒れ、それがきっかけで今まで知らなかったことが判明しました。結論として母方の親戚とは縁を切ったのでこれを書いて迷惑かどうか等の配慮がゼロになりました。さあ行きます。
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私の実家は父がサラリーマンで、親戚の中では一番貧乏でした。母の実家も元は貧乏でした。母が高校にもあがりたくてもあがれないほどでした。母の二つ下の叔母はその状態から出世し、かつ財テク(←死語)で成功しており、当時は尊敬していました。
ある時その叔母と義叔母(正確には叔父の嫁)が家にやってきて某寺への改装のための寄付金を募ってきました。その時たまたま両親は不在で私一人が留守番でした。
「いくらですか」 と聞くと「二千円からです」 というので二千円だけ渡しました。給料前だったというのもあります。叔母は黙って領収書を書き、義叔母はいったん車に戻って私に大きな箱を渡しました。中を開けると薄い灰色をした瓦でした。そこに墨痕鮮やかに「風」 と書かれています。達筆だなあと感心していると以下のセリフが飛んできました。
「それは某寺で一番偉い僧侶が書いたものです。瓦によって文字が違います。値打ちのあるものなので大事にしなさい」
もちろんですとも。でも、そのあとのセリフもぜひ読んでください。
「私は二十万の寄付をしました。でも、もらったのは、あんたと同じ瓦。高僧のお考えでは寄付金の差別はしてはいけないの。あんたは二千円しかくれないけど、二十万や百万出した人と同じものがもらえるのよ、わかった?」
あきらかな嫌味でした。私は印象的なことは映像で記憶するので、その時の叔母たちの口調や顔つきまで思い出せます。寄付金差別をしない高僧のお考え自体は立派だけど、その寄付金を募る叔母のような人がいては台無しです。
……少ないお金で同じお礼をもらうのって、高額の寄付者にとっては、そんなに腹がたつものでしょうか。貧乏人に遠回しの嫌味をいうなんて、もってのほかです。あの嫌味な表情は二千円しか出さなかった私に対して大事なことを教えてあげようという好意は、まったく感じられませんでした。某寺の高僧様に限らず宗教的な寄付を募る側の偉い人は集金をする信者にそこをよくよく言い聞かせてやってください。
例の瓦は高僧には申し訳ないですが飾るたびに不快になるので捨てました。高僧にとっては叔母たちは覚えめでたいらしく、インド旅行にも同行させたといいます。そういうグループで大きな顔をし、その子供同志で夏休みなどで寺で合宿などもする。由緒ある寺なので信者にはよい家柄や地位ある人が多い。叔母たちは彼らと知己でそれも自慢。冠婚葬祭や個展で花を送られては記念撮影。そういうのがステイタスだと思っている。
母が倒れてから母の実印の不正使用、母の通帳を脱税に使う、知らぬ間に勝手に保険に入らされている……最初は祖父母の遺産相続の節税だと思っていました。父母や私の承諾なしに通帳操作をされるのは納得いかなかったのですが、まったく違った目的もあったと判明しました。私の実家を踏みにじってまで叔母がやりたかったことが、高僧の笑顔や著名人、家柄の良い人たちとの交流であったとしたら大成功です。寄付を募る側にとっては寄付金に綺麗も汚いもないのでしょうが、信者同士に寄付を募らせあい、低額寄付者を貶めさせるのは間違いでしょう。だって叔母のような性格が卑しい人が混ざり込んで、同じく高僧を尊敬していた私を追い落としたから。
ありがとうございます。