歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語 上板橋子育て地蔵尊さん VOL.19
お疲れ様です。
おはようございます。なんやかんやと19回目です。あと、本日、noteを立ち上げてちょうど一ヶ月たったらしいです。立ち上げてから、何を書こうかほっといたのでね、やっと19回目です。けど、100回までやろうと思うし、1000回までもやりたいし、できれば、お地蔵さんのことをFACEBOOKでご紹介してくださっている九州に宮原さんとおっしゃる方がいらして(https://www.facebook.com/groups/202236079889822/)
私が昔、秋田でAgと言う名の情報誌を作成していた時も、本当に応援してくださった鍼灸師さんで、
できれば、早めに、九州の宮原さんご夫婦にお会いして、九州のお地蔵さんの取材したいです。(るんるん希望中)
病気治して、全国のお地蔵さんの取材をさせていただき、いろいろな地域にいらっしゃるお地蔵さんがこの世に生まれた歴史背景や事情を私なりの観点になってはしまうのですが「おもしろ、おかしく、微笑ましく」をモットーに描き続けて行きたい所存ですので、どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。(選挙演説かよ~おいおい~~笑)
さて、今回のお地蔵さんは、板橋区のお地蔵さんです。19回目にして、私が今住まわせていただいている板橋区のお地蔵さんを取材する機会をいただきました。
今回はまず、大山から東武東上線に乗って上板橋まで行きました。東武東上線って本当に庶民的でほっとする電車です。東北出身の私にとっては、奥羽本線と同じDNAを感じますね。それで、ゆらゆらされて、上板橋まで行ってみました。ここにお地蔵さんがいないと、きっと一生利用することも無かったと思うんですよね。ここでの特別な用事が見当たらないしね。けど、数ある板橋のお地蔵さんで、なぜか、心惹かれて、行ってみたくなりました。はい。思った以上に楽しいお地蔵さんたちでした。
本当に貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございます。
では、ここでご登場いただきましょう。
と、いうか、地蔵堂の入口?
はい。とても立派な地蔵堂の入り口でしたので、まず、こちらから。それで、お地蔵さんってどこなの?って・・・思ってたら
「こっちだよん!!」って声が聞こえて中に一礼してから、一歩踏み入れさせていただきましたら、
「はい。こんにちは。よくぞ、いらしゃった。しかも、板橋区で一番最初にわたしらを選んでくださり誠にありがとうございます。この上板橋の住民を代表して心からお礼申し上げます」
と右側のお地蔵さんが声かけてくださった。
「はい。あ、、、いやいや~~もう、お礼だなんて・・・今まで、お地蔵さんからお礼の言葉をいただいたことないので、びっくりでござんす」
「ご自分では気がついてないでしょうがね。今、お地蔵さんの世界ではね、shibuは明日どこに行くのかな?って、もう大変な騒ぎになっているんじゃよ」
「あ、はい。そうらしいと・・・・。たしか、大田区のお七さんから聞いてました。富くじにまでなっているって」
「そうなんじゃ。で、今回はまさかまさかのどんでん返しのわしらなので、当たったやつは儲けただろうね~~~」
「ほほ~。そうなんですか?あ、えっと、前から気になってたんですが、富くじの商品っていったい何なんですか?」
「あはは。だよね~。わしらの場合はお金は必要ない世界なのでな。富くじの商品はそのエリアの特産品。ま、ふるさと納税にちょっと似ておるかな。まず、当たると特産品の一週間分が基本で、倍率が5倍だったら5週間分ってなるのじゃよ」
「ほほ~。で、上板橋の子育て地蔵さんの所の商品は何なの?」
「よくぞ、聞いてくださった」
「はい」
「わしらからの商品はさ、、、、むふふ」
「むふふ」
「わかるじゃろ」
「へ?わかりません」
「わしらを紹介している看板をよく読むのじゃ」
「よく読む?むむむ・・・・豆腐?ですか?」
「お、さすが、読解力のあるお方じゃ」
「いいねいいね~」(前のお地蔵さんと左のお地蔵さんもいいねって言う)
「そうなんじゃ、わしらを助けてくれたのが、宝田豆腐店主であった宝田半二郎さんじゃでな。今はない幻の豆腐をあたった地蔵さんにご進呈じゃ」
「ほほ~ここに詳しく書いてますね。・・・・地蔵が荒れ果てた状況にあったことを憂慮し、大正12年頃に店舗に隣接した現在の場所へと地蔵を移しました。さらに昭和10年頃になると、半二郎氏の子息である宝田源蔵氏と七軒家の木下仙太郎氏が中心となって、地蔵をお祀りする地蔵講 を結成しました。講員も三百名を数えたといわれています。
都市化がすすんだ現在も、子育て地蔵は、人々の素朴な願いを引き受ける地蔵様として、商店街を中心に大切に守られ、お祀りされています。また、4月から9月にかけての7の付く日には、地蔵堂の前の旧川越街道で縁日が開かれるなど、地域の活性化にも一役かっています。(掲示版より)」
「宝田さんのおかげ様で、今のわしらがいるんじゃ。しかも、その輪は300人まで広がったし、現代の町のシンボルキャラクターのまもりん坊のモデルにもなって、つながっている。お地蔵としてはこの上ない慶びじゃ」
「そうですね。豆腐っていうのも、いいわ~」
「なんでじゃ」
「うちの母がよく言ってたんですがね、『世の中渡るには豆腐で渡れ、豆腐四角く、柔らかい』って」
「どういう意味じゃ」
「えっと、四角い道理を通すには柔らかい表現でスジ通した方がいいんだよって感じですかね?」
「面白いこと言うね~」
「結構、私のママは面白い人でした。秋田の人で、私は勉強は何もでぎね~んだ~って言ってて、時々、鼻ほじほじして。笑。こういうと、かなり変な人みたいに聞こえますかね?あはは。お母さん、鼻ほじほじしすぎると、鼻穴大きくなるよ、って私が言うと、『あい、しかだね』って言う人で、けど、料理の腕は最高で、かつ丼なんか天下逸品で、あんなに美味しいかつ丼、母が死んでから、まだお目にかかってないです。う~母の思い出話するだけでも鼻水出て泣けるし~~お母さん~~カツ丼食べたい~~~」
「カツ丼が食べたいから泣いているの?」
「いや、あ、ま、カツ丼って最高じゃないですか?」
「だよね。なぜか事件の取り調べでも、カツ丼出て、『まず食え』って、で、犯人がその美味しさに感動して自供しはじめるとかさ~。笑えるけど、カツ丼はいいな」
「けど、やっぱ原点は豆腐だよね。大豆たんぱく大事っす。イソボラミン?イソボラボン?わかんないですけど、いいらしいし」
「そうなんだ。だからさ、今回の当選したお地蔵さんが幸せもんよ。なんたって幻の宝田豆腐店の豆腐じゃろ~喜んでくれる顔が目に浮かぶ~」
「で、当選の倍率はいくらだったの?」
「一億倍」
「へ?一億。じゃ、豆腐一億週分届くんだ~」
「あたりめ~よ。あはは、もう何も心配いらね~よな~」
「うん。多すぎとかは心配しないの?」
「あたりきよ。心配なんかしね~さ。ちゃんとやるって。当たったお地蔵さんは早速、豆腐田楽の店始めるね」
「あ、そうっか~」
「そっさ~大丈夫だって」
あくまでも前向きなお地蔵さんトリオでした。ちゃんちゃん
マップです。
上板橋商品街、町の人たちの営みが感じられて、良かったです。
あと、歩いて見次公園通りましたら、子どもやお母さんやお年寄りの皆さんが春を満喫してて、平和そのものでした!
愛だなぁーと思いました!
おまけ 上板橋駅近くの古本屋さんで見つけ、買いました。
太平洋戦争時代の風刺マンガです。敵国との闘いをウイット含めて描いてあって、勝つと思ってたんだろうな、、、いろいろ複雑な心境で読む私です。
見次公園の桜です。
どちらが好きですか?
見やすいのは上の桜ですよね。
写す角度で背景の映り込みが違うから、違ってみえるけど、同じ桜です。
人や物の見えるもの、印象って、背景や姿、かたち、言葉、衣服、、いろんな要素が絡みあって見える。
そして見る人によって受け取り方も違う。
もしかして、下の背景に電灯が重なっている桜の方が好きな人もいるかもしれない。
その感覚似ている・・・・
様々な条件でつながったり、つながりが切れたり
人の感覚はおもしろい。
AIはそこまで認知するのかな?
人って一つのことを思う瞬間に3000個以上いろいろ思うらしいです。
私もこの一文字、一文字書く間に、いろいろ思っています。
この思えるってすごいことだな~と思っていて、
で、描くとか書くとか、させていただけているってすごいな~と思っています。
今日は赤羽に行こうと思ってます。
今日も皆さんにとっても、よい一日でありますように~~~~。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。