歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.156 文京区大黒湯と護国寺一言地蔵と縛られ地蔵
おはようございます。の時間ではないのですが、おはようございます。
今朝、アメブロで私の抗がん剤の副作用について書いてまして
終わったあと、朝ご飯をしっかり取りましたら、眠くなって再び寝てしまいました。
非常にこの闘病日記も面白く書いているのですが、昨日は早朝に起き、ガンサバイバーの副作用対策でもあるのですが、多摩市にある、ある整形外科に行ってきまして、朝早くにある方に車に乗せてもらって伺ったので、気も使ってたのでしょう・・・
昨夜は帰宅したら、どっと疲れが出ていました。その割に寝つきも良くなく・・・悶々と時が過ぎ、、、気がついたら眠ってて、寝汗もかき、
しかし、朝になると目が覚めてしまうので困ったものですが、ほんの少しの睡眠でも頭はクリアなので、一本闘病ブログを書きました。
それで満足して食事取って、また、睡眠。
いろいろ書きたいこと、やまほどあるのですが、
今日はスピリチュアル的なことに焦点をあてて、「歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語」を書いてみたいと思います。
私を多摩市まで連れて行ってくださった方は文京区在住の僧侶さんで、ある企業を定年退職後に僧侶の勉強をし、仕事をしていらっしゃる方で、昨日は同じように体に不具合を感じる女性も一緒で、3人で病院まで行きました。
私の息子とお坊さんは居合での師弟関係で、息子が私の体の様子をお坊さんに教えてくれたことをきっかけに、ならば、あの整形外科での治療の一環として針と灸をするといいとご紹介くださる運びとなった次第。
ふいに、もう一人の女性を迎えに行く道中で、お坊さんは、息子のことを、褒めてくださった。
「僕はね、あの子はなかなか素直ないい子だと思っているんだ」
「あ、ありがとうございます。本当に私も優しい息子だと思っております」
私のこの感覚は両親からの受け継ぎと思っているが、ま、近頃はどうかわからないけど、よく自分の子どもやご主人の悪い点を人に嬉々として話す人がいたり、褒められると、そんなことないと謙虚なふりして褒め言葉を否定する場合があるが
それは、
私はできない。
だって、褒めてもらえると、単純に嬉しいから。ここは余談的解釈文を挿入してしまったけど・・・
僧侶の言葉に自分が返答している途中から、私は目から水っぽい温かい液体が流れ出てきているのを感じた。
「あ、やばい~最近涙腺強くなったはずなのに、、、、」と思いながらも、
「苦労させてきたし、今も私を心配しているであろう娘や息子のことを思うと泣けてきた」って感じの・・・感情。
夫が亡くなってから、私の両親にも夫の両親にもお世話になって、かつ、友人知人にお世話になってきた私たちだった。
そういう助けをいただきながら、私・娘・息子は3つの惑星でバランスとりながら、生きてきた。
陰では亡くなった夫がうまい具合に情報を地球に存在する私たちに伝達してきてくれて、私は人様の縁に助けられてここまで生きてこれている。
お坊さんへの返答する3秒くらいの間に、今までの自分の歴史的シーンが猛スピードのスライド展開されてきた感じだった。
そして整形外科に行くと、そこには中国出身の針灸の医師がいて、その方は東洋医学の知識も西洋医学の知識も持ち合わせている方で、お名前が、夫の苗字と一緒で、名前は一文字だけ違う人物だった。
ふと、今朝、歴史好きの友人にその経緯をメッセージすると
「パパがあなたを助けにきてますね」と言ってくれて
「あ、そういうことだったのか?」と
昨夜の夢の話にも繋がる感覚に今、再確認してつらつらと書いている。
お坊さんと駅でわかれる際に
「ご主人の分も生きる。少しでも長く生きる。それで行きましょう」って言ってくださったときも、
「はい」と言うだけしか言葉が出ない私だった。
昨日の話に戻ると、昨日は、整形外科での諸々を終え、電車と地下鉄に乗り、温活にむけて切り替えての行動をした。
吉方角は南東だったので、南東に位置する文京区の大黒湯に向かった。
大黒湯の近くには、護国寺があって、なんと歩き地蔵の第一回目は「護国寺の一言地蔵さん」であった。
今年の2020年3月3日に訪問している。世の中では3月3日というとお雛様の日であろうが、私にとっての3月3日は母方の祖母で家族のために陰で生き抜いた伝説の祖母の命日である。
しかし、この一回目の私の絵は、なんともま~剽軽であるね~。
かつ、この頃には156回も続けるとか全く思ってなかった。
そして、なんと私は一言地蔵におおいなる野望を願っていた。
「作家になりたい」と。
でも、156回続けて思うのは、実はそこではない感覚の私である。と、言うのは、書く場があること、そのものに「感謝」なのだ。
現代は、SNSで瞬時に自分の思いを書き、自分の思いがインターネットで一瞬で世界に発信される。なんという進化。
昔であれば書きたい人が何かに書いて押し入れに作品と言えるかのもろもろが、しまわれて、死んでから、世に出て、「なんだこりゃ~」になって人気が出るって流れなんだろうけど、現代社会は売れるとか有名とかは一瞬で起きる。火がつけば。
しかし私の場合は、ただ、ひたすらに書ける環境に自分がいられることに感謝と感動なのである。
それから、江戸のお地蔵さんからスタートして、今は温活と称して銭湯通いをしているけれど、この銭湯、実に江戸から通じる文化遺産なのでは?お地蔵さんもそうだけど、古の方々の思いがじんわりと詰まっている環境が銭湯で、
昨日伺った大黒湯さんもまさに地域の歴史と誇りの汗と涙と生きてきた人間の垢を流し切ってきた場所に、私は時代を超えて「裸で汗を流しにきている」
隣にもしかしたら、昭和の復興時代のご婦人もいらしているのか?
見えないだけで、いらっしゃる?
昭和の頃の戦後の復興エレルギーを継承している銭湯の今は、その頃はとても美人さんだったお嬢さんらが、その歴史を生き抜いてきたという自然の姿で嬉々として湯につかってて、
「あなたのことも入れてあげるわ~なんちゃって。私のお風呂じゃないのにね~」って皺皺のお肌の中の中心部に位置するキラキラ眼で、ニコってされると、入ろうとする私は「もう光栄です~」という感覚で・・・・
私が今、時間があって、noteやアメーバーで日々の思いを書かせていただくのは、意味があり、、、、そのために自分は生かされている感覚に今はいて、結果的に将来的にもしかしたら執筆で生計を立てることができるでいいのだと。
なんだろう。昔、自分で会社やって書いていた頃はいかに自分の雑誌が有名になって、みんなに読みたいって言ってもらえる感じにできたらと、いわゆる戦略と戦術も日々考えていたものだが・・・・・
今は、江戸文化の継承人で自分がここに暮らしているのだという立ち位置であると・・・・。
だから東京在住なんだ・・・と・・・。
しかし、文京区の銭湯組合は力が入ってて、小冊子がフリーマガジンでご自由にどうぞと置かれている。
すごい。
それから、夜、寝付けないな~と思いながら、列車がゴーゴーと走って去る音が聞こえた。
疲れ切ってたので、私は線路際のアパートに引っ越ししてきてたのかな?とも思っていたが、しっかり目が覚めるとあれは夢だった。
銀河鉄道の夜のようなイメージで列車にはパパも乗ってた。
ニコニコ手を振ってくれてた。
あ、あっちから、このこと、私の役割をおしえたくって来てたんだね。
整形外科で顔見て、安心したんだね。
私が自分の役割に目覚めたから、応援しがいがあるって思ってくれるんだね。
笑顔でいいんだね。
だよね。パパ。
宇宙からの愛が降り注ぐ昼。
さて、本日は今からお地蔵さんと温活してきます。
ありがとうございます。
※タイトルでは縛り地蔵についても入ってましたが、大黒湯の近くには縛り地蔵もございます。
銭湯とお地蔵さんって案外何か?の、意味がありそうですね~。