歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.142母子交通地蔵?交通母子地蔵?いずれ深い意味を知るの巻
おはようございます。
本日はなんとなく晴れてくれるのでは?の東京都板橋区の朝でした。
今は大分晴れ間も見えます。
昨日、ある方とがんという疾病について話をする時間をいただきました。
そして思ってのは、心から生まれる奇跡ってやっぱりあるんじゃないか?ということです。
母子地蔵の話からちょっとそれますが、
私の禿げ頭ライブラリーをちょっと上げさせてくださいね。
一度目の抗がん剤の時。
昨日、用事で巣鴨に行って、そう云えば、抗がん剤治療のために息子と同居しようとした時、まず、ホテルに泊まったんだな~。巣鴨のアパホテル。これから、抗がん剤でしっかり治そうって思ってたのね~。
それで、4月5月6月7月と一ヶ月約3週間の入院で抗がん剤をする。結構入院生活は、この抗がん剤の時は副作用も軽く、入院生活友達もできて、楽しかったな~。このクールでは、7月20日ころに最後の抗がん剤を終えて、なんとなく髪の毛が生えてくれたのが、10月20日だったので、3ヶ月で髪の毛が伸びました。
二回目の抗がん剤。今、思うと、この抗がん剤しなくても良かったのでは?と素朴な疑問も持っている私ですが、やってしまったし、それで気が付くことや出会いもありました。
一クール目。怖い経験すると思ってなかったので、入院してニコニコ。しかし、実際は一クール目からキツイ薬だった。でも、クリアした。クリアした自分の体へのご褒美と、自分はもしかしたら、前世尼さんだったのでは?と占いのお兄さんに言っていただき、また、長崎なんか行くと何か感じるかも?って言っていただき、単純な私は、そうかもな~って、長崎に行く。
そこでこのnoteのトップページに貼ってある天使の雲に出逢います。
その夜は何気に最後の夜なので、奮発して、地元の美味しい物を食べて帰ろうと、洋風居酒屋に入ると、話をしていくうちに、その方のお仕事を知るという、、、テファーレ長崎の監督、手倉森誠さんと、テファーレ長崎のスタッフさんと会話しながら、食事を共にさせていただいた。その時、監督は今年は絶対1部リーグに!とおっしゃってましたが、コロナの影響など、全く思ってもみかなった頃のお話。
スポーツで地域を元気に。の思いの実現、頑張っていただきたいし、このコロナって何?とも思う。。。
二回目の2クールに入る時の私。本当は怖いけど、根っから明るい方なので、こんな写真。けど、この時の抗がん剤点滴で、私は死ぬ思いもする。でも、生きている。禿げた期間が長く、これは、もう禿人生決まりだと腹をくくり、歩き地蔵をスタート。歩くという行動が体の免疫力を強化してくれたのか、5月2日になんとなく髪の毛らしくなってきた。前回と比べるとおおまかに見て一ヶ月の差がある。寒い時季だったこととかも関係あるけど、わかることは、心配しないで、ダメなら、仕方ないってことで、だって、人間はいつか死ぬ運命なのだからってことで、
それで、冒頭に書いているように、あう抗がん剤がないのであとは終末医療ですと言われ、けど、実際は足の裏は痛いけど、歩くと痛みが消えるという、血流障害の後遺症があるものの、わたしの場合は歩くと歩けるという、この部分に絶大な感謝だと思い、日々歩くことをしていて、、、、、
歩き地蔵もなんやかんやで、142回。
毎日更新もさせてもらえている。
なんと、自分でも驚いております。
ここで、自分が決して偉いのではないな~と。
自分の細胞君や、自分の周囲の皆さんが素晴らしく前向きな方々ばかりなので、励まされて生きている自分がいるということ。
本当に心から感謝。
ありがとうございます。
前向きスイッチ入れよう。
人間の細胞の皮を綺麗に並べるとテニスコート2枚よりも大きな面積なんだそうで、、、、今、細胞のブログを他のサイトで書いていて、ある本を読んで知りました。
え?って思われるでしょ?
こんな大きさがある。
すごいでしょ。
人間の細胞の皮って広いでしょ。細胞っていっぱいあるんですよね。だから、頑張れる細胞君に悪い細胞君をむしゃくしゃと食べていただくイメージで、めんこめんこすると、細胞君は、「わ~い。体の主の明美どんのため、バクバク食べる~」ってやってくれるらしいのです。
それで、それを信じ切れるか?
ここテストに出ますよ~~~~。
笑
さて本題に戻りましょう。
今回の母子交通地蔵はまたまた、思いの籠った地蔵さんです。
「昭和三十九年二月十七日長男順博当時早大三年生が帰宅途中の此の地でマレーシア国大使館ウォルターテイアトリ書記官の暴走する自動車に後方より轢殺された。
外交官特権の前には如何ともし難く母親幸世は日夜関係省庁を訪れて我が子の霊を慰めるよう嘆願したが聞き入れられないままに疲れ果てて全てを裁判に委ねてあくる年の一月十五日に忽然と我が子の後を追って逝った。
法は外交官特権の前に今なお不在であるがこの犠牲マーシャ交通事件は国会の問題となり外務省儀典室を動かし昨今外交官用車すべてに壱千万円の保険をつけることとなった。
ここに裁判を取り下げ恩(?)を超えて順博母子は地蔵尊となして供養して交通戦争下の交通安全を守りつづけるであろう。
昭和四十二年一月十九日
建立主 吉野 敏夫 」
とお地蔵さんの背後に記載されています。
では、ここで私が描かせていただいたお地蔵さんと会話してみたいと思います。
「お地蔵さん~~」
「はい。おはようございます」
「お地蔵さん。後ろの看板読まさせていただきました。大変でしたね」
「あ、はい。大変でした。母の方が苦しかったと思います。そして残された父も・・・」
「そうですね~。わかります。残された方の心のやり場、わかります。ちょうど、今年の春におきた、東池袋での高級官民のじさまの、母子の交通事故死と被ってしまって、、、、私は、あの事件に関しては今も怒りを感じるんです。残されてしまった夫の気持ち。やりきれない」
「そういうことです。それと同じようなことが僕の身にもふりかかり父が地蔵を建てることで平和への祈りに心を切り替えました」
「素晴らしい御父上でいらっしゃいます」
「はい」
「正直、六義園のレンガの壁を超えた所にお地蔵さんがいらっしゃるとは?」
「はい」
(もしかしたら、この家の主が建立者なのか?そこまで昨日は頭が回らなかったので、、、、いつか、お聞きできたらと思います)
「あ、ところで、shibuさん、あなたも結構がんの治療では難儀しましたね」
「はい~しました~。でも、いい経験だったと思っています。そして、今、状態がいい感じなので、自分の細胞君にありがとうの日々です」
「うん。すばらしい」
「きっと、これくらいの病気しないと細胞君のこと知らないままだったと思うので、視野が広がったことが嬉しい」
「すごい~」
「えへ。そっかな~。そうしないと、自分が苦しいからもあるんですよ。自分の着地点というかね」
「わかるよ。その着地点って発想。着地点を決める。軸足を決めると、次のジャンプしやすいものね」
「はい。そうなんです。あ、お地蔵さん、今、この世の中、コロナ騒ぎって感じてましたか?」
「う~ん。あんまり~」
「ですよね。私も自分の免疫を上げることに意識している生活しはじめて、日々、前より疲れないし、気持ちも前向きでいるので、気にしてなかったんですが、昨日、お腹すいて、巣鴨で回転寿司食べたんですね」
「うん」
「お店に入ったら、ソーシャルデスタンスで、カウンターの三つ分の席を一人占めできました。あと、お寿司、極力、感染予防で回転させないみたいです」
「あ、もしもし、寿司が回転って一体、どういうこと?」
「あ、あ~~そっか~お地蔵さん、昭和39年にこの世からバイバイしていたから、知らないのね」
「うん、寿司っていうと、めっちゃ高級で、何かの晴れの日のご馳走で、近所のお寿司屋さんから出前で、松・竹・梅とあって、ほぼ、うちの場合は中流階級家庭と言われていて、竹だった」
「中流階級家庭も懐かしい響き」
「なの?」
「ま、時代と共に、お寿司もスーパーでも買えるし、銀座なんかだとめっちゃ敷居が高く、お値段も高いお寿司もあるし、様々になりました。回転寿司にもいいの悪いのってあって・・・」
「そうなんだ~なんだかわかんないけど、興味ある~」
「あ、そうんであんすか~?では、今日は回転寿司でいいかな?」
「なになに?」
「いつも絵にご登場いただいた方に何か今流行りの食べ物を召し上がっていただくんです~」
「いいな~食べたい」
「では」
「私、イワシのお寿司大好きなので、イワシどうぞ~」
「イワシも寿司で食べれるの?へ~~~」
「美味しい。とろけるである~」
「でしょ」
「うんうん。また来たいです」
「いいですよ。この歩き地蔵が売れたらね~。笑」
「わ~い。今後はウニを食べたいです」
「おっと、一皿の値段上がるし~~~。ういっす。がんばります」
「わ~い」
と
言うことでとても切ないお地蔵さんだったのですが
やはり明るい方が好きなので、こういう終わりにしました。
笑
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後とも歩き地蔵をよろしくお願い申し上げます。
生きている限り更新します。重く感じないでくださいね。
明るく更新です。
ありがとうございま~~~す。
こちら、近頃はじめた免疫力を紹介するブログです。こちらもぜひ、ご覧ください。まだ、アメーバーブログを理解しきってませんが、楽しく書かせていただいてます~。