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覚醒#6

「えらいこっちゃ」
黒尽くめの少女がそう呟いた。背の低いビルの屋上を囲う、赤く錆びれた鉄柵に腰掛けながら、黒尽くめの少女は、ビル下の狭く暗い路地裏でのモメゴトを、愉快そうに眺めている。モメゴト?いいや、決してそんな生温いものではない。
血や涎やらで顔が汚れた学ラン姿の少年と、一眼見れば背筋の凍るような異形の怪物が対峙しているのだ。全く穏やかではない。尚且つ、てんで説明がつかない。兎角、これは異常事態である。
「なんなんだい、あの蟷螂みてーなバケモンは。この世のものとは思えない。あんなもんがタダでお目にかかれるなんて、こりゃ儲けたね。ドクロ仮面、あんたもしっかり見ときなよ」
黒尽くめの少女が、妙なあだ名で、隣に立ち尽くしていた男に呼び掛けた。男は、あだ名の通り、ドクロを模した仮面を被り、更にその上からパーカーのフードを深く被っていた。少女同様に、全身黒に染まっている。が、二人の異様さからして、恋人同士のペアルックなどとは思えない風貌だ。少女とは反して興味の無さそうに路地裏の光景を見下ろしていたドクロ仮面が、気怠げに口を開く。
「冗談言ってる場合か、黒子。よくわかんねえが、こいつはマズいぜ。お前があの時、しっかり依頼通りに仕事をこなしてりゃ良かったものを」
黒子。ドクロ仮面は、少女のことを確かにそう呼んだ。
黒子という奴は、先日、ある人物の依頼を受け、依頼対象の"ブツ"を処理しに神社まで足を運んだが、そこで思わぬ危機に遭い、"ブツ"を乱暴に扱った挙句、『大事に処理をする』という依頼を無視して、神社にそのまま放置していった、厄介な荒くれ者である。
黒子の仕事は、表沙汰にはできない死体の遺棄。
そして"ブツ"というのは、三島禍逗夫の死体。
つまり、黒子の犯した過ちが、今まさに黒子自身の目の前で起きている異様な光景を生み出した、といっても過言ではないようだ。
「だって死体が突然あたしを襲ってきたんだよ?こっちは死にかけたんだ。正当防衛でしょうが」
黒子はドクロ仮面に向けて、生意気に中指を立てた。ドクロ仮面はそれに腹を立てることもなく、平坦な口調で黒子に返す。
「だからって腹いせに仕事の放棄か。よりによって、依頼人が厄介な存在だ。殺されるのも時間の問題だぜ。また巻き添え食らっちまって、おれはうんざりだ」
「まあまあそう言いなさんなって。あたしから離れなきゃあ、あんたの身は安全も同然。あのババアどもの射程圏内は、たかが知れてるさ。それに、あたしがただ腹いせで死体処理をバックれたとでも?」
「それ以外に何がある」
「全く心外だね。君はどれだけ長いことあたしの相棒として過ごしてきたんだ?相棒のあたしには最低限の興味を持ってもらいたいものだ」
「今さら無理だ」
ぶっきらぼうなドクロ仮面の言葉に、黒子が舌打ちし、ドクロ仮面の目先を鋭く指差し、言い放つ。
「いいかよく聞け無能野郎。死体が動くなんてオカシな現象、見て見ぬ振りしてソツなく仕事をこなすほど、あたしはつまらん人間じゃないんだよ。あのババアどもは、絶対何かを隠してる。そんな匂いがプンプンしたね」
「おまえはそんなもんばかり嗅ぎつけやがる」
「おかげで大物にありつけた」
「大物だ?」
「あの死体を放置すりゃあ、メディアが取り上げるのは至極当然の流れ。問題はそこからだった。あのニュースを、あの死体が発見されたというニュースを見たババアどもが、いや、奴らだけじゃない、あの死体に携わる幾つもの"なにか"が、どう動き出すか。あたしはそれを、見たかった。あたしはこれを、見たかったんだ」
捲し立てている内に気が昂った黒子は、勢いよく手を振り、路地裏の光景へ、ドクロ仮面の視線を誘導する。その姿は、盛大に披露されるサーカスのショーを、我が自慢だと言わんばかりに胸を張るオーナーの如く、輝きを放っていた。
しかし、その輝きは瞬く間に失われる。黒子の目の色が変わった。それに気付いたドクロ仮面が、黒子の視線の先を追う。黒子とドクロ仮面は、二人揃って仲良く、息を呑んだ。
異形の怪物、蟷螂人間が、失神している。
酷く陥没してしまった壁の、真下で、顎から血を流し、失神している。
蟷螂人間と対峙していた少年は、跪いて、ピクリとも動かぬ怪物を、見据えている。
如何やら、蟷螂人間は少年に敗北したようだ。
黒子とドクロ仮面の妙なやりとりの間に、決着はついていたのだ。なんともマヌケな顛末である。
「驚いた…どうやったか知らねえが、あの学生、化け物を倒したってのか」
ドクロ仮面が思わずそう漏らす。黒子はそれに共感することもなく、じっと黙って、一点を見つめている。失神した蟷螂人間、ではなく、その蟷螂人間を見据える少年の姿を、ただ一点に。
静寂を断つように、すぐ近くからサイレンが聴こえてきた。ドクロ仮面が即座に振り向く。生まれ育ってきた環境上、あの聴き慣れたサイレンに敏感だ。ドクロ仮面が屋上から見下ろす。大通りの路肩に車両を停め、素早くドアを開けて出てきたのは、やや紫がかった黒一色の戦闘服に身を包み、短機関銃を装備した、呆国"粛清"機関の執行班四名だ。執行班はそのまま、路地裏へ駆け込んでゆく。もしや、あの蟷螂を捕らえに…いや、そんなまさか。ドクロ仮面は首を小さく振り、すぐに黒子に視線を向けた。未だ黒子は、馬鹿みたいに少年に釘付けだ。恐ろしい怪物を倒す程の強さに惚れ込んだのか。一目惚れというやつなのか。
「おい黒子。ひとまずここを離れようぜ」
うん、そうね、と、気の無い返事だけして、黒子は一向に動こうともしなかった。またこいつ阿呆なことを考えているな。ドクロ仮面はため息をつき、頭を掻く。もう一度呼び掛けられた黒子は、ようやく我に返る。
「気が済んだか。いくぞ」
「うん、そうね。お腹も空いたしね」
「違いねえ」
二人はそう言葉を交わしながら、屋上を後にした。下から聴こえてくる、執行班の兵士たちから発せられる、驚嘆と戸惑いの声は、二人の耳に届くことは無かった。


#眠れない夜に

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