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覚醒illegal #0

死体遺棄業者の午後は忙しい。
殊に神宿地域を拠点とするならば尚更だ。
神宿のあらゆる事件や事故は、日没から夜半によく起る(同音異義ではあるが、熾る、と書き綴った方が本質を露わに出来得るか。殺意や憎悪、苦痛や憂悶が織りなす螺旋のその様は、まさに熾火の如く轟轟と燃えあがっているのだ)。
それにより生じた哀れな不遇の屍は、首謀犯や関係者の手により一時保管され、一本の電話あるいは一通の電報で死体遺棄業者に引き渡される。業者はその依頼物を特殊倉庫にて一時保管し、適応した遺棄場所をサグり、管理人に連絡を入れて場所を押さえ、そうしてようやく午後、遺棄作業に取り掛かる。
午後に屍の処理を始めるというのは即ち、朝という時間帯を避けるという事を意味する。これは、神宿に限り根付いている禁忌である。
屍の処理には〈埋ル・沈ル・焼ク・解ス・食ス〉の五行が存在する。
それらを朝に行えば、神宿に眠る八百万の観音を揺り起こし、異界へ引き摺り込まれるのだと、組合の間で古くから云い伝えられてきた。
故に、死体遺棄業者の午後は忙しいのだ。

「ねえちょいと、たまにはあたしに筆を取らせてよ。だって今回は特別、なんでしょ?」

まあ、悪くはないだろう。
ということで、私は嬉しい不測のイトマを頂く。

はいはい皆様、ご機嫌よう。
あたしは黒子。黒子じゃないよ、黒子だよ。
何を隠そう、上の方で挙げられてた死体遺棄業者の端くれさ。
ああご存知かい、それはよかった。
これまで物語を運んできた書き手さんから筆を預かっちゃったから、あたしはあたしのやり方で、紙の上で踊るね。
インクを零して物語を台無しにしてしまわないように気をつけなくちゃあ。

なにを書いていこうかしら。
なんて頭を抱えたりはしないよ。
あたしの手元にはとっておきのカードがある。
予め言っておくと、今回はいつもの調子とは一味ちがうよ。

この物語が動き出した3月11日の、ほんの一ヶ月前。2月14日の午後のお話。
そう、午後さ。あたしはその日、仕事の合間にいきつけのドーナッツ屋に足を運んだんだ。其処にあるチョコレートドーナッツとキャラメルフレンチクルーラーがすごく好きでさ。毎週金曜は必ずひとつずつ購って缶コーヒーと嗜むことを日課としてるんだ。だからその日もおんなじようにトレーにチョコレートドーナッツとキャラメルフレンチクルーラーをぽんぽんと載せてさあてお勘定しようと浮ついた足取りで帳場に向かったんだ。
すると、帳場には先客がいてね、それがたぶん小学生とかそこらの子供で、ふくよかで柔らかそうな後ろ姿を見るに少女だろうと推測したんだけど、振る舞いやらボソボソ発してる声から、少年であることがわかったんだ。
少年はなんだかうろたえていてね、あちらこちらとポケットやらカバンの中やらをマサグっていたんだ。
その様子をひと目見れば誰だって閃くよ。ひょっとすると銭が足りない或るいは無くしたんじゃないかってね。
あたしは一刻も早くドーナッツちゃんたちの可愛い可愛い体にかぶりつきたかった。お腹が空いてしょうがないとかそんなハシたない理由じゃないよ。求めていたのは胃袋じゃない、舌の根さ。普段はうまく世を渡るために欠かせないこの饒舌は、この時ばかりはただひたすらに甘味に湿らされるのを動かずじっとお利口に待っていた。待ちきれずに震えていたんだ。あたしの身体を救えるのはあたしだけ。とっとと事を済ませて甘味にありつきたい。だからあたしは柄にも無いし性にも合わなきゃ身の丈にも合わないような真似をしちゃったのさ。
「やあ少年、なにかお困りかい」
少年は固まった。無理もないよ。突然背後から見ず知ラズの女に声をかけられちゃあね。少年はおそるおそるこっちを見た。ぎょっとした顔でまた固まったよ。無理もないさ。振り向けば悪戯な笑みを浮かべた黒尽くめの道化が立ってるんだもの。
「銭っこが足りないのかい」
目と目を合わせながらじりじりと顔を近づけてあたしは少年に訊いた。少年は固まったまま首だけを縦に振る。ちいさい顔の半分がマフラーにうずまってなんだか滑稽だったよ。マフラーはたぶんお母さんの手編みだろうね。どうせそうさ。あたしには理解る。
「お財布、おとした」
少年は、無償の愛が編み込まれたマフラーに隠れたお口でもごもごとあたしに伝えてくれた。帳場の台には、チョコレートドーナッツにさらにチョコレートのコーティングがなされてその上チョコクランチをトッピングしたダブルチョコレートドーナッツと呼ばれる垂涎物の贅沢品がひとつだけ載っけられたトレーが置かれていた。あたしは、むむむと思わず自分のお気に入りたちと比べてしまったけれど、すぐにそんなヤワでオロカな行為を悔やんだ。あたしにはあたしのドーナッツに於ける矜持ってもんがあるのだ。見損なわないでおくれよ、読者諸君。
それはさておき、贅沢品といえど数が一つならまああたしの財布の紐をゆるめてやってもいいかなってな大人の余裕で以て、あたしはあたしのドーナッツちゃんたちにおまけして少年が購おうとしていた分の銭っこもじゃらじゃらりんと払って店を後にした。誰もが振り向くくらいに名高い店名が書かれた瀟洒な箱を提げてあたしは街路樹の並ぶ石畳の通りをるんるんと進んだ。
そしたらね、おかしいの。あの少年ってば、あたしに付いてきてるんだよ。素知らぬフリでそのまま角を左に折れて身を隠してやり過ごせてしまえばいいものを、あたしはわざわざ足を止めて、尾行を見抜いていることをあえてわざとらしく教えるようにゆっくりと少年の方を振り向いたんだ。少年は顔色ひとつ変えずぴたりと動きを止めた。これがお遊戯ならあたしはいつ少年に背後を取られるか分かったもんじゃないね。素直に負けを認めざるを得ないよ。
「まだなにか用?」
「お姉さん、年いくつ?」
あたし驚いちゃった。まさかこんな幼くておとなしい男の子にナンパまがいな質問を受けるなんて。呆気にとられるあたしに少年はまっすぐな瞳で続ける。
「お酒も、買いたいの。でも僕、こどもだし、お金も無いから」
「あたしに購ってほしいってわけね」
少年はバツが悪そうにうなずいた。顔の半分をまたマフラーにうずめる少年にあたしはなんだかくすぐられた気分になっちゃって、その滑稽さに甘んじることにした。
「これからレディに年齢訊くときはもうちょい丁重にしなさいな。良い男になるヒケツだよ」
少年は小首を傾げた。あたしは大袈裟にそれを真似する。少年はムッとした。あたしはにやりと悪戯ぽく笑う。この手合いの子供はどうもからかいたくなるんだ。
あたしと少年はちかくの酒屋に入って少年が黙って指差した缶ビールを一本購って店を出た。その間あたしは神妙な面を被っていただろうね。酒とドーナッツ。この奇妙な食い合わせにあたしは懐かしさを覚えずにはいられなかったのさ。

「百人殺す。死体の処理を頼む。今日の午後二時。場所は四丁目の還元広場"祭壇"前。支払い方法はまた追って伝える」
朝方一本の連絡を寄越してきたのは、声の具合からしてなかなかに老いさらばえた爺さんだった。それこそ殺そうとしている人間の数だけ歳を食っていても不思議じゃない。要件だけ伝えると返事も待たずにブツリと電話を切った。番号は非表示。リダイヤルもできない。あたしは腑に落ちないまま午後を迎えて、いつものドーナッツ屋で機嫌を取り戻そうとしていた。そして現在に至るってわけ。

「すぐそこの広場。たくさんおじさんやおじいさんが住んでるところ、あるでしょ。そこの人に頼まれたんだ」
両手で提げていたドーナッツの箱と缶ビールを入れた白いビニール袋をなんとか片手に持ち替えて、少年はクリームパンみたいな手から指を伸ばす。ななめ後ろを歩くあたしに、少年にお遣いを頼んできたという相手の居場所を指し示してくれた。その広場は少年の拙い案内の通り、すっかり浮浪者集団の寝ぐらと化していた。おびただしい数のブルーシートやら段ボールやらで形作られた家とは呼べない家々が、ぐるりと広場を囲んでいる。異様な光景はそれだけに留まらない。およそ3メートルほどの石造の建造物が広場の中央にそびえ立っていた。
途中少年のお遣いに附き合わされて胸の内では遅刻を予期していたあたしだが、どうやら無事仕事の現場に辿り着いたらしい。陽射しの似つかわしくない薄気味の悪い姿を呈したその建造物こそが、老いぼれの言っていた"祭壇"なのだ。
時計を見る。時刻は約束の午後二時を回ろうとしていた。あと九分。三羽のカラスが祭壇で羽を休めていた。鳴き声は発さずともなにか言葉を交わしているようにも思えた。
「そういえば、お姉さんのお名前はなんていうの」
この少年はやたらとナンパまがいな質問を投げかけてくるから調子が狂う。こちらへ向ける瞳は濁り無くまっすぐだから尚更さ。
「あたしは黒子。黒子じゃないよ、黒子だよ」
ふうん、とだけ少年は返した。訊いておいてその反応、とあたしが不機嫌を表わそうとしたところに、僕は、と少年が名乗りはじめる。
「僕は邪、邪 捻」
「よこしま、ひねる」
丁寧に反芻するあたしに少年がうなずく。例の滑稽さにはもう慣れてしまっていた。
「邪じゃなくて、邪だね」
少年が小首を傾げる。あたしはそれを真似する。少年がむっとする。あたしは悪戯ぽく笑う。
「ひねる」
少年が自分の名を呼ぶ声に反応した。少年を呼んだのはあたしじゃなかった。少年の視線の先を追う。白装束の団体が列をなしてこちらを見ていた。あまりにも見事な白さを持つ人の壁だったものだから、あたしは油断していた。
「お母さん」
「探したわよ、ひねる。さあこっちへおいで」
群れの中に紛れてる、よれよれの黒髪をうしろでひとつに縛った中年の女性が、邪少年に微笑みかけていた。それは母が子に向けるものだとはどうにも思えなかった。周りに並ぶ連中と全く同じ笑顔をへばりつかせていやがるのさ。
邪少年はあたしの手を弱々しく握った。あたしは握り返すことも、振り解くこともしなかった。
時計を見る。時が迫る。のこり六分。
「きなさい、ひねる」
「ひねるくん、お母さんのいうことはきかなくちゃダメだぞ」
「そうだぞひねるくん、それでは良い大人になれない」
「ヒーローになりたいんだろう?教えてあげよう、その方法を」
「さあ、こちらへ来るんだ、ひねるくん」
いつのまにやら周りに委ねて口を噤んで、邪少年の母親はただ笑みを浮かべていた。まったく、厄介な奴らに取り込まれたんだね、きみのお母さんは。同情の余地もないよ。あたしは憐れみをひと匙含んだ視線を邪少年に配った。邪少年は未だあたしから手を離さない。
「おい、黒子」
あたしの名を呼んだのは、前列左側に並ぶ白装束集団の第34号あたりの若輩者だった(実際の番号なんて知ったこっちゃない、テキトーさ。まあイントネーションだけ間違えなかっただけでも褒めてあげようかね)。
「その子の手を離しなさい」
「掴んですらいないよあたしは。勝手に握られてるだけ」
「我々の邪魔をしにきたのか」
「冗談やめてよ。なんであたしが」
「立場をわきまえろよ。おまえは我々カンゲンの会に貸しがあるだろう」
「わかってるってば。なんにもする気ないって。どうぞご勝手に。連れて行きたきゃとっととそうしなよ。こんな子供一人に何人用意してんのさ」
「蛇林檎様が会いたがっている。一度くらいは顔を出せ」
あたしは返さない。
「さあ、本当のことを言え黒子。何をしにきたんだ。今度は何を企んでいる」
随分と警戒されてるね。ああ、おかしい。あたしは口元をひくつかせた。
「言え」34号が語調を強めた。「さもなくば」
「あたしは仕事をしに来ただけさ」
「仕事だと」
「あんたらには関係ない、たぶんね。まあでも」
あたしはおもむろに白装束たちの人数を数えはじめる。奴さんたちはあたしの不可解であろう行動に警戒したまま間抜けにもあたしに淡々とお勘定されていく。銭っこを数えるより幾分か面倒だった。
「なるほど」あたしはお得意の不敵な笑みを見せた。「確かに百だ」
時計を見る。のこり一分。
ブルーシートが揺れた。三羽のカラスが一斉に羽撃く。ひとりの浮浪者がゆらりと姿を現す。油でベタついた白長髪から、皺くちゃで黒ずんだ面が覗いた。あれじゃあ人生の負け犬そのものじゃないか。だがその眼光に宿す殺意に偽りは無い。あたしは込み上げる笑いを抑えきれず、ははっ、と声を出した。
瞬間、浮浪者は影となり、視界から消え失せた。
肉を切り裂く音が鳴る。あたしは振り向く。真っ白な人体の壁から血飛沫が上がり、壁を赤黒く汚していく。壁は悲鳴をあげて瓦解していく。壁が完全に崩れ落ちたとき、その地は赤黒い白で埋め尽くされ、大振りのナイフをぶら下げた浮浪者がそれらを見下ろしていた。
時計を見る。午後二時。約束の時間だ。あたしは目の前にいる依頼者に挨拶をする。
「元気そうでよかったよ、伝説の切り裂き魔Jさん。その身体はお気に召したかい」
「黒子」浮浪者があたしを睨む。殺意は無い。「こんなヨボヨボの身体用意しやがって。俺になんの恨みがあるってんだ」
「いまさら文句は受け付けないよ」あたしは肩をすくめる。「ところで、依頼じゃ百人って話だったはずだけど」そう云って、あたしは流し目でひとりの女を見る。白装束の生き残り、邪少年の母親だ。「のこり一人は、どうするの」
浮浪者も女を睨む。女の顔からは気色悪い笑顔が失われ、廃人のように虚空を見上げていた。浮浪者は何も言わず、次に邪少年を睨んだと思いきや、すぐに視線を外した。
「百人目は別にいる」
「おや、誰だい」
「俺だ」浮浪者は躊躇いなくナイフの刃を自身の頸動脈に当てた。「次の身体はマシなのを用意しておけよ、黒子。いや黒子か」
「まかせてよ旦那」
「魂が現世を彷徨っていられる時間は三日間。絶対遅れるんじゃねえぞ。次の輪廻で俺はもっと強くなれる。次こそ蛇林檎を」
「わかった、わかった」
「報酬はそのガキに購わせたダブルチョコレートドーナッツだ。受け取れ」
「つっても、あたしが払ったんだけどね」
「どういうことだ」
「まあいいさ。けど、いい釣り餌を見つけたもんだね、あんたにしては」
「俺もたまには工夫をする」
「見事だったよ。それじゃあ、またね。ばいばい」
「あばよ」
食欲のそそるような鮮やかな肉の音を立てて、伝説の切り裂き魔は老いさらばえた身体を惜しみなく一閃で切り捨てた。
あたしは改めて死体を数え直す。「百」ああ、こりゃ処理が大変だ。相棒をこき使うしかないね。

数時間後、日が沈み、夕闇が街を飲み込み始めていた。なんとか作業を進めて、ようやく最後の数体を車に積み込んで保管所に運ぼうって段階で、相棒を車内で待機させて、あたしは祭壇の傍らで一服しようと腰掛ける。
邪少年も、未だ其処に居た。黄色いベンチに母親を横たわらせて、その隣であたしの仕事風景をおとなしく眺めていた。たいしてキョーミもないくせに。
「いつまでいるのさ」
「お母さん起きるまで」
「ああそう」あたしは箱からダブルチョコレートドーナッツを死体で汚れた手で取り出し口に運ぼうとして、一度やめた。
「あんた、この街出なよ」
邪少年が小首を傾げる。あたしは邪少年を静かに見据える。
「カンゲンの会は半壊した。騒ぎに紛れて逃げちゃった方がいいよ」
邪少年が傾げた小首を元に戻し、あたしをじっと見つめる。表情ひとつ変えずに。そういえばあたし、こいつの笑顔を一度も見ていない気がする。
「あんたらになにがあったか知らないけどさ、別の街でイチからやり直したらいいよ」
邪少年は俯いた。たぶん、足りない脳で何かを真剣に考えているんだろう。けどこれ以上助言する天使の理性をあたしは残念ながら持ち合わせちゃいない。
「今回の件、報酬はきっちりいただくよ。いずれ必ずね。ツケといたげるから、やるべきことやったら、ちゃんとあたしに返しに来な」
邪少年は顔をパッと上げて、あたしに強くうなずいた。例の滑稽さなど忘れちゃうくらいな精悍な目つきが、あたしの悪戯な笑みを捉えた。
あたしはぷいと顔を逸らし、ダブルチョコレートドーナッツに齧り付いた。思えばこれが待ちに待った一口目だ。
「うんまい」
疲れた身体には甘味がいちばんの褒美だよ。なんせ死体遺棄業者の午後は忙しい。
あしたは休みだ。ぐっすり眠ろう。余裕があれば買い物にもいこう。虚子さんとこに遊びにいくのもいいかもしれない。
いつ死んだっておかしくない時代だ。
あたしはあたしを生きていく。
あたしはダブルチョコレートドーナッツのダブルチョコレートたらしめる部分を食いちぎり、嗤った。

おしまい。


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