誕生日に寄せて ~ひと・いのち・しぜん~
10月20日にまたひとつ、歳を取りました。
最近、パレスチナ・イスラエル問題を民族の歴史、宗教、国家、世界情勢の面から調べてみる機会があった。
縦横に複雑に影響しあう世界史は、その複雑さから苦手意識があったのだけど、今回のように、それぞれの領域・異なる立場からの視点で、自分が理解できたと言えるまで調べたのは初めてに近い。
奥が深いとかじゃなくて、そこには人がいて、民がいて、生活があり、願いがあり、憎しみがあり、信仰があり、思惑が幾重にも折り重なっていた。
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友人が勧めてくれた、星野道夫さんの「魔法のことば」で、アラスカに生きる動物や大自然や人々の暮らしを知った。
人類が、人類にしかできない営み ー 生きる以外の善なるもの悪なるもの含めたすべて ー を繰り広げるずっとずっと前から、クマの家族はそこで捕食し命を育み、春にはカリブーの群れは北上へ大移動する。
この記事を書いている今この瞬間も、命の営みはそれぞれの本能で動いている。
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僕は自分を探求することに意味を見出して活動をしているし、僕の生命は秩序を保って、エラーもその一部として機能している。
今日僕はまた一つ、"ふつうに" 歳を取ったけど、無限の知らないことが過去へと流れていって、過去が完成していく。
秩序か・・・
秩序を「完全な平和や調和」ではなく、「人間社会の複雑な相互作用によって生まれる一連のパターン」として見るなら、戦争や対立もそのパターンの一部だと解釈できるってことになるよね。
争いや葛藤、エラーと見なされる現象も、広義の秩序に組み込まれているものとして捉えることができるってこと?
自然界の秩序を見てみたら、そこには捕食や生存競争といった厳しい現実があるし、個々の生命体にとっては「エラー」に見える状況もある。
でも、生態系全体としては一種のバランスが成立しているよな。
この視点を人間に適用すれば、戦争や対立が混沌のように見えても、歴史や文明の長い流れの中では、これらもひとつの「秩序的現象」と見なすことができるってことなのか。
ちょっと待ってなんだこれ。
だからね、争いがものすごく悲しいし、「血」を迫害の対象にするとかもう全く理解が及ばないし、誰もがそれぞれの立場で平和を願っているし、自然は生きている。
僕も僕で生きている。みんなに感謝。ありがとう。
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