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こんな自分のままでたまるか
「名称・称号」が欲しいのではない。
今一番欲しいのは、自分に掲げた
『色とりどりの夢たちの実現、それに向かう喜び、happy』
だろ?
その体現者たれよ。
♦︎ 序
自分はある講座に申し込もうとしていた。講座の内容は申し分ない。確かに、大いに共感したのだ。
ドリームマップを描いたまではいい。いや、ドリームマップを作っていたからこそ、ジャーナリングで自分と対話する術を身につけていたからこそ、すんでのところ(※)で「待った」を自分でかけられたのだ。
自分と繋がって、本心から あんなにたくさんの「やりたい」「こうありたい」を掲げることができたのに、そのシートに書かれていない資格に行こうとした。このパターンはもはや犯罪級だわ。
♦ 犯歴エピソード0
大学3年4年にかけ、世間知らずのガキんちょは就職活動に対し斜に構えるどころか、その流れの外をふらふら漂って(さまよって)いて、パチスロで稼いだり、フリーター生活を謳歌する "一見楽し気" なバイト仲間とつるんでいたりした。
インターン?20社にエントリー?企業説明会?バイト先にリクスーでくる先輩とか見て、まったく自分事に感じることが出来なかったのでした。
ほんとになんで、なんであの時就職活動しなかったんだろ。別に脛に傷を持った人間でも無かったろうに。無知のひと言で片付けていいことだったんだろうか。意味わからん。
♦ 犯歴その①
あれは・・・大学4年生のときか、23か24か、ちょっと記憶があいまい。
小金はちょっとあってさ。ある時「なんか一発逆転したろかな」と、地方上級だか国家2種だか(公務員)の資格スクールに入塾。2か月か3か月通ってさ、学習内容がつまらなすぎてか、初めてまみえる法律用語に辟易してか、試験も受けずに辞めたんだわ。
1コマ90分だか120分だかの授業にも耐えられず。ほんとに全然頑張らなかったのね。
こんな動機不純が公務員になんかならなくて良かったよまったく。当時20万円くらいだったのかな、どぶに捨てた。「別にまたスロットで稼げばいっか」とか、金のありがたみ、重みなんてもんを露ほども理解していなかった。
♦ 犯歴その②
数年後、20代後半かな、今度は司法書士のDVDとテキストがセットになった教材を15万くらいだったろうか、どう考えても考えなしに「ぽんっ」と一括購入。ってやる訳ないじゃん。(当時の君は少しはやる気あったの?)
結局その教材は傷も折り目もなく綺麗なまま、数年後に何割引かでヤフオクへ。美品だったから高く売れたよ。軽傷軽傷。。。
つーかやっぱりアタマだけで目先のことを考える癖があったようなんだ。"何者か" になろうとしてはいたようだ。ただ何のビジョンも無かった。
一応ね、資格遍歴としては宅建、FP2級、1級建築施工管理技士ってのを取得してます。これらはちゃんと取りに行ったやつ。仕事の延長だから特に精神的負担もなく。
♦ 犯歴その③
そして、4年ほど前から足掛け3年で中小企業診断士に挑戦し、二次試験を2回受けてギブアップ。トータル2100時間と支出は30万くらい。
動機は今までよりはまともで、①純粋に経営のアレコレや戦略を学びたかったから。②学びを組織や顧客対応に活かしたかったから。③独立???
しかし、いち中小企業診断士としての展望は描けてはいなかった。
この勉強を通して得るものは確かにあったが、企業全体の動きを見通す視野、論理的思考力など。
しかしこの時点でもまだ対外的なステータスへの渇望感があったことは否めない。
♦ 挫折期間
2回目の二次試験は実を結ぶことは無かった。ここから挫折期間が始まる。
『俺はこの先どうするのか?』
この現実に直面して、やっとなんか、盲目的に "何か" を追い求めることの無意味さ、虚しさを自覚したのだ。
やってる奴はそんなもん(肩書)なんか無くたってやるんだよ。分かってんだよそんなこと。
『凄い自分てなに?』
「こんな資格をお持ちなんですね、凄いですね。」
「こんな役職なんですね、凄いですね。」
「妻よ、俺はこんなに凄い男なんだぞ。」
違うんだよ違うんだよ。
そんなこと全然大したことないんだよ。
全く本質じゃないんだよ。
自分で道を切り開けること
自ら結果を出すこと
自分を信じること
大事なことってこれでしょ?
つまり俺の人生は、これらの本質から目を逸らし続けていた人生だったんだ。
そして俺は、次のシンプルかつ究極の質問と常に対峙することになる。
beingの質問
『ほんとはどうなりたい?』
doingの質問
『ほんとはどうしたい?』
頭で考えても分からない質問なんです。
だから、ずっと心に蓋をし続けて、その場凌ぎの克服だか逃避だかで人生生きてきたやつには分からなすぎて苦しいんだわ。
♦ 自分を知る、そして
答えはね、その蓋をしている心にあったよ。そしてもう一か所、その答えは『外の世界』にあった。
心が本当は何を望んでいるのかを言語化して、分かった気になっている人って多いと思う。
「あぁ、自分はこう考えているんだな、だからこれをやったほうがいい。」
または「だから出来ないんだ」って理解して終わるパターンね。
理屈を知っても結局現状は変わらないわけで。だから分かるよね。次のステージは自己主導的な行動。
【自己主導的な行動】と【自己受容の学習】を繰り返しやっていくことで初めて本質的な変化が訪れるんだな。
今まで何度もひとりで悶えてきたよね。間違えてきたよね。
(俺の好きな漢字「悶」が出てきたよ。「心」が「門」で蓋をされている、見ているだけで苦しくなる漢字です。)
だからさあ、夢、ありたい姿、やりたいこと、誰かとやりたいこと、社会でやりたいこと、願いごと、なんでもいいんだけど、
『【自己主導的な行動】と【自己受容の学習】サイクル』の実践が、先ほどの究極かつシンプルな設問の答えに到達する大事なプロセスであり鍵なのだよ。
beingの質問
『ほんとはどうなりたい?』
doingの質問
『ほんとはどうしたい?』
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※実のところ、「すんでのところ」ではなく・・・講座の決済ボタンまでポチッとしてしまっていたのでした。担当者の方、ご迷惑をおかけし本当に本当に申し訳ありません。危うすぎでしょ!
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