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BUMP OF CHICKEN『プラネタリウム』が四畳半でしか展開されないのエグすぎるな。
プラネタリウムと聞けば、このような室内でありながらも開放的なイメージが強い。広がる宇宙空間とアナウンスは、それこそ別空間へ連れて行ってくれるような印象がある。
上述した劇的な体験ができるということもあって、歌の題材にされることも多いプラネタリウム。
一番有名なのは、大塚愛の『プラネタリウム』だろうか。
夕月夜 顔だす 消えてく 子供の声
遠く遠く この空のどこかに 君はいるんだろう
歌い出しから壮大な世界観で描かれる『君』との恋愛模様。
行きたいよ 君のところへ 今すぐ かけだして 行きたいよ
まっ暗で何も 見えない 怖くても大丈夫
宇宙を模倣したプラネタリウムを冠するのも納得である。
あとは、いきものがかりも『プラネタリウム』という題名で曲を出している。
満天の夜空から はぐれたホウキ星を
まるで僕らのようだと 君は優しく微笑(わら)った
歌い出しの壮大さは大塚愛に負けず劣らずだが、いきものがかりのリリックは切なさを想起させる。
悲しみの夜を越えて 僕らは歩き続ける
願いは 想いは 果てしない宇宙(そら)を夢見てしまうから
こちらは過去の出来事であることを色濃く主張する歌詞となっており、ドラマティックな音楽の力もあって、よりプラネタリウム色が強いように感じられる。
一方、その頃。
BUMP OF CHICKENは、といえばである。
彼らも『プラネタリウム』というタイトルの曲を出しているのだが、この歌い出しを是非聴いてほしい。
四畳半を拡げたくて 閃いてからは速かった
狭すぎないか。
四畳半である。
”夕月夜”とか”満点の星空”とか、他の曲は言ってるのだ。
四畳半て。
次の日には 出来上がった 手作りプラネタリウム
しかも手作りだった。
自作のプラネタリウムを四畳半で広げる歌い出し。
なんて、ミニマムなんだ。
科学の本に書いてあった 作り方の他にアレンジ
すごく個人的な世界観。
四畳半で手作りのプラネタリウムを制作する歌。
科学の本て。あんまり聞かない言葉の並びだよな。
だが、私はこんな自分ごとの色が強いBUMP OF CHICKENの『プラネタリウム』が大好きだ。
このような自分の世界すぎるリリックから、どう展開していくかといえば。
実在しない穴を開けて 恥ずかしい名前付けた
さすがの一言。
一気に切なげな気持ちを抱えた誰かの心情へ早変わり。
心の中にしまっている感情、奥にこもっている想い、それらを壮大なイメージを持つ『プラネタリウム』という題名にして歌い進める様。
素晴らしすぎるな。
消えそうなくらい 輝いてて
触れようと 手を伸ばしてみた
一番眩しい あの星の名前は
僕しか知らない
そして、サビのメロディラインと詩よ。
なんて切なさを想起させるんだ。
それも、関係性というよりはポツネンとした自意識の中での切なさである。
ある意味、深淵も深く、ある意味宇宙よりも果てが見えないとも解釈できるよなあ。
”僕しか知らない”というのが、また良い。
僕だけなんだよ。
だが、その孤独を掬って歌にするのがバンプ、特に藤くんの、優しさだったりもするのだろうな。
近付いた分 遠ざけてて
触れる事は 諦めてた
背伸びしたら 驚く程容易く
触れてしまった
ここのフレーズなどは、手作りのプラネタリウムでしか起こり得ない展開である。
通常のプラネタリウムなら触れられることなんてないのだ。
まして、窓を開けた夜に広がる宇宙となれば、ただただ見上げる他ない。
けれど、手が届いた。
届くことの切なさを描いているのが本当に巧みだ。
ここに広がる世界は決して本物ではない。
けれど、抱える感情は本物。
つまり、解決や折り合いには、四畳半の外へ向かう他ない。
届いてしまってからがどうするか、なのである。
個人的には”触れてしまった”のやってしまった感も好き。
やめとけば良かった
当たり前だけど 本当に届いてしまった
この星は君じゃない 僕の夢
本当に届く訳無い光
でも 消えてくれない光
そうなんだよなあ、消えない光ってあるよなあ。
叶わないとか、無理とか、そんなこと分かりきっているのに、どうしてか手を伸ばしてしまう光のような存在。
四畳半の窓を開けて 見上げれば現実が巡る
実在しない星を 探す心が プラネタリウム
そしてタイトルの回収。
非常に鮮やか。
この一人ぽっちでしているこれらの流れ、一連の所作こそがプラネタリウムと名づけられるんだ。
そして歌の終わりは、
いつだって見付けるよ 君の場所は
僕しか知らない
僕しか見えない
知らない、いや、僕だけにしか見えない光。
星なんだ、という言葉で締めくくられる。
自分の世界の中の深淵を、まるで光を探すプラネタリウムだと名付ける行為には、きっと助けられる人も多いだろう。
私も、その中の一人だ。
BUMP OF CHICKENは一貫して、弱きものや小さきものへ向けられる視線が温かくて、繊細で、とても優しい。
四畳半のプラネタリウムは狭くて手作りだが、名前のつかない様々な光で溢れている。