短歌、俳句
気まぐれに作りながらも、ことに自分の憂鬱は晴れない。
しかし、どこかそ憂鬱が、心地よく思う。
明るいほうがいいとは思うのである。
イスラエルや、キリスト教についての知識はあまりなく、とりあえず、本などで見知った知識から絞り出してるだけである。あまり調べてない。
だとしても、多くの人がそうであるように、幼き頃見たテレビで、みた海外の風景は、不思議と心に残り、不思議な安らぎを、与えていると思う。
短歌
夕沈む、ヨルダンの川を物売りの老婆を乗せた船は過行く
花売りの少女は、歌を歌うだけ、セットの世界、偽の現実
身を清め、修道女は祈りをささぐ、古き白壁は冷たいばかり
温めたミルクの甘み啜る夜を少女は永遠だと思うだろ
巡礼の女の列見送る夕にイエスの霊の実在を願う
俳句
自分の心の中に、俳句がどのような位置にあるかと言えば、懐かしさや、心安らぐ情景よりも、自分の心の寂しさを吐露する、ためのある種の逃避と言える、どんなに詠んでも、寂寥感は消えない。
鯉の影、沈んでゆきし、貯水池
船底を、魚影が過ぎゆく、過去の夏
爪たてる肌に血に滲む、夏の恋
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