幸せの在り処
「しあわせになる義務はない」
糸井重里さんが結婚式スピーチで話す内容だそうです。
何段階にもひも解くことができる表現だと感じ、
そこから「幸せ」について綴ってみます。
私にとっての幸せは
・自分が大事にしたいことを明言できること
・自分で選択できること
この2点であると思っています。
幸せは「満たされている」状態でなく、
「理解している・選択できる」状態
だと思うのです。
ん?となる方いれば、
そんな方にこそ是非読んで頂きたいです。
幸せって、高学歴、高収入、結婚などなど
「満たされてる」ことじゃないですか?
と思う方もいるでしょう。
高学歴・高収入・結婚を
幸せの条件にしてる話に耳を傾けると
・みんなにとって同じものが幸せ
・そこに辿り着けばずっと幸せ
の成分が含まれていて、
そこに違和感があるんです。
(もちろん全員ではありません)
例えば高収入ひとつとっても幸せになるのは、
銀行口座に沢山諭吉が並ぶからはないですよね。
諭吉が並んだことによって選択肢が広がる、
経験したことから幸せを感じる
のではないでしょうか。
とすれば金額もどのように幸せになるかも
「人による」ことになります。
さらに、その金額をかけた体験、
例えば「高級な食事」を幸せだと思っている方、
それが毎日食たべられる収入になったとしたら?
そうすると幸せのはずの高級な食事は
米やパンと一緒です。
毎日の食事としての幸せはあると思いますが、
「高収入」になることでの幸せはなくなる。
高学歴、高収入・・みたいな幸せは
辿り着くことができず、
どこまでいってもそれ以上を求めるものです。
「辿り着けば幸せになる」って危険な考えなのです。
手に入ることが当たり前になった瞬間それは消えるので。
実際お金持ちになった人が幸せ感じてない
エピソードには事欠かないですよね。
じゃあどこに幸せがあるのか。
例えば寒いと温かさに喜びが加わりますね🍲
寒さによって自分の幸せを感じるラインが明確になります。
寒くない時にもその温かさはある、
でも温かさに幸せを感じることが出来ていない。
そう考えていくと、
幸せとは「なる」ものでなく
「辿り着く」ものでもなく、
「気付く」ものなのです。
ここで頭書の言葉に戻ります。
「しあわせになる義務はない」
しあわせに「なる」この言葉には、
「辿り着く」ことを目指している表現です。
もう既に自分には幸せがあって、
それに気づくことが大事と思っている人は、
しあわせに「なる」という表現は使いません。
「気付く」のでなく
「なる」「満たす」を求めていると
一生満たされることはできません。
しかもそこに「しなければならぬ」
という義務感が入れば、
余計に幸せから遠ざかります。
ということで幸せとは、
・自分が大事にしたいことを明言できること
・自分で選択できること
この2点ではないかと思うのです。
寒い時に温かさがじんわり広がる感覚。
これを暑い時にも思い出せて、
温かさに感謝ができる人は、
きっと幸せを感じていると思います。
どこにも探しに行かなくていい、
顕微鏡で見るプレパラートは変えなくていい。
今映しているもののピントを変えていけば、
視界に幸せが入ってきます🔬
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!