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読書ノート 「精神分析における話と言語活動の機能と領野」 ジャック・ラカン 新宮一成訳

 「訳者あとがき」で新宮一成が言うように、ラカンの揺るぎないテーゼ、これを私も信奉している。それは、

「無意識は他者の語らいである」ということ。そしてまた、

「無意識は一つの言語活動として構造化されている」が定義されている。まあ、これにつきるなあ、ラカンは。


面白いエピソードがあったので記す。ギャグですな。


 (ウパニシャッド第五講の最初のブラーフマナ)デーヴァたちと人間たちとそしてアスラたちが、プラジャーパティのもとで見習い期間を終えたとき、彼らはプラジャーパティに、このようなお願いをした。「我々にお話ください」

「ダ」と雷神プラジャーパティは言った、「聞こえたか?」。デーヴァたちは答えた。「ダームヤタ、自制しなさい、とおっしゃいました」。

「ダ」と、雷神プラジャーパティは言った、「聞こえたか?」人間たちは答えた。

「ダッタ、与えなさい、とおっしゃいました」。

「ダ」と雷神プラジャーパティは言った、「聞こえたか?」。アスラたちは答えた。

「ダヤドウヴァム、許しなさい、とおっしゃいました」。

聖典が続けて言うように、神の声は、ダ、ダ、ダという雷鳴となって、従順、贈与、許し、と聞こえるのである。

 プラジャーパティは、皆にこう答えていたのだ。「汝ら、われを聞けり」

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