読書ノート 「アジアを生きる」 姜尚中
姜尚中さんの本を読むのはこれが初めて。1950年生まれの東大卒の政治学者、在日韓国人という出自を基礎に、東アジアの共存と平和を誠実に考えるその姿にはリスペクトという言葉だけでいいのかと悩んでしまう。ここでは文中にあるウォーラーステインと姜尚中の敬愛する横井小楠について記載する。
【ウォーラーステイン】
イマニュエル・ウォーラーステイン「近代世界システム論」
「近代世界システム」とは、「長い16世紀(1450年ごろから1640年頃までの近代の揺籃期)」に西ヨーロッパで生まれ、その後全世界に広がっていった「世界経済(システムとしての資本主義)」を意味する。ウォーラーステインの「近代世界システム論」は、それまでの社会科学の領域で行われてきた様々な議論のエッセンスを吸収して作り上げられたものだが、その中でもアジアを見るときの非常に重要な論点として、次の四つが挙げられる。
ひとつは、「従属理論」世界システムとしての資本主義のなかで、欧米の先進国と発展途上国との間に支配と従属の構造が成り立っている。経済学者フランクとの共同研究を行うなど、ウォーラーステインはフランクから強い影響を受けている。
「ウォーラーステインの『近代』500年世界システムを規定する諸特徴と同じ特徴が、少なくとも5000年遡って同じシステムのなかに見出しうる」と述べ、その中心は中国であったと主張している。二一世紀にはアジアの復権が起こるとも。
「不等価交換」(サミール・アミン)
二つ目の要素は、マルクスが『資主義的生産に先行する諸形態』で述べた、いわゆる「アジア的生産様式」についての論争。
三つ目の要素は、資本主義の起源をめぐる移行論争。封建制から資本主義への移行の「内的要因」=「生産関係」の変化だが、なぜそうした移行が可能になったかということは明らかになっていない。
ヨーロッパ中世の始まりは、イスラム勢力が地中海を制覇した八世紀、中世から近世にかけて地中海世界からヨーロッパ内陸部へ、そしてイギリスへと経済システムの中心が移っていった。
四つめの要素は、「全体史観(ホーリズム)」。歴史を個々の国や人物ではなくシステムという「全体」として捉え、数百年単位の構造的な時間でその変化を描く。
ウォーラーステインは、「全体史観」の視点と、長期持続の「構造的時間」と好況・不況を繰り返す資本主義の「循環的時間」に関する考察を「近大システム論」で展開している。
ウォーラーステインの「近代世界システム論」の基本的な視角は、ある地域が「遅れている」「進んでいる」かどうかにあるのではなく、民族や宗教、エスニシティの問題を、世界システムの客観的な構造とプロセスの中で取り上げ、それらの歴史的意味を相対化し、全体的な連関の中に位置づけ直すことにあった。
「中核」「周辺」の概念。欧米が「中核」、最初の「周辺」が東ヨーロッパであった。
イギリスがプロテスタンティズムの禁欲的エートスによる労働倫理に駆動された「中産的生産者層」を通じて「封建制」から「順調」に「資本主義」へと移行していくプロセスと、「周辺」に組み込まれたアジア(特にイギリスの植民地となったインド)が経済的分業体制の中で「前近代的」と思える生産様式に釘付けにされるプロセスとは、表裏をなしていたことになる。
近代の外部を認識対象とする文化人類学と東洋学は、明らかに「近代世界システム」の分断状況を知のレベルで反映しているのであり、ウォーラーステインは、そうした知の分断を超えて、単一の「世界システム分析」を構築すべきであると唱えている。
「文明が野蛮を作り出した」
「近代世界システム」は、外部を絶えず「内部化」していくとともに、不均衡な階層構造の中に包摂していくシステムである。
西洋とオリエント、普遍と個別の二項対立を批判。
サイードが「オクシデンタリズム(西洋人気質)」と呼ぶものを、ウォーラーステインは「ヨーロッパ人によって近代世界に押しつけられた知的枠組みの設定を完全に受け入れてしまっており、認識論的諸問題を、全体としてふたたび開くということをしていない」「二項対立」だと批判している。
ヘゲモニーの転換期。オランダ、イギリス、アメリカ、次は?
普遍的と考えている「ヨーロッパ的なもの」が揺るがされている。
「文明の衝突」西洋対アジア・イスラム
グローバルな普遍的価値をわれわれはこれから創造していかなければならない。そのような\グローバルな認識には、具体的な基盤、すなわちわれわれがこれまで築いてきたよりもはるかに平等主義的な組織が必要である。
グランドナラティブ(大きな物語)の必要性
普遍を独占しているという意識のリベラリズムに対抗し、分断を超えて異質なものと共存していくための方策は、もとより排外的なナショナリズムではなく、ウォーラーステインが「われわれが創造すべきもの」とした「グローバルな普遍的価値」にこそ求められなければならない。では、その可能性はどこに見いだせるのだろうか。
【横井小楠】
横井小楠(よこいしょうなん)(1809-1869)
公的な権能
勝海舟をして「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た」
「吉田松陰的なもの」のカウンターパートとしての横井小楠
横井は、ヨーロッパ近代の国家原理に侵略主義が内包されていることを見抜き、儒教本来の「仁」の思想という観点で世界の政治を根本から改めるべきだと確信していた。
ナショナリズムを「私」であると否定し、「公共の道」に優先させてはならない。
「公」の「道」を「大義」という言葉で表す。
皆同じ人類
世襲制の廃止
実学 「実学党」
明治2年(1869年)、横井小楠は攘夷論者に襲われて61歳で命を落とす。
松蔭のナショナリズムには「帝国主義の前期的形成」すなわち対外的な膨張=侵攻の勢いが隆起しつつあった。
横井小楠の系譜…中村正直、宮崎滔天、幸徳秋水、中野重治、柳宗悦、石橋湛山。胎児性水俣病の発見者である熊本大学医学部の原田正純氏も横井小楠の実学思想に影響を受けている。石牟礼道子の思想。
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