読書ノート「法然対明恵 鎌倉仏教の宗教対決」 町田宗鳳
法然は、死の向こうにある平安を信じる来世主義、「死の座標軸」に位置し、人間の行為が全て無効になる死の前ではすべてが平等である、という「死」の懐の深さに気づき、超越的死の表象である阿弥陀仏への無条件の帰依が、口称念仏という最小限の行為において表現されている限り、絶対の救いが実現すると確信した。
翻って明恵は、現世主義である。「生の座標軸」に位置し、この世の生に対して積極的な価値を見出そうとし、この世で修行と学問に励むことで悟りの境地を会得できると信じた。死後の世界を語らなかった釈迦と同じ目線で生きた明恵は、真理の実践としての日々の行動に細心の気配りをした。
彼の信念は強固であり、当時の人々に重くのしかかっていた「末法の世」という時代思潮すら、彼の世界観に影響を及ぼすことはなかった。
密教と顕教の違いと比較することも出来る。空海、最澄、円仁、円珍、安然、そして明恵の密教の系譜はその専門性・高度な修行から支持を広げることなく縮小し、かたや法然、親鸞、道元と続く顕教は、その後広く現代にまで受け継がれていく。
ひとにやさしく、という部分でもきっとこのような違いは現れる。
どうしようもない現実(争いや病気、飢餓、誰も助けてくれない)からなんとか人を救おうとして、今でいう詐欺まがいの教え(「南無阿弥陀仏を唱えれば、あなたは来世では救われる」)でほんの僅かな救いを与えようとする法然、人の進化を信じ、自ずからを良くしようとすることを、厳格に自分を律することで得ようとし実践した明恵は、他人にもその道を歩んで欲しかった。その人のことを思うからこそ、個々人によって個別の教えを唱えるその姿は現代でいうマイクロマネジメントと言ってもいいだろう。
私はやはり器質的には明恵だなあと感じる。
苦海浄土の幻想「現実から拒まれてきた人間が必然的に幻想せざるをえぬ美しさ」の世界を法然はイメージしているが、それは悲しい美しさであって求めるものではない。そこに落ちていかない「生の座標軸」での美しい世界を、理想かもしれないが、追い求めることが必要ではないだろうか。ただし一方で幻想の美しさも、その圧倒的に魅惑的な姿も、強烈に引き寄せられるものではあるが。
法然と明恵の戦いは続く。