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読書ノート 「平和と危機の構造 ポスト冷戦の国際政治」 高坂正堯
1995年に発刊された高坂正堯の著作。東西冷戦が終わり、西洋型国家の世界制覇の終わりを見据え、アジアの台頭、民族紛争の勃発、世界の政治社会システムの変化に対して新しいパラダイムを提示する。高坂正顕は京都大学の国際政治学者。その昔、「朝まで生テレビ」で冷静で客観的な喋りをしていたのを思い出す。父の高坂正顕は京都学派四天皇の一人。1996年に肝臓がんで亡くなる。享年62歳であった。
この本で読むべきところ、それはどこか。国際秩序、国際経済、文明の衝突。歴史的視野。NHKの人間大学での講座を書籍化したものだが、まあその時代性を色濃く受けた内容になっている。日本はまだ世界第2位の経済大国で、懸念はあるがまだ今からもちなおせますよ的ないいっぷり(そこから約30年ずっと経済的には地盤沈下していくことを著者は知らない)、中国はまだ天安門事件の余韻があり、民主化が課題とされている(中国が超情報統制経済大国になっている姿を著者は知らない)、アメリカの活力をその多様性に求め、見習うべきという(トランプ政権のようなポピュリズムによる保護主義な傾向を強め、「世界の警察」の地位を自ら降りていく、そういう姿を著者は知らない)、アジアの新興国を見習えという(アジアだけでなく、インドやアフリカがグローバルサウスと言われ、世界の第三極になっていく姿を著者は知らない)。参照される文献は、フクヤマ『歴史の終わり』、ハンチントン『文明の衝突』。傷つきやすい誇りを持つ国としてエリツィンのロシアを語り、北朝鮮の核開発が抑制されたとして安堵する。そのロシアが同胞でもあったウクライナに戦争を仕掛け、そこに北朝鮮の兵器と兵士が投入されるなどとは著者は夢にも思わなかっただろう。
この本を概観すると、ある時代のある時期を切り取って語ることの難しさを感じる。そのなかで、時代が変わっても古くならない、もしくはなにかしらの気づきがあると思うコメントをいくつか提示し、この項終わりとします。
「西欧中心の時代は終わったのです。コロンブス以後が西欧の世界進出であったとすると、約500年でそれが終わったことになります」
「何故、共産主義は失敗したのでしょうか。もっとも重要な理由は、経済学者ハイエクが述べたように、それが「死に至るうぬぼれ」の体系であったことに求められます」
「核兵器の全廃はおそらくありえないでしょう。…というのは、核兵器の製造の仕方はよく知られていて、しかもそれほど高くつきません。だから、いったんなくしても、どこかの国が再び作り始める可能性を考慮に入れざるをえません」
「マイケル・ワルツァーは「分離運動がその地の人々を代表するものであることが分かったときには、それを助けること」「大量殺戮の危険がある人々を助けること」の二つを挙げ、それらの場合には(大国が、もしくは国連が?)軍事力を用いての介入も許される、と論じました」
「現代の知的雰囲気は混迷と不寛容によって特徴づけられるし、そこに大きな危険があると私は思います」
「イブン・ハルドゥーンは、快楽主義の生活にふけるようになると、ひとは意志力と忍耐力を失う、としています」
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