読書ノート 量子力学についての2冊
「量子とはなんだろう」 松浦壮
著者は始めに「見えている世界は世界そのものではない」と知ら示す。量子の世界では存在することと見えることは同じではないのだ。日常世界では伺いしれない世界が極微小の世界では常に起こっており、それがこの現実世界を構成しているということに、この本は気づかせてくれる。古代の哲学者たちがこの事実を知ったなら、もっと正確に世界を把握できたであろう。
現在では量子力学の方法論を様々な技術に応用し、益のあるもの、フラッシュメモリ、半導体技術、MRI などの医療技術、などの様々な科学技術が開発されている。それらが人間の生活を豊かにし、彩りを与えている。著者が言うように「科学の目的は、真理の探求ではなく、現実世界を合理的・定量的に説明」し、自然現象に答え合わせをしていくことなのかもしれない。
「直感は育むもの」腑に落ちるまで正しい経験をすることが重要。量子力学は不思議だ、と言っている時代は終わり、「量子なんてあたりまえ」に向かっていくのだろう。
ゼロとは、どんなに小さな正数よりも小さい非負の状態
微分は変化の速さを表す概念
物体の加速度は質量に反比例する(ニュートン運動第2法則 F=ma)
長らく説明体系の土台をなしていた「位置」や「速度」という概念が、物事の理解や測定技術の向上に伴い、ついにその役割を果たせなくなってきたのが現在
「光は粒子か波か」問題は、粒子でもなく波でもなく「量子」であるという結論に
一粒の量子はあらゆる場所に広がる波でもある
量子の位置や速度は確定した値を持たないために「量子本来の位置や速度」を普通の数で表すことはできない
量子を観測して得られる「測定された位置や速度」は普通の数で表される
同じ条件で測定したとしても、その測定値には不確定性に由来するばらつきがあり、実際の測定でどの値が得られるかはあくまで確率の問題となる
量子の理論は、1回の測定で得られる物理量を予言することは原理的には出来ないが、物理量の分布に付随した、平均や分散のような統計量ならば予言できる
正準交換関係と不確定性関係は表裏一体
ある時刻に位置や運動量がどんな行列になっているかを正しく予言できれば量子力学は完成
行列力学
「量子とは行列が運動するものである」と考えても、「量子とは状態ベクトルが運動するものである」と考えても、どちらでもよい
行列が動いてベクトルが動かないのがハイゼンベルク流(行列力学)、行列が動かずにベクトルが動くのがシュレディンガー流(波動力学)
関数を変数に
自然界は作用汎関数の値が最小になるような運動を実現する(最小作用の原理)
量子はあらゆる経路を同時に通る
量子力学はプランク定数程度に緩くなった古典力学(古典力学とはプランク定数がゼロになった量子力学)
量子の運動とは、行列の運動であり、波動係数の運動であり、あらゆる可能な経路を通る粒子の運動ですが、そのいずれでもありません
電子はフェルミオンである
フェルミオンは同じ状態に同時存在できない
ボゾンはできる
フェルミオン…電子、陽子、中性子、クオークなど
ボゾン…光子、糊粒子(グルーオン)など
素粒子の世界では「力」はボゾンによって媒介されている
電子がフェルミオンであるので、我々は物に触ることが出来る
「縮退圧」のおかげ
金属とはバンドの途中にフェルミ面があるような物質
トンネル効果→フラッシュメモリの構造
重ね合わせの原理
重ね合わせ状態は観測すると変化する
私たちがあらゆる場所に存在する量子を実際に目にしたことはただの一度もない
絡み合い状態(エンタングルメント)
量子の絡み合いは本当に時空を超える
量子超越性
相対性理論…アインシュタイン
量子力学…プランク、アインシュタイン、ボーア、ブロイ、ハイゼンベルク、シュレディンガー、ボルン、ボーム、フェルミ、パウリ、ディラック、朝永、ファインマン
電子をフェルミオンからボゾンに変化させることが出来たら、幽霊も精霊も、「壁抜け芸人」も現実になる。
「ポール・ディラック 人と業績」 アブラハム・パイス他 藤井昭彦訳
「二〇世紀の科学技術は、原子と原子核という物質の二つの微視的階層を制御するに至った。微視系の物理の基礎理論は、量子力学と特殊相対性理論である。周知のように、量子学は1925年秋からおよそ1年ほどの間に、20代・30代の若者たちの手によって、ハイゼンベルクの行列力学とシュレディンガーの波動力学という双子として誕生した。巨人ボーアを先駆者とするこの風変わりな理論の幼年期を、発想も手法も風変わりな一人の天才が駆け抜けた。基本的量子条件、同種粒子系の統計、変換理論、場の量子化、相対論的電子方程式など、その思想と技法は今日の量子力学と場の理論のなかにすっかり同化されて、今では当たり前のことのようにしか受け取られていない」
「神は極めて序列の高い数学者であって、宇宙を創造するにあたって非常に高いレヴェルの数学を用いたのであった。我々のかよわい数学の力では、宇宙のごく一部しか理解できない。我々が数学の力を高めてゆくのに従い、宇宙をより一層良く理解できるようになる、と希望してよい」
(デュラック「ある物理学者の自然観の発展」)