読書ノート 「〈仏典を読む〉4 大乗の教え(下)」 中村元
菩薩行の強調 『華厳経』(1)を読む。
(華厳経では)何が説かれているか
「現実の自然世界では、つまり、われわれが住んでいるこの場所、この空間では、物理的空間の一部を一つの物体が専有すると、他の物体はその場所を専有することが出来ません。物体と物体はお互いを排除し合うわけです。
しかし、我々の感覚を超えた世界に思いを馳せると、一つの物体の専有している空間に他の無数に多くの物体が働きかけている、だからある意味では受け入れているということができる。
そこで、華厳宗では、『華厳経』の趣意は事事無礙の法界縁起の説にもとづいて菩薩行を説いているのだと申します。事事無礙について説明しますと、事とは現象、あるいは現象界の事物です。それがひとつひとつ互いに異なっているのではない。とけ合っている。決してお互いに排除し合うものではなくて、とけあっていてとどこおりがない、ということです」
「たとえば、私が手になにか持っているとしますね。他の方がまた何かを持っておられる。普通それは全く別のものだと考えられますけれども、しかし、目に見えないところで因縁の連鎖、鎖、因果の網によってつながっているというのです。あるいは、私がここで語り、皆様はそれを聞いてくださっています。明らかに私がいる場所と、皆さんがおられる場所は違います。
「また、お互いに別の人格です。けれども、眼に見えないところでは、ご縁によってつながっているのです。なにか精神的に共鳴するものがあり、何かお互いに響くものがあるからです。なぜ、そういうことができたか。それは、今までの我々の先輩、あるいは先祖の方々が、我々を人間として育ててくださった、尊いものを伝えてくださったからである。つまり、この話を聞いてくださる方々のなかに、遠い昔の日本の先祖がいまなお生きておられる。私の中にも生きておられます。もはや過ぎ去って、その姿を見ることはできませんけれども、私どもに見えぬところから力を与えてくださった、ということは疑いのない事柄です。
「そうすると、更にもっと範囲を広げて考えてみることが出来ましょう。今この地球の上には、それぞれの国の人々がそれぞれ生きて活動しています。一見関係はないようですけれども、実は同じ地球の上で今生きているという共通の運命がある。そして生きている人はみな、遠い彼方の太陽の光を受けて生きている。太陽の光が来なかったならば、私どもは生きていくことが出来ませんね。遠い彼方のものが、私どもひとり日本の人々ばかりではなくて、外国の人々のあいだにも力を及ぼしているわけです。
「つまり、一見したところでは個別的に異なっている事と事、つまり事物と事物は決して無関係のものではない。眼に見えないところで結ばれている。経験世界では別々ですが、真理の世界から見るとお互いに寄り合っておこっている。いいかえると、ありとあらゆるものがお互いに原因となり結果となり、連鎖の網で結ばれて存在している。それを法界縁起というのです。
「その道理を体得しますと、他人というものが他人でなくなりますね。
そこで自利即利他の菩薩行ということが説かれるのです。
菩薩というのはボーティサットヴァの音を写したもので、道を求める人という意味です。
その修業には、自利と利他の二方面がある。存在している限り、生きている限りは必ず自分の為を考えます。と同時に他人が別物ではないのだから、他人の為をも考えることになる。
自利と利他の両方が相即している。道を求める菩薩にとっては衆生済度ということが自利即利他である。それからまた、道を求める心を起こした時に、もうそこに悟りが含まれている、こういう事を言うのです」