読書ノート 「精神分析入門講義(下)」② フロイト 高田珠樹・新宮一成・須藤訓任・道籏泰三訳
ここでは、新宮一成の解説の続きを写す。
前回の部分だけでは、やはり尻切れとんぼになるのだ。少し長いですがお付き合いください。
人の表象世界や概念体系が安定的に社会の現実の構造に繋がれていれば、人の心も社会もそれとともに安泰であろうが、そうはいかない流動する現実が世界大戦というかつてない規模で人間世界に押し寄せていた。心と現実を対応させる象徴体系のぐらつきに、意外な角度から指摘されないとわれわれは気づかない。時代が第一次世界大戦においてこの動揺を否応なく経験するのと並行して、十九世紀の世紀末からはじまったフロイトの理論構築も、本書『精神分析講義入門』において、流動する心たちを糾合するかのように一つの結節点を迎えた。当時フロイト自身もすでに、内面的変容の模索をはじめていた。それは、心の物理的基礎を求めての暗闘とも言える「メタサイコロジー」の試みが、『入門講義』に先立って、まるで深海の測深をするように幾度にもわたって行われていたことに窺われる(全集第十四巻参照)。しかしその一方でフロイトは、この入門講義を広い聴衆に向けて用意する必然性を感じてもいた。本講義は確かに、「入門」というにふさわしく、参照文献が少なく、一読すると簡潔平明な語り口である。しかし、論理の進行はきわめて強靭であり、仮想の論敵との緊迫した対話がその著しい特徴になっている。あたかもフロイトは「入門講義」という場を借りて、右顧左眄することなく経験だけを頼りに、どれだけ一貫して考え抜けるかという根本的な課題に挑戦していたかのようである。すなわち、本書においては彼が、人の心に関する自分自身のこれまでの理論的獲得を、自ら試練にかけ、鍛え直している槌音が聞こえてくるのである。
振り返ってみると、フロイトはまず神経学者として出発したが、神経症の患者の治療に生活を賭けて開業医として真剣に取り組むようになって以来、患者たちの病める精神に著しく影響を受け、十九世紀の終わりには、心的外傷論を組み込んだ独自の神経症総論をすでに組み立てていた(全集第三巻参照)。しかし、神経症が病気であるゆえんの原因を解明するためには、それと対比させる正常の精神機能のモデルを持ち来たって、両者の差異がどの点にあり、それがどこから来るのかを見極めるという作業が必要である。フロイトはそのモデルをまず「夢」に求めた。患者たちが症状とともにしばしば夢を語ったからである。その結実が一九〇〇年の『夢解釈』(全集第四巻・第五巻)であったが、フロイトはすぐさま失錯行為、機知という別の対照項の探求にも乗り出した(『日常生活の精神病理学に向けて』(全集第七巻、および岩波文庫)、および『機知─その無意識との関係』(全集第八巻))。これら夢・失錯行為・機知は、神経症の背景を構成する心的な無意識全般の働きを映し出すものとみなされたのである。
気づかれるのは、本入門講義ではこの順序がちょうど逆になっているということだ。すなわち、まず失錯行為の説明から始まり(第一部)、次に夢解釈が語られ(第二部)、神経症の治療へと議論が進んでいくのである(第三部)。このような展開の結果、最後の神経症論は、十九世紀末の自らの神経症論を根本的に改変したものとなった。この順序の逆転は、論理的必然として理解される。精神医学は経験科学である。まずは症状と臨床所見との豊富な経験から、起こっているものごとの正確な記述がおこなわれなくてはならない。そののち、原因の探求を含んだ理論が組み立てられるのである。したがって、初期のフロイトが病理的現象の相互関連を明らかにして疾患の種類を整理することから始め、病理現象の発生の道筋をたどるために夢や失錯行為、機知へと原因の探求を進めたのは当然であった。
しかし、理論は元来、原因から結果へと展開することができるべきものである。失錯行為は人間のすべてに起こる普遍的な現象である。それは現実に生じていることがらであり、しかも原理的な普遍性をもっている(本書第一部)。そこに睡眠という生理的状態が加わっただけで、誰でも経験することのできる不合理な心理状態である「夢」という経験が発生する(本書第二部)。これらは神経症と構造的に相同的な性質を持ち、無意識におけるこの相同性の認識は神経症の治療のための基礎となる。このようにして無意識というトポスが、心的活動全体の中に理論的、普遍的に組み込まれることになったのである。
本講義の中でフロイトは、失錯行為を紹介する際にも、夢を解釈する際にも、それが神経症症状の理解の前段階であるということを何回も告知する(たとえば第十五講、本書上巻)。第一次世界大戦という状況下において、患者の数は減り新たな分析の機会は大きく削られた。しかしフロイトはその間にも、神経症という疾患を、ある種の因果論のもとに組み立て直すという仕事に怠りなく勤しんでいた。神経症は、遺伝に特異的原因があるのではない。失錯行為と夢とによって我々が垣間見ることになる「無意識」というものに、その原因が用意されているのだ。フロイトは念入りに、神経症の遺伝因説を論破して、新たな神経症の成因論を大規模に叙述していく(第三部)。フロイトの研究生活の順序が学的認識において逆向きに辿り直されることによって、この入門講義の神経症理論が、因果論的に整った形で記述されることになったのである。
それでは、フロイトの初期の心的外傷と性病因説からの、いったいどのような転回がここにあるのだろうか。無意識という、神経症の原因の位置を占めるものに関して、フロイトはどんなものをその場所に置こうとしたのであろうか。フロイトは『夢解釈』の中で、子どもたちの「死」の観念について詳しく語った。そして一九〇五年には、『性理論のための三篇』(全集第六巻)において、子どもたちの性認識と性生活について述べることになる。その記述はフロイトにしか書けない創見に溢れている。子どもたちの性生活は、決して大人のそれを単に未熟にしたようなものではない。ちょうど世界の諸民族が、それぞれの世界創造神話を有し、当該の民族の成員が多かれ少なかれその神話に頼って心的生活を送っているのと同様に、子どもたちはそれぞれに「人間はいったいどのようにして作られるのか」、「世界はなぜあるのか」という問題を考え、それを自分なりに解決して生きる。すなわち、自分の世界像を確立する。幼児はすでに四、五歳で、一つの世界観を抱えた一人前の小さな人間となるのである(第二二講、本書下巻)。そうであってみれば、その世界観が確立されたものであればあるだけ、成人したときの世界観との間で軋轢が生じざるを得ない─そうした軋轢をめぐる苦しい妥協形成こそ、神経症症状の核を為すものなのである。
子どもたち一人一人から見えていた世界の成り立ち、そういう記憶世界の掘り出し物にそれまで払われてこなかった興味を、フロイトは一気に萠出させ、それを神経症の原因の位置に置くことになった。そしてその掘り出し物こそ、フロイトの言う抑圧され、無意識になったものなのである。幼児期の世界認識は大人の世界認識によって放逐されるが、やがて回帰して神経症を形成するのだ。われわれの歴史の大本のところには、いわばたしかに一つの《純粋なもの》が隠れている。それは、子どもとしてのわれわれの精神世界である。しかしそれは、期待されるような穢なき純真さではなく実はエディプスコンプレックスという欲望の専制支配の世界であり、やがては大人の世界との戦争と妥協の末に、苦悶の生存へと変わる運命にある旧世界である。この歴史的推移のもつ重要性が、精神分析的な人間認識の要となるのである。
人間の本源的な純粋型としての子どもの精神が、心ない大人から課せられた外傷によって歪められ、それが神経症に繋がってゆくという考えが初期フロイトの神経症論の中にあったとすれば、『性理論のための三篇』を経た後の本入門講義における神経症論においては、その純粋な子どもこそ、まさにエディプスと言われる唯我的で「多形倒錯的」な世界の主なのである。外界からの影響を排した「純粋な」精神を子どもに求める思想的努力があるとすれば、そうした努力は、自らが警戒し、嫌悪し、排除さえもしているこのようなエディプス的主体を再発見し、自己矛盾と自己解体の苦痛に耐えて再び敢えてそこに飛び込むことへと至るであろう。先に触れた全集での解題で鷲田氏が指摘していたように、「純粋なるものへの希求」がフロイトの同時代精神であったのだとすれば、本源の純粋さへの自由落下こそ、フロイトが直観した同時代精神の苦しみの構造であったのかもしれない。本源的な《純粋子どもの精神》のようなものは、フロイトによって一つの構造的矛盾へと送り返され、そこで再構成されるものとなった。この構造的矛盾の認識はフロイトの晩年に、その最も革新的な後継者となったメラニー・クラインの著作『子どもの精神分析』(一九三二年)の冒頭で宣言されることになる。見失われ憧れられていた純粋な子ども時代は、期待とはかなり異なる「小さな大人」の荒れ狂う心の姿で再発見されたのである。
実際フロイトは、本入門講義の始まった一九一五年に、重要な増補の詰まった『性理論のための三篇』の第三版を上梓している。入門講義を始めるにあたってフロイトが人々に訴えたかった神経症論の肝要な内実が、」この幼児期の性理論という概念を原因論的に導入することにあると見ることができる。本講義の神経症成因論を象徴する「相補系列」の弁証法的な図式(第二三講、本書下巻)のアイディアも、『性理論のための三篇』の中ですでに、体質的(生物学的)なものと偶然的なものの間の関係として、くりかえしその輪郭が描き出されている。
総論的な言い方をすれば、神経症のさまざまな症状は、身体を携えた個別存在としての人間と、世界の偶然の出来事との間の、弁証法的な力関係の写像である。そして本入門講義で、幼児の世界を再構築したことによって、神経症を病む人間は単純な遺伝的劣等者ではなく、一つの歴史的存在として捉え直されることになった。成人すれば思い出せなくなる子ども時代の心性が無意識となって精神に留まり続け、人はその無意識から多大な影響を蒙りながら己の成長を紡ぐ。ところが歴史的存在としての自我は、無意識の持続的な作用のゆえに、自らの「家政の家長ですら」ない(第一八講、本書下巻)。そうした欠如のあり方は、自己言及という論理的制約に」よって自己の真理を常に掴み損ねていなければならないこの時代以降の人間にとって、いかにもふさわしい苦しみ表現となった。それは、自分が見ている世界を見たままに書き記しながら、それゆえにこそ自分自身を書くことのできない、ウィトゲンシュタインの描いた独我論的主体(一九二一年)にも通じていくあり方である。
ちなみに、現代の精神医学の用語法においては、WHOによる国際分類の第十版で「神経症」の使用は痕跡的あるいは総論的にしか認められず、今世紀の第十一版ではその痕跡も消えた。また米国の分類では一九八〇年からそもそも「神経症」の語は消去されている。神経症と言われてきた疾患が事実としてこの世から消え去ったわけでもないのにこの語が消えた理由は、フロイトが確立し本入門講義で押し出した図式によって、「神経症」の概念が器質論者から見てあまりにもフロイト的なものになっていたからである。つまり、近年の生物学的で意識斉一主義的な精神医学がフロイトの影響を正統から排除するためには、用語それ自体を消去するしか方法がなかったということだ。
この排除によって、我が国においても、本入門講義の実施の成果と言える神経症の成因論(幼児期の性理論)が、臨床医の目から隠されることになった。現代では、精神分析を多少とも取り入れている精神科医であってさえ、とくにこの要素を忘れ去る傾向が強い。『夢解釈』で論じられている通り、この要素が最も端的に医師にも患者にも再認知されるのが「夢」という経路である。現実に、夢という現象には幼児期の経験が再現してくるにも拘わらず、現代の臨床において夢が置き去りにされやすいとすれば、やはり精神分析を取り巻くこのような近年の器質論優位の状況の圧力によると言えるだろう。だが、幼児期の逆境体験が子どもたちの発達の障害を招くことが改めて認識されてきている今日、子ども時代に「子供の性」が」「大人の性」に」よって制圧を蒙ってきた歴史そのものや、その影響を象徴的に保持し続けている夢現象を、人間の生の大切なアーカイヴとして扱う姿勢を、フロイトの読み直しによって再構築することは、治療の基礎として決して無駄にはなるまい。
大人の都合によって制圧されてしまった子供時代の心性を、たとえ思っていた純粋無垢なものとは違っていても、自分の一部として再認識するという考え方は、精神分析の治療指針への暗示でもある。本書には、入門という性格上、治療法が体系的に述べられているわけではない。しかし人に備わった想起する力を行使することによって、無意識になっている子ども時代の経験世界を自分の側に取り戻すことが、患者とフロイトの共同作業になっていることは、記述されている数々の事例からおのずと読み取れる。そしてその過程で出会われる幼年期からの思いがけない照射が、本書のそこここに書き記されている。これが精神分析における治癒への最初の一歩であるのだろう、と読者は想像がつくだろう。
本書『精神分析入門講義』から十五年を経てフロイトが病身を押して執筆した続編『続・精神分析入門講義』(全集第二十一巻)は、本書が第二八講で終わっているのを受けて、第二九講から始まる。ただしこれは現実の講義ではなく講義の形式を取った書物として一九三二年に書かれている。その「まえがき」で、フロイトは第一次世界大戦時代の正編である本書『精神分析入門講義』を振り返り、自ら次のように記している。
「『精神分析入門講義』は、一九一五年から一六年の冬学期および一九一六年から一七年の冬学期の二期にまたがって、ウィーン大学医学部精神医学科の講義室で、全学部からのさまざまな聞き手を聴衆としてなされたものであった。前半は、ぶっつけ本番でなされ、その直後に書き下ろされたもの、後半は、この二期の間の夏にザルツブルクに滞在した折に書き起こされ、次の冬に、その文字通りに講じられたものである。その頃の私にはまだ、蓄音機並みの記憶の才があった」(全集二一巻、三項)。
この続編の中でも、子ども時代の経験からの無意識を抑圧しながらそれに支えられて意識的に生きている存在としての人間像は、正編から変わらずに受け継がれている。
だがその続編では、第一次世界大戦時の正編とは違い、「入門講義」の体裁を取りながらも、あえて問題を入門的に整理するという趣向は示していない。それは正編の人間観を変えるのではなく、まだ精神分析の枠内で扱われていなかった問題を扱うなどの補完的な意味づけでの続編であったからである。ここでフロイトはむしろ、再び生じつつあった危機的な歴史状況の中で、精神分析という人間への新たな視角から目撃した流動する歴史を、死物狂いで書き記し、問題提起することを意図したように見える。『入門講義』の正編と続編を隔てる十五年の間に、フロイトは正編で確立した人間観を基にして、人間集団の心理や文明の心理的深層の問題に、多くの作品の中で切り込んでいた。幼児期から絶えず人間の中で働き続けている無意識は、成人の意識を左右して症状を生み出しているのみならず、知られざる同一化によって、均質性を押し出している集団や伝統を誇る文化への基層へも深く滲み出している。フロイトはその事を見ないわけにはいかなくなった。彼は、人間が生き延びるために持つようになる「世界観」そのものに、鋭い疑いを向けるようになっていくのだった。フロイトがこのような疑念を続編に書いたとき、彼はすでに癌の手術を受け、「人前で話すことのできない体」の状態になっていた。そしてこの年には、ナチスのドイツ支配が目前に迫っていた。
第一次世界大戦までにフロイトの掲げた灯りは個人の古層を照らしたが、その灯りがあたかも次の世界大戦を照らし出すような悲観的ビジョンをもフロイトに与えたことを考え合わせれば、本書『精神分析入門講義』は、神経症を癒やすための技術を広く伝えるべくウイーンの医学部の講義室で始められつつも、今ここにいるわれわれの足元をも、いつのまにか照らしていることに気づかされる。
イスラエル・パレスチナ(アラブ)の破滅的対決、ロシア(北朝鮮)とEU(アメリカ)の場当たり的な戦争、台湾海峡の不気味な緊張、グローバルサウスの怨嗟が滲む台頭。現在の世界大戦前夜の様相と地球環境の深刻な崩壊は、いままでの歴史的な危機と準えても決して引けを取らない状況であると言える。そうした危機の中からこそ、新たな人類の思想が芽生えるのではないかと私は夢想する。その土台となるもののひとつがフロイトの「無意識からの思想」であり、その思想の根本・本質を的確に捉えることが、今の私達に重要なのは言うまでもない、などと思うのです。