島田紳助の思想から脱却したM-1は、夢と多様性で輝けるのか
すっかり年が明け、M-1グランプリ2021の話をするには遅くなってしまった気もしますが、この年末年始にふと思ったことがあるので、ここに稿を投げつけさせてもらいます。
明るい気持ちで読み進めてもらえますと幸いです。
錦鯉の優勝で幕を閉じた、M-1グランプリ2021
どのコンビが披露した漫才も軒並み面白く、一人のお笑いファンとして、前日に用意したお酒・おつまみとともに楽しませてもらいました。
その前に放送されていた敗者復活戦も、もちろん面白いコンビばかりで、名が知られていても3回戦や準々決勝で敗退してしまう芸人さんがいるのも納得させられました。
出場したコンビのみなさん、出演者・スタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした。
そして何より、錦鯉のおふたり、優勝おめでとうございます!
ネタ番組やバラエティで映る姿はいつも面白いですし、2020年のM-1も面白白かったし、霜降りANNなどで見せた渡辺さんの変態性は奥深さがあって好きです。
現在活躍している中堅〜ベテラン芸人と世代が近いコンビの優勝から、元気と勇気をもらった人も多いのではないでしょうか。
M-1グランプリの土台にある思想
島田紳助さんがM-1グランプリを立ち上げた理由は、「漫才への感謝」と「若手漫才師がやめるきっかけ」作りだと各所で語られているのは、わりと有名な話ですね。
ある程度のお笑い好きの方であれば、「植物学の観点で分けると、スイカは野菜でトマトは果物」という豆知識を知らずとも、この情報は知っていたかもしれません。
「漫才への感謝」
こちらは言わずもがなの理由だと思います。
若い頃に漫才師として芸能界に名を馳せ、演者として成功を収められた島田紳助さんとしての、漫才と業界への恩返し。
毎年の盛り上がりや、面白さ・レベルの向上度合いを見ている限り、これは叶ったといっていいでしょうし、立ち上げ当初にここまでの大イベントになることは想像できていなかったかもしれません。
「若手漫才師がやめるきっかけ」
逆にこちらは、ピンとこない方もいるかもしれません。
ご存知の通り、M-1グランプリの出場にはコンビ歴の制限があります。かつては10年でしたが、2015年の第11回大会からは15年となっています。
(既に名前が知られている芸人の姿を決勝戦にて見ることが多くなったのは、この影響が大きいはず)
コンビでの時間を長く過ごしていくと自動的に出場資格がなくなってしまいます。
この制限によって、それまでに成績を残せないなら、この世界で長く食っていくのは難しいんじゃないかと考えるきっかけを与えているわけです。
いわゆる「獅子の子落とし」のような厳しさを感じますし、職業・獅子として(文字通り)食っていくしかない獅子とは違い、職業選択の自由がある人間としての優しさにも感じます。
先日、オードリー(2008年に敗者復活戦から勝ち上がって2位)のおふたりは、「10年目となる2009年まで決勝に行けなかったら芸人を辞めていた」という旨のお話を、ラジオにて語っていました。
芸人を辞めた方の話を聞くことは滅多にないので、想像でしかありませんが、実際にそれをきっかけに辞めていった方はいるはずですし、少なくないんだろうと思います。
芸人として生き続けた錦鯉の姿
M-1の出場資格はコンビ歴が基準であるため、芸歴は実質不問です。
なので、2人とも芸歴を重ねた「おいでやすこが」が新たなコンビとして出場できましたし、今回優勝した錦鯉のおふたりもそれぞれの芸歴は20年以上、長谷川まさのりさんに至ってはM-1優勝時点で芸歴27年でベテランとも言えるほど、芸人としての道を諦めることなく、鎬を削り続けてきたのです。
長きに渡って「売れない芸人」に甘んじていた、完全に「おじさん」といえる年齢のおふたりが優勝したことは、視聴者として観ていた我々はもちろん、売れることを夢見て芸を磨き続けるお笑い芸人の方々に多大なる希望を与えたはずです。
ということは、この影響で芸人として生きる道を諦めない芸人さんが増加するという予想ができます。
島田紳助の思想から脱却するM-1
そう考えると、大会が創設された時の根底にあった「若手漫才師がやめるきっかけ」としてのM-1グランプリは、錦鯉の活躍・優勝によって崩壊させられるかもしれません。
島田紳助さんが芸能界を引退してから、大会に関わることはなかったのですが、ここからが本当に「島田紳助の手を離れた」という見方ができるのではないでしょうか。
芸人としての栄華を夢見る人が、大きな大会の資格失効により夢を諦めることなく、いつまでも芸人としての夢・目標を見続けて奮闘する世界…!
多様性に満ち、自由度がある、素晴らしい世界だと思います。
しかし、(みなさんお気づきかと思いますが…)ここにも懸念はあります。
「夢を追い続ける」ということは、言い方を変えてしまうと「(向き不向きに気づけず)諦められない」ということになってしまいます。
多様性は、時に優しく、時に厳しい
錦鯉のように才能はあるものの、花開くまでに努力と時間が必要な人と、(あまりこういう言い方はしたくないですが)才能・見込みがない人を見分けることは難しいですし、自分自身で気づけることは稀だと思います。
島田紳助の思想だと否が応でも行く先の暗さに気付かされていた後者が、意気揚々と闇に踏み入り、その中でもがき続けることになるのかもしれないわけです。
いつまでも夢を追いかけられることは、誰にでも優しく、個を尊重し・多様性を認める現代のあるべき姿なのかもしれないと思う一方、その優しさによって苦しむ人が現れてしまうことは、もう一方の側面として確実に存在します。
我々人間が追求しようとしている「多様性」とは、時にツラさを伴なうのかもしれません。
そう思うとこれからは、多様性が世間における「良薬」であることを信じ、ある程度の「苦し」は我慢する覚悟が要されるようです。
そんな「苦し」は、身近な人で助け合い・支え合うことで、糖衣したりオブラートに包んだりして、良薬を飲みやすくしていきたいものですね。
創設時のきっかけを失ったM-1は受け皿を更に拡大し、芸人たちの夢舞台として輝きを増してくのか、それともいぶし銀成分が増え続けた結果として皮肉にも輝きを失ってしまうのか……(もちろん前者であって欲しい。マジで。)
そんなことに想いを馳せつつ、年末年始に録画したお笑い特番を明日への糧として消費していこうと思います。
それじゃ、また。
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