ミュージカル『ベートーヴェン』(2024)
2024年1月5日@福岡サンパレスホール
2024年1月7日@福岡サンパレスホール
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(以下、ベートーヴェン)はクラシック音楽において、数々の革命を起こした。(僕は専門家ではないので詳細は割愛)
僕はベートーヴェンという人物が好きなので、このミュージカルは絶対観たかった。
期待が大きい反面、今回リーヴァイさんのオリジナル曲はたった1曲のみで、ベートーヴェン作曲の曲をアレンジするとのこと。歌唱用の曲ではないのにどう生まれ変わるのか、という不安(?)みたいなのも、正直あった。
個人的には、交響曲やピアノ曲をアレンジしたり、歌詞を付けて歌ったりすることに関して苦手意識がある。
でも、そんなことどうでも良くなるぐらい、良かった。
リーヴァイさんの曲は、クラシックの重厚さとロックを融合している感じで、僕は『エリザベート』や『モーツァルト!』、『マリー・アントワネット』などの楽曲がどれも好きだ。
交響曲第5番(運命)やピアノソナタ第14番「月光」第3楽章はロックアレンジされ、エレキギターとの相性は抜群だし、
ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章は、原曲はゆったりとしているが、後半の盛り上がりにドラムの8ビートを入れることで壮大な展開になり、リーヴァイさんの編曲は流石としか言いようがない。
挙げるときりがないが、僕は好きだ。
リーヴァイさんがオリジナル曲ではなく敢えて原曲をアレンジしよう、と挑戦したことで、オペラとも違う新しいミュージカル作品が誕生した。
また、ベートーヴェンはこんなにメロディアスな曲が多いのか、ということも再認識させられた。
物語は「不滅の恋人」との恋愛がメイン。ベートーヴェンは「不滅の恋人」宛のラブレターを渡せずに亡くなっており、相手が誰なのかはっきりわかっていない。
なので、作曲しているところやベートーヴェンが演奏・指揮するところなどのシーンは多くない。作曲家であるベートーヴェンにフィーチャーした作品にしては勿体ない気もする。
しかし、ところどころ垣間見えるベートーヴェンの苦悩や信念に心を打たれた。
ベートーヴェンは聴力を失ってしまう。音楽家で「耳が聴こえない」というのは一番致命的だろう。
自分は音楽を続けられるだろうか、という不安は大いにあったに違いないが、それでも曲を書き続けた。
この作品の終盤、ベートーヴェンが息絶える前に、ピアノの弦を爪弾くシーンがある。
史実によると、晩年、聴力を失ったベートーヴェンは骨伝導で音を確かめながら曲を作った、という。
そのエピソードを受けてなのか公式な見解は不明だが、僕は史実を知っていたので、「このことなのかな?」と観ていた。
この他にも、作中に、ベートーヴェンが指揮するオーケストラが彼の指揮についていけず、演奏が中断してしまった、というシーンがあるが、これも恐らく史実にある通りなのではと感じた。
引っ越しが多かったというエピソードも盛り込まれていた。
ベートーヴェンは人生のほとんどを音楽に捧げた。よって今でも、そしてこれからも演奏される名曲がたくさんある。
ベートーヴェンの肖像画は不機嫌そうに睨みつけたような顔が有名だが、その顔からは想像できないほど喜びや希望に溢れた明るい曲が実は多い。
聴力を失うという絶望の中の希望を見出だせたり、恋人と過ごす幸せが音楽に表れていると感じる。
それができるのは、ベートーヴェンだったからだろう。
ベートーヴェン以前の時代は宮廷作曲家の時代で、貴族のために音楽を書いていた。
だが、ベートーヴェンそれに倣わず、自分のための音楽を書いた。
作中でも、序盤に宮廷で貴族からかつらを着けていないことに対し場をわきまえろと注意されるが「かつらやスカーフはいらない」と言うシーンや、
ベートーヴェンが作曲した曲を披露する場で貴族から揶揄され演奏を止めてしまうシーンがある。
実際、貴族からの目は厳しいものだったかと思うが、それでも自分を貫き、フリーランスの作曲家として素晴らしい音楽を作り続けたことで、数々の革命を起こし続けた。
そういった苦悩も垣間見えるところから、ベートーヴェンの人生観を知ることができ、ベートーヴェンを知らない人でも楽しめるし、知っているとより深堀りできるなと感じた。
世界初演の地は韓国。言語は違えど伝わるものがあるのは音楽の素晴らしいところだ。
『ベートーヴェン』の解釈は人それぞれだ、ということを前提で、プロデューサーさんがこのように語っている。(ネタバレありなので未見の方はご注意ください)