見出し画像

つぶやき2022.7.19-7.31

デタラメを言うやつ。スルーするやつ。
困った時にとる態度が本性。

ほんま日本て内から自らを正す力ないな。
外的圧力だよりなんだけど今回は外国も何も言ってくれない。(世界のリアクションが小さいのが気になる。情報統制?トランプや過去の共和党の大統領は少なからず(統一協会と)面識があったようだし、CIA-岸の流れから言ってアメリカはおりこみ済なのだろうか。日本が資金源とは言え、彼らは世界に向けて情報を発信しているし、もっと闇は深いのでは?)
これほどの問題が起こっても、現状維持を求める正常性バイアスは異常。

タブーとは誰かの都合である。(二回目)

小学校でいじめをしてたやつ。いじめに加担してたやつ。いじめを傍観してたやつ。そんなやつらが大半だし、そのまま大人になって何も変わってないやつらばかりではないのか。

闘うべき相手は、全ての「暴力」。
即ち、暴力という行為、暴力を匂わせる脅しに対し、少なくとも、実行しないこと、加担しないこと。
これは、肉体的な暴力に限らない。
そして、暴力に対し暴力を行使したくなる自分との闘いである。


政治的に意図や理由が分かりにくかった発言や文脈に対し、カルトの布教や擁護が目的と認識しただけで全て辻褄が合うことがわかったのが、2022年7月の出来事。

はじめからクーデターが起こっていたような状況に名前をつけたい。

今年の流行語大賞は「ズブズブ」で決まりやな。

野党は調査や追求能力には長けている。問題は政策を立案し実行する能力だ。
与党には後者があるのかと思われてきたわけだが、カルトが立案し実行させてたというわけだ。
与党は一体何をしてきたのだ。

自民党の議員、めちゃくちゃ統一教会と接触してるやんけ。何ならスタッフとして採用してたり。
そりゃ油断してる間に取り込まれるわ。洗脳されてシンパになるか。
これ誰がフォローできるの?
日本沈没してるのでは?

危うきに近づくのは、自民党が君子では無いからだろうな。

真田虫のような寄生虫が政界に巣食っていたなら、体(国)に栄養(金)が行き渡るわけがないよな。
何十年と体の中に虫がいた状態だったわけね。
政治家は目黒の寄生虫館の標本にした方が役に立つのではないか。

自民党、本気で自分達が変なことに気づいていないという深い病みを無自覚に晒しているという深い闇。

自民党、全員洗脳されてる件。

この先自民党の何を信じればよいのか。
て。わたしは人間というものを(過ちをおかすという意味もこめて)ほとんど信用していないので変わりませんけどね。
仏陀の言う、あなたは何を頼りに生きていきますか?ということ。この際あなたも考えてみてはいかがでしょう。


真偽に責任を持たず発言者の発言を垂れ流すnewsはnewsとしての役割を果たすのだろうか。
目的のために、人を欺くことに対し、良心の呵責であるとか、恥ずかしいことだとか、罪の意識であるとか言うことが、薄れて何も感じなくなったのだろう。
前時代的な宗教がカルト宗教に置き換わってしまったかように、マガイモノが跋扈(ばっこ)する時代である。

プロパガンダ的な政治手法として与党政策に以下を感じます。
・情報媒体も含め嘘をついてシラを切る
・当たり前と思うような発言・政策の中にとんでもないルール(多くは支配的な統制に関わる)を含ませる
・反対意見を述べるものを異端者となるように仕向ける(国民により魔女狩りするように仕向ける)
これに対抗するものが同じ手を使ったら負けで、計にはまるのと同じです。
そう仕向けようとする計も実際に見てとれます。


1993年くらいから時代は逆回転をはじめたのかな。
会社入った頃くらいからか。
進化した便利さも人類の退化のためとか。
失われた30年で失われていたものが非常にクリアに明らかになってきた感がある。
金返せ。

国家がカルトにどっぷりということで、国民は、親がカルトにはまってしまった子供たちの心情を擬似?体験している。
ほんま救われない気持ちになるな。

しかしそれにしてもひどいことがおこったとおもってもしばらくするともっとひどいことがおこるんだからすごいよな。
ロシアの仕掛けた戦争で、小麦とかの穀物不足も深刻やな。平穏な暮らしにここまで落とし穴を用意しなくてもええやろ。


一般教養として見といた方がいいよ。
1時間くらい。

先祖が地獄に落ちてるから開運のため献金が必要と言ってるらしい。(日本人は前の戦争の罪で地獄にいる人が多いらしいよ。)
献金した金は韓国に送られてカルト教団施設(大学なども)の建設に使われたり北朝鮮に送金されたり。
しかしまあ、反共やら反日やらの感情を利用するのがうまいね。
統一教会の経典だそうで。統一教会の家族に対する考え方と照らし合わせると、日本は韓国に膝まづけ。ってことかと。日本はエバ国家であるっての、日本国民のことは振り向きもせず、世界に金をばら撒く日本の政界の行動とピッタリだね。

世界平和って、世界を平和にする気なんてさらさらなくても言えるしね。

俺はそっち側の人間じゃないけど、ファシストはファシスト同士わかり合えるのかね?

人間が原罪を持って生まれるとかいう宗教感わたしは嫌いである。
実のところ人間が輪廻転生でもしていようものなら原罪を引きずっていても不思議はない。それはともかく生まれてくる時持ってる原罪など何も知る由がないわけで。原罪の記憶のない人間に原罪を問うのはナンセンス。
自他が持つ原罪のことなど誰も分からないからね。インチキな人間がいくらでもインネンつけるのさ。そのインチキの方が罪深いよ。
現世の罪は現世のうちに落とし前をつけましょう。

人間の多くはご都合主義である。
理屈より時には感情より都合を優先するものだ。
思っている以上に。

知らなかった。
という人には、
知った上でどうするのか?
と聞きましょう。

安倍晋三の葬儀を国葬にするかも、優先されるのは都合である。(他意はない。)
すごく俯瞰的な見方して、安倍晋三が死んだの天命という気がしてきた。
歴史の大きな流れの中の出来事というか。因果的にもね。
個人の感想です。
殺されて良いかという話は別の話だけど、安倍晋三が政治家としてした仕事の中には、相当に罪深いものが含まれてると思う。
例えば50年後に、その罪が客観的に述べられる社会であるなら、それはむしろ社会としては健全であって、50年後も全肯定されてるようなら、相当やばい社会が続いてるということ。

悪魔と契約して思い通りの展開になったとてとどのつまり悪魔を媒介するだけであってしかも時が来たら命を奪われるみがある。

今日は久しぶりに立ち仕事で体がバッキバキ。(宿直)
寝ようかおもたとこで豪雨。
自律神経の乱れのような雨だったな。いつの間にかうとうとしている間に収まったようだ。寝る前に鼻が詰まって風邪をひきかけたかと思ったが寝ている間に体温が上がってわたしも収まった。

今夜俺は王になる
ごらん世界は美しい


うちの奥さんはその傾向が強いのだが、清潔にしているかとか、身なりや身の回りを整えているかを重視するのも、わかることはわかる。言わばスクリーニングというか、そこをクリアしてないとダメなとこがある人だろう。というのは、観察的に的を射ている。

僕が人を見て人がわかるというのは、もちろん一をみて十がわかるはずもなく、人格を善だとか悪だとか決めつける気もなくて、ただ、その人がどういう行動原理で動く人なのかを観察する。つまり行動原理とは、その人の価値観を濃く反映したものだから、行動原理への共感は内面的な相性に結びつきやすい。

わたしはわたしの価値観には固執と言ってもよいくらい拘りがあり、大切にすることも変化が極めて少ないが、思想的なこと、つまりアイデアやロジックはオリジナルにこだわっておらず、他に感心するものがあれば切ったり取り入れたり、常に新陳代謝している。

想像力
想像には想像を構成する材料が必要。つまり自分の中に材料もなく世界から材料を調達する力もなければ何かを生み出すことは限りなく難しい。
想像の仕方を学ぶことが重要であり、それには他者がした想像の例を参考にすると役立つ。
出力するためには入力が必要であり入力の質や量が大事。

教育とは非常に大切なのだが、何をインストールするかによって、世界は天国にも地獄にも近づく。


馬鹿には極上の情操教育で抗うしかないのかなという気がしている。

わたしはせっかちなのである。
わたしが誰に対してもできるだけ穏やかに怒らないように接しているのは幼い頃からずっと努力しているのである。
人間は誰しも自分が頑張っていることを疎かにしている人をみると腹が立つ。それはそういうものである程度仕方ない。わたしも人に腹を立てないようにかなり努力しているので、パワハラなど自己抑制もなく人に腹を立てている人を見ると、銃殺したくなるくらい腹が立つのだ。
まあしかし、これはお互い様というのもあり、他人は他人で別に頑張っていることがあるので、誰もかれもが長所というべきものが逆にアレルゲンとなり殴り合っているのも知っている。
わたしは大抵のことは頭では理解している。感情としてそれを腹に収められるか。そこが問題となりやすいのである。
嘘つかないように日々を生きてる人は嘘をつく人に腹が立つとか、正直に生きてる人はズルをしてる人に腹が立つとかね。そういうことである。
過ぎた努力は苛立ちの素でもあるのである。

世の中には、
人から搾取しようとするやつの他に、
人の命を削ろうとするやつ、
(漫画みたいだけど)
人に呪術をかけてくるやつ
なんかもいるから、
くれぐれもご安全に。


ムシムシがマシマシでムレムレ
蒸し蒸しが増し増しで蒸れ蒸れ
ミャクミャクはミャクミャクと語り継がれるだろう。
#言いたいだけ


置かれた場所で吐きなさい。

あまりの運動不足なのでマンションの階段を昇り降りしてみたところ膝がわらうわらう、あー可笑しい。

面白いくらい自由に使えるお金がない。ウケる。

宗教というよりゾンビ。

カルトってゾンビみたいなもので洗脳されてしまったらゾンビになっちゃうんでしょ。
洗脳行為自体を法的に抑止できないのかな。

#政教分離
日本国憲法第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

特定の宗教団体が、政治上の権力を行使したら、他の宗教の人は信教の自由を邪魔されるよね。
国及びその機関が、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしても、宗教の自由を邪魔されるよね。
したがって、信教の自由を保障するためには政教分離がマストになるよね。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
宗教上の行為、儀式を強制されないってとこ、洗脳行為は憲法に違反してるんじゃないの?知らんけど。


前編視聴。非常に理解が進みました。
後編も視聴しました。
知らないことだらけで勉強になりました。ありがとうございました。
根深い。

世界平和とか家族の絆とか赤ちゃんの命とか誰も文句を言えないようなポジティブメッセージのみを発信し思想や勢力を拡大しながら、裏でマイノリティだけじゃなく個の人生や価値観に関わる基本的人権(選択肢)を強烈に排除しようとするのが、宗教右派の本質なんだね。
行きすぎた◯◯。で色んなことを潰してきた自民党と宗教右派みたいだけど、僕からみたら行きすぎた右翼だね。
統一教会をはじめとする宗教右派とズブズブの蜜月の関係性を築いたのが安倍晋三であり、安倍晋三を暗殺した被告が安倍晋三をターゲットにしたのは、冷静すぎるほどの分析に基づくのではないか。
統一教会が自民党とズブズブなだけならまだしも(よくないが)、地方自治体ともズブズブらしい。
まあ思想に関わることであれば、教育機関だろうとメディアだろうと、あらゆる組織に働きかけているのだろう。

宗教右派は何故フェミニズムに反対するのか?
フェミニズムにおいては「男女平等の実現」という基本概念が共通しているらしいけど、要は、宗教右派にとって、それが邪魔ということだよね。
伝統主義に基づく批判として、ラディカル・フェミニズム:男女の役割分担を否定する思想への反対らしいけど、真のフェミニストは、そもそも男女の平等と男女の役割分担は両立できると考えてるんじゃないかな?
そもそも、男女によらず、人権の平等を目指してて、対立する方がおかしいんだよ。まあ、僕の言葉で言うと、この世は不平等だから、公平さを希求するということかな。
それに対し反対するってことは、宗教右派の目的は、自分の権力の最大化であって、自分の利権が失われるのが嫌なだけでは?
ちなみに(宗教)右派のいう子供を増やせというのは愛とかではなく信者が増えるからだと思う。
権力の最大化が行動原理なのでしょう。
宗教右派に権力志向がありありなのは、憲法から政教分離を外そうとしているのを見ても丸わかりでしょう。
宗教右派は、世界平和も求めてないし、個々の家族が本当に幸せか、生まれくる赤ちゃんが幸せかってことには、全く興味がないんじゃないの?
憲法を個人じゃなくて家族単位の人権にしたいらしいけどそもそも個が幸せでなければ家族は幸せじゃないよね。人を献金とか納税の対象としてしか見てないからこその発想では?
とても宗教右派や思想を同じくする自民党が人を幸せにできるとは思わないね。

宗教右派としては昔のように対共産主義という構図にもっていきたいのかしら。
(何かを見た。)
ピンとこないんだけど。

宗教右派、並びに、自民党は、家族を基調と言いつつ、家族を成立させるはずの一人一人が生きるために必要な全てを苦しくさせてはいないか。
2次元、或いは、帳簿の上だけに家族が住んでいると思っているのか。

わたしは政治的な意味でリベラルとかフェミニストとかいう自覚もないが(ましてや右とか左というのもない)、宗教右派の思想には大変な違和感があって、家族や他者との関わりももちろん重要ではあるが、人間の最小単位は個であり、個の自立や確立を蔑ろにするのは行きすぎた考えだと思う。毒親に近い発想。
ファシズムと毒親性。全体主義と毒親性。もシンクロ率が高そう。
要するに、何れも自分と他者との境界認識に問題があり、他者に対し干渉することに心のブレーキが利かない。
個人の自由や尊厳を認めることが恐怖ですらあるのかな。馬鹿げている。
宗教右派=毒親説
毒親って毒親の自覚無いらしいからな。
宗教右派の思想ってのは、要するに、人間として自立しないまま大人(親)になったものの思想なのかな。
つまり、群れで生きる人の宗教。
自民党も、群れで生きる政党だからね。
だから、コミュニケーションやネゴシエーションには長けているけど、基本となる思想が全く成熟したものではないという。
とっちゃん坊や思想という気持ち悪さ。
自民党=毒親説
子(国民)を縛りたがり、子(国民)にもっと扶養しろ(税金を払え)とせがむ(というか勝手に通帳から金下ろすレベル)。
自民党にまた投票してしまう国民も、毒親に育てられた子のアレやな。
ますます依存を強める政策を取るのでしょう。毒親だから!
要するに、宗教右派、及び、自民党は、ファザコン国家を築きたいのだ。安倍晋三もファザコンいうか、グランドファザコンだよね。自民党を偏愛する女性もまた重度のファザコンが本質なのかな?
宗教右派、及び、自民党の根底に根強くあるのは、男尊女卑ってことね。ファザコンだし。
男尊女卑って言葉がカチンとくるなら亭主関白教?
生活を顧みずいい気になって生きてきたジジイの宗教。
統一教会なんて信者の生活が破綻しても省みないどころか、破綻してでも献金しろって言ってるんでしょ。
国民の生活が苦しくても増税しようとする自民党と同じ穴のムジナ。
社員の生活を省みず、会社の利益のみを追求する経営者も似たようなもの。
この30年の間、亭主関白じみた成ってないジジイがいいように社会を牛耳ってきたということ。
自由を愛するリベラルや、男女平等を志向するフェミニストを、敵のように邪魔し、自らやりたい放題、殿様殿下で周囲をひれ伏せさせようとした、ファザコン社会こそが、この社会の真相なのではないか。
縦社会とファザコンに関する研究ってあるだろうか?
わたしはファザコンが全く無いからか、縦社会に全くシンクロできない。逆もあるかと妄想。


宗教右派の幹部と自民党の人達は来世でみんな母子家庭に生まれます。
これが因果です。

集会(ミサ)があるので

犯罪組織でも何でも組織というのはピラミッド構造になり、親分が少なくないと親分は富を享受(分配)できないので、真に良い目をみている幹部は少ないだろう、構造的に。つまり甘い目にあってるわけでもないのに組織に貢献しようとする構成員が比率としては多いのだろう。
アホが見るブタのケツである。
利益団体が縦社会となりやすいのは、お金の分配の問題が大きく関与しているのだろう。
海外や外資系などはある程度構成員もサラリーが良いが、その分能力主義で個人が稼いでいる(成果のノルマがきつい)のだろう。


TAROMAN人気すごいな!

TAROMAN人気は出るべくして。だな。
若い時読んだ本まだあります。

政治は語るべきイシューだ。
しかし語ると喧嘩になりやすい。
これは政治をイデオロギーと捉えるからだ。
イデオロギーは集団的思想の様でいて主観(伝染する主観)である。
主観をぶつけ合えば喧嘩になりやすい。
政治は、イデオロギーではなく個別の問題と捉えれば、解決がまずは優先されるだろうに。

詭弁に堕ちるな。

よく知らないで書くのだけれど、直感的に、リベラルとかフェミニズムというのは本来個人が大切にしたい価値観であるのを、イデオロギー的に定義しようとするところに、構造的なしっくりこなさがあるのではないか。イデオロギー化せず社会的なムーブメントとする方法論は棚上げするけど。
要はリベラルとかフェミニズムとかいうのが個人の価値観に根ざした自由で多様なものであるが故に、これに対抗する言わば全体主義的・村社会的な固定観念とイデオロギー的論法との相性の良さに対し、同じ戦いを仕掛けるとぶが悪いのではないかという考察。
リベラルやフェミニズム的なものがこれを勝ち取るためには、自由にふさわしい戦い方があるのではないか。
わたしは政治的にはリベラルでもフェミニストでもないけれど、本質的には自由と公平さを愛するので、発言してみた。

狭義の民主主義においては、同じ立場である他者の数が少ないこと。これが意見が通らないと言う意味では弱者になりやすい。

こういう状況になってくると、発達障害に対する社会的通説への優生思想的な思想の影響(或いは宗教右派の関与)まで気になってくる。
要は、本来障害では無いただの脳の特性が障害とされてしまったのではないかということ。
強者のために。
陰謀説にならないように注意は必要だけど。
マイノリティ(単に少数派という意味)を無かったもの、或いはなき者として社会を成り立たせようという、真の目的というものがあるとしたら、それは何のためなのだろうか。
発達障害ビジネスってこと?
うーむ。もっと深そう。
だいたい西暦にして1900年以上の間、恐らく発達障害的な人はいたんだろうけど、社会は回ってきてたわけだからね。
発達障害って言葉が出てきた頃から僕のセンサーが違和感を感じてるのよね。何で突然言う?って。
僕の違和感センサー精度良いのよ。
カルトも違和感当たってたし。
むしろ発達障害や統合失調症には天才的な人も多いから、この辺り関係してる?
全体主義(管理社会)的側面からの考察が必要?
わかんないけど第六感。
まあ、発達障害はコミュニケーションが下手というのはあると思うんだけど、多くの人が違う才能に秀でてるし。
画一化した社会幻想(思想)の先にしか、これを否定する材料にならないと思うのよ。
要は支配者に都合のいい製品としてみると都合が悪い。合理主義者からすると厄介で手がかかる。いじわるな見方をするとそういうとこから出てきたんじゃないかと。
もちろん、性善説的に発達障害者の生きづらさを何とかしようってならまあアリかもしれないけど、日本はこういうケアが下手で、えてして逆の悪い方へ行っちゃうからね。
しかしそれにしても何でもかんでも優生論を当てはめると、全てが優生である人はほとんどいなくなる。全てが平均点な人はいないと同じこと。誰が得になるのか。支配者だけでは?うがった見方をするとこれが狙いか?という陰謀説じみた妄想も成り立つ。
というような思考プロセスを経て、わたしはものごとの可能性を日々想定している。想定したまま判断を保留しておくのである。何かって時にすぐに動けるように。

優生思想の人達は、まず自分が優生であるという勘違いをしていると思う。
優生なのではなく、自分の属性を優生と思いたいだけの、人格の未熟さによるオナニーを集団でしているようなものである。
ここが病的であるが故に優生思想は病的である。
人は一度は自分が神にまつわる存在ではないかと妄想するのではないか。これが病的なまでの盲信となると教祖などと言い出すのだろう。教祖に神の要素がもしあるとするのならば、その程度のものは人類に等しく備えられているのではないかと私は思う。教祖とは占い師と同様呪術性に長けているだけだろう。

陰謀説みたいなことは、はじめにはまずないのだろうけど、場合によっては、誰かが言い出すうちに生まれる・育つみたいな展開がありそうに思えるから厄介だ。誰かが状況を利用しようとしたりという意味で。実現可能性のないことは実現のしようもないのだけれど。
すなわち陰謀などなくとも陰謀説を計として利用するものはいるかもしれないという。邪魔くさい。

なぜ世界はこんなにもトチ狂っているのだろう。昔の人の言葉を散見するに昔からトチ狂っていたようではあるが。
このところホンマに狂い咲きしていて目眩がする。
今、日本という国がまともに機能してると思う人、手を挙げて。
マジで何人くらいいるの?

今のままいこうとする目論見を感じるが、今の延長線上に、豊かで実りある社会の実現が可能とお思いか?
回答を差し控えたら罪を免れるのか?
知らなかったと罪を逃れようとするものが、次に、知った上でどうするかという責任を放棄し、何もしないことを、我々は黙って傍観するのか?

洗脳を受けた信者は、人間のある根幹的な部分についてのみ注目すると、既に人間ではないのではないか。
その根幹的な部分が何であるか、今言語化できないが、それを言語化することこそが、カルトの問題の本質を捉えたことになるのではないか。

全体主義的な統一化に抗う時、これを推進しようとする者たちを排除したくなるパラドックスというものが、1番人間にとって厄介で難しい問題だ。
人は敵を作らねばならぬのか。敵と戦わねばならぬのか。これは人類に与えられた命題だ。意図された命題かはともかく、多様性は自らに相対する存在も生み出すことが自然の摂理であるため、この世界に生まれるものは、宿命的にその命題に対峙することになる。
まあ動物などは宿命に抗いもしないのだが。
資本主義対共産主義とか言ったレベルで思考が止まっている人は、わたしの日々思案していることから数百年遅れたとこで争っている。
旧態依然の思考停止である。
対立の先に最適解は無い。わたしは対立ではなくそれを超えた向こう側にあるものの話をしたいのだ。
わたしは二項対立を超えた向こう側にある話をずっとしたいのだ。
これがわたしの世界に対する焦ったさである。

人の忠告や助言には、感情的にならずに、役に立つ視点がないかくらいには、冷静にセンテンスを俯瞰することである。昨日の自分を超えるヒントが含まれているかもしれない。


うたた寝をしていた。
目覚めると同時に何かを考えていることがあるのだが、今考えていたのは、人の言説において立場というものがどの程度影響するのかということ。
寝起きでよくわからないが大人になると立場というのはかなり支配的になってくるのではないか。
子供のいる家庭など、ホンネより親としての立場(都合より強いもの)からモノを言うのではないか。
要するに人は社会性における役割から逃れられない、というより、自らの意思で自らが果たすと考えた立場から発言をするのではないか。
そんなことを考えた。
このような時、果たして人は自由なのか。自由度が高いかというとそれは限定される方向なのだが、それが自由ではないのか?というと、果たして、そうとは言えない気がする。
つまり、その人がどういう立場を取るのか。ということに自由が介在する余地があるのだ。
ということは、その人がどんな立場を取るのか。その立場(を選択すること)に対し、どれほどの個人の意志が働いているのか。ということが重要な気もする。
とは言え、見合い結婚、仕方なく選んだ就職先、といった受け身から派生した立場の中に、全くの自由がないか?というとそれも違う気がする。
ビート詩人のように思いつくままここまで書いてきたが結論はない。わたしが捉えようとしたのは自由のほんとうの姿なのかも知れないが、捉えられないものこそが自由なのかもしれない。
いわゆる不自由ということが、果たして人からほんとうの自由を奪いうるのか。ほんとの自由とは果たして何なのか。
つまり、ガキが自由と聞いて連想するような、奔放に生きる。という意味の自由を越える、高次?の自由というものが存在しているのだ。

一見ロジカルな正論を主張しているような人も、よくよくその内容を見てみると、ある立場からの立場の主張(詭弁)をしているにすぎないことはよくある。
(ロジカルな言説と、ある特定の立場を取らないこと。これを両立できるアプローチとしては、原理やメカニズムのみを客観的に解析することが考えられる。他に有効なアプローチが考えられるだろうか?)

先日、人の発言は立場に影響されると述べた。
反対の意見をいう時は反対の立場から言うことが非常に多くて、相手の立場から出た発言を否定する時、自分の立場からモノを言っていることが多い。
話を端折るが、主張しているのは、言葉の正しさより、立場なのだ。
これを、言っていることがおかしいと言ったところで、おかしいに決まっている。立場を主張するために人は話をこじつけるのだから。
正しいロジックで話すために人は生きてる訳ではあるまい。ロジカルな論法は目的の為の手段であり、手段として重要というにすぎない。
矛盾するロジックを指摘するのも、矛盾するロジックを、多くはその立場を否定するために否定するのである。
繰り返すが、多くの人は相手の立場を否定したい時に言説の正しさ(ロジカルさ)を否定する手段を取るのであって、否定したいのは相性の立場なのである。
ほら。立場を同じくする人が矛盾することを言っても気にしない、或いは、目をつぶるだろう?

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。
これは我々の時代にはびこる病気だ。
- パブロ・ピカソ -
ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。
わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
- パブロ・ピカソ -
私は捜し求めない。
見出すのだ。
- パブロ・ピカソ -
#日曜美術館

Mary Fedden
Barbara Perrine Chu
Jesse Dayan
Gigi Mills
渡部明美

因習というものに囚われる人がいる。
因習から自由な人がいる。
因習から自由な人の行動を見て、因習に囚われた人は、「常識」を持ち出し不快を訴える。
我々は囚われた因習が何かによって前者の役割と後者の役割をどちらも果たすことがある。


型がある。
型の自由がある。
型からの自由、つまり型が無いことの自由がある。
そして、型があることから派生した自由と、型がないことから派生した自由がある。

良すぎる。楽器が思うままにひける人が羨ましくて仕方ない。


【ユテ族の言葉】
わたしの後を歩くな。どこへ行くか分かっていないときもあるのだから。 わたしの前を歩くな。わたしが君についていかないこともあるのだから。 歩くときは横に並べ。さすればわれわれもひとつになれるかもしれない。

結局のところ、人生は人を喜ばせたもの勝ち。
色々とまわり道もしたが、そういうことなのだと思う。

この世は喜ばせたもの勝ちではないかと。
御礼を言うだけで喜んでもらえるならこんなにお互いに良いことはない。
御礼を言わない理由がわからない。

幸福とは幸福を問題にしない時をいう。
- 芥川龍之介 -

#飯テロ

ゴーヤチャンプルーの巻

ウナギーヌ

愛知のスーパー
大阪のデパート

やったー。今夜は冷麺。むっちゃ食べたかった。ひとり焼肉行きたいほどに。

ご近所ラーメン。塩。

月収が数千円だけだが上がったので、奥さんが祝いに買ってくれた。
このご時世にありがたいことだと思うくらいには希望のない不遇な時代である。

このビーフジャーキーうまい!

久しぶりのボウモア美味い(涙)。ピート臭がたまらない。(ロックでちびり。)

チンザノ的なものが無いかと思って物色していて紅茶のお酒を見つけた。ロックで一杯。さすがフォション。美味い。が、紅茶に砂糖をどっぷり入れても似たような幸福を得られるだろうとも思ったり。

アサヒビール販売ニッカ製造です。

メルカリ売り上げ金で違う商品を買った。その商品をまた売った金でまた違う商品を買えばずっとお金はいらない。人生に勝ったな、これは。

無理が通れば道理が引っ込むというが、道理を無視し続けていると、いつかは自らを滅ぼすことになるのだろう。天命は遅れてやってくるので、子の代、孫の代にという場合もあろうが。
神さまがいるかいないかは置いといて、天の道みたいな定石から外れると、再び混沌に飲み込まれるようだ。また天の道を歩んでいようと、人の道を踏みにじると怨みを買い災いを招くこともあるだろう。
若いうちはやりがちだが、人を茶化していてもいいことはない。これが冷やかしともなるとデメリットの方が大きい。最もアカンのは尊厳の冒涜であり拗れると最悪命を失う。

焚書(ふんしょ、本を焼く)的な文化の破壊には、俺は本気で抗うからな。

細かいこと(こだわり)に囚われて(意識が行って)、もっと重要なこと(大局)が見えなくなったり、隠された悪意を見逃す人がいる。所謂いい人と言われる人(善人)に多い。しかし、世の中には、これを意図的、或いは、本能的にやる、所謂「ずるい人」がいる。
注意深く悪を拒むには、そうしたことまで注意深く観察する慎重さが必要。

『生きる』全文
生きていくには。丁寧に生きていくには。かくされた悪を注意深くこばむことが必要である。

生きる
谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

まあ。世の中にずるい人がいたとして。
明るく親切にじょさいなく生きていれば、ずるい人もその人にずるいことはしない。というようなことを奥さんは言う。
ある程度正しいと思う(傾向としてはそうだし。かと言ってそれを越えるずるい人はいると思うが数は極少ない。)
そして、母はそれをじでやってきた人なので、人はそうすることで人と助け合える実例も見てきた。
相手に難があるなら、その難を越える人に、自分がなってしまえ。という話である。
自分にそれができるのか?というと、感情が拗れるとなかなかにそれは難しいことも知っているのだけれどね。
どうしても無理なことは手放せばいい。無理なことに拘りすぎるのも、それは執着である。

できる人ほど適当。というのは傍目にはそう映るかもしれないが、要は適当にしてはいけないことと、適当にしてよいことの目利きが利くから、人から力を抜いているように見えてもポイントを確実に押さえているのである。適当にしてはいけないことは、絶対に手を抜かない。

完全とは未完の中にしか存在しない。という逆説を含むのではないか?
僕ならこんなレトリックで煙にまくね。

多くの人は何を言っているかより誰が言っているかで言説の重みづけをしがち。
少なくともそういう特性があることは自分で知っておいた方がよい。
いきすぎると誤ったジャッジをしかねない。


Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
 
- John Lennon(ジョン・レノン) -
 
人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ。

Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
 
- John Lennon(ジョン・レノン) -
 
僕の言うことなんて、半分は意味もない。ただ君に聴いて欲しくて話しているんだ。

Our life is our art.
 
- John Lennon(ジョン・レノン) -
 
僕らの人生は、僕らのアートなのさ。

温故知新の大切さをひしひしと感じる。
いわゆる古典というか、ずっと昔からある普遍的なこと。それを粗末に生きると道に迷ってしまうよ。
無駄に道に迷うより、良い道で良い旅をした方がより豊かな人生になる。
巨人の肩に乗れということ。
過去の遺産はほんとに遺産だということ。

暑い。もう秋になりたい。

夏やし。

目的を達成するのに最も効率の良いやり方って、案外他のことを犠牲にしてしまって悪い手ってことも多々あるんだよね。

「根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」
「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。」
--夏目漱石




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?