つぶやき2023.3.27-4.2
出過ぎた杭が打たれないのは何故かご存じですか?
関わるとめんどくさそうだからです。
集団で個を攻撃するのは、漫画のマンモスみたいに狩りなら有効だったのかもしれないけど、狩りで有効なことを人にやるのはすごく残酷だよね。
集団リンチは怖いよね。
する自分も怖いよ。
タイマン勝負に多勢を引き連れてくるやつは昭和の漫画世代にはチンカスに映る。
助さん、格さん、やっておしまいなさい!
喧嘩するなら相手に反撃する気が失せるまで徹底的にやらないと仕返しを受けるリスクがあるとヤクザから教えてもらいました。(漫画で。)
しかし、当然殺してしまったり暴力を行使したのではリアのところ遺恨を残すものです。
そこで必要になるのは◯◯です。
あなたには今二つの選択肢があります。
一つは現金を振り込んで◯◯の答えを聞き出すか、◯◯で大喜利することです。
後者の方を賢人と呼びます。
全国の馬鹿の皆さんは奮って現金を送ってね😉
他人のふんどしで土俵をとる人って衛生感が気になるよね。
勝負を決めるなら相手の土俵でふんどしを取りたいよね。
圧倒的金銭不足!
政治家に肩入れする人の気がしれない。
見るべきは政策では?
利を目的に後援会に入ってる方がまだわかる。
赤の他人に何を肩入れしているのか。
民主党の何とかいう議員みたいなのを、口は災いの元。という。
言葉尻に揚げ足を取られて足元を掬われる。
自民党の何とかいう議員も場あたりでとても重要な局面を任せる器ではない。
高度に発達した二大政党制の成れの果ては、アメリカの政局を見れば察しがつくが、それもまだ人類の成長過程の途上かもしれない。
日本はまだそのスタートにも立っていない政治の未熟な国である。アメリカのいいようにされるのが当たり前な実力である。
センスのないジジイが多すぎる。
センスがないのにリードを取ろうとするから目も当てられない。
力の強い人間は全ての発言が脅しになるリスクを孕んでいる。
そこんとこもっと自覚して『慎重に』なるべきだね。
自覚して脅したり、慎重に脅してたら、心臓の発作で最大限苦しんで死ね。と思うけどね。
真に大人にならず歳とってく成人が多い。
成長は人なりとは言えトホホ感が拭えない。
取るべき責任だけを取るのがちゃんとした大人です。
様々なタイプのこの逆パターンばっかし目にする。
若者に教育上良くない。
藤井聡太さんくらいになるとAIと同期してるんだと思う。(妄想。)
#マウント講座
皆さんこんばんは。マウント講座の時間です。上司による部下へのパワハラなど実際のパワーバランスによる実害のあるマウントをしたのでは皆さまに喜ばれません。ギャップが無ければマウントは芸にはならないのです。
それでは具体的に例を挙げていきましょう。
その1:対象がやたら広い。
不公平がでないように例えば全人類に対しマウントすると良いでしょう。
その2:マウントをかける相手が圧倒的に強い。
社会のリーダーが最低のラインです。神を対象にするなど相手が大きいほどシャレになります。但し絶対的安全圏から聞こえないようにマウントしましょう。
その3:モノにマウントする。
但し特定の人の創作物に対しマウントするのは好ましくないでしょう。無機質なもの、海や山などの自然を相手にするなどセンスが問われます。
その4:自慢にはとてもならないことをマウントする。
傷つく相手がいないか配慮しましょう。傷つく相手が自分だけでもシャレになるか注意。
以上のように、マウントで大切なポイントは人を傷つけないことです。
圧倒的に力の強い存在にマウントするのはギリギリでアリの線かと思いますが、言われるほうも、まあ言われるのも分かる。と納得してしまうようなセンテンスを心がけると敵を作らないでしょう。
以上、社会を円滑にするためのマウント講座でした。
このメーカー、商品の目の付け所も質も良い。
今週のご馳走さま。
#飯テロ
皆さん。
これが宇宙(コスモ)です。
AIの開発中断の是非は僕AIじゃないからわからない。
ただ全く新しい技術には想定して無かった事故が起こるリスクが無いとは誰も言えない。想定しえないってことは取り返しがつかない場合もあるかもしれないから、想定するだけしてリスク対策可能と踏ん切れるとこまでスピードを制御するのもわかる。
ただし時間が経ち技術が浸透していくと悪巧みしようとする人も知識に伴い悪さが深刻化するから今回が実証実験だったとするとみんなよくわからない内に大量のユーザーによるデータを取れたのは必ずしもアホなやり方ではなかったと思う。次はビックデータの解析が賢い。
生かすも殺すもこれからだね。
(ま、破壊的な技術だから既得権益者の利権も絡んでるんやろうけど。)
一世代上の人達には、金儲けのために消費されやすいものを商品にしたがる印象があるけど、消費されやすいものって文字通り消えてしまいやすいんだ。
僕が世の中に何かを送り出すならなるべく消費されにくいものを。って思うね。
昔の目標管理制度というのはまだわかりやすかった。
今は期初に高い目標を立てたら期末の成績は3(期待通り)になってしまう。
そもそも制度自体がインチキではないか。
(悪魔の制度では?)
そもそもそのシステムの目的は何か?
大事だよね。そもそもここがおかしいとか利害がずれてたら少なくない人に苦しみを与えてしまう。
平成の間に世界の価値観は大きく変わった。
良くなったこともあるけれど、社会的な価値に限定すれば、その変容は私の価値感との相溶性が失われていくことばかりだったように感じる。
人間として大切なことが価値を失った。
その平成時代の価値観と相溶した人が今の社会のリーダーであるわけだから、令和もその価値観が主流として力を持っているわけだ。
昭和の時代は何だかんだ言って会社好きな人も多かった気がするけど、特定な企業の話じゃなくて一般論として、今会社好きな人っているのかね?
せいぜい数%になってしまったのでは?
仕事は好きだけど会社は嫌いみたいな。
業務だけを分離した価値?と捉えるみたいに割り切った個人が多いのでは?
会社と業務は別人格。みたいな。
もの言う株主は余計なこと言って金になるのに、もの言う従業員は大切なことを言っても損をする不条理。
そもそもおかしくない?
おかしいから不条理なんだけど。
二人の人間がいる。二人の価値観は違う。一人は自分の価値観を絶対に譲らない。もう一人が全体を考え折れ続けている。
全体を考えた人は一生損をし続けて、我を通した方が一生得をし続ける。
そういう社会では?
人には利を与えず不利を押し付け自分は100の利が無いと許せない強欲さ。
それがこの星では成功者らしい。
気に食わないなら出ていけば?
ってそこまで相手にリスクをかけさせて平気な厚かましさよ。
悪いのはお前の方なのに。
これが悪い人の佇まい。
社会的に損をするのはいつも善人。
ただ我慢をし続ける人達ばかりだから立ち上がった人は孤立して損をする。
腐った世界に鼻がもげる。
と、ここまで言って結論。
個と個の対立は生まれがちだけど、集団を敵視してしまうと、話が深刻化してでかくなるよね。冷静になったらわかるけど、集団て個の集まりで、本来集団の中には対立しない個もいるはずだもの。
だから相手をカテゴリーで一括りにして敵視するのは好ましくないね。分断するだけ。
個と個なら喧嘩もあるだろうけど集団の喧嘩なら社会問題になる。
集団が集団としてイデオロギーを発する時は集団を敵視しがちでやっちゃう時はあるけどそれも本来戦うべきは人じゃなくて論だけを議論すべき。
理性で理屈だけ考えたらわかるだろうけど、人間は感情の生き物で、話を感情抜きで見れなくて話が変な方にばかり行くんだよね。
もちろん過ごした年月で確度は上がっていくのだが、わかってくれているだろう。という自分の思い込みを信用しすぎてはいけない。もちろん気がつくタイプもいるだろうが、言わなきゃわからないどころか言ってもわからない人もいるし、わかってても言われるまでシラを切る人もいる。
言ったもん勝ちが過ぎると人に嫌われるが、言わないと動き出さないのだから、沢山言った人が得をしやすいのはそうだろう。ナンパと同じで分母の問題。
感情と切り分けると理性はこれを理解する。しかし感情やプライドが行動を抑制する。
ジタバタするなよ。世紀末が来るぜ。と歴史は語ったが、ぜんぜんジタバタしていいと思うよ。
自信がない内って、自分がジタバタするのを人にみせる度胸がないんだと思う。
どう?
はっきり言う。
再びご機嫌になりたければ、憎しみを振り切らなければ駄目だ。
憎しみを断ち切るか、憎しみの速度を超えろ。
モテようとしている。
憎しみの力を弱めるには、外に攻撃をしかけても駄目である。自分のOSを更新するしかない。
外は変わらない。少なくとも自分が更新するまでは。
ご機嫌目盛
泡のように増え続け
あてもない人の洪水
不思議な裏の世界
私はさよならする
値打ちもない
華やかさに包まれ
夜明けまで
付き合うと言うの
その日暮らしは止めて
家へ帰ろう 一緒に
何度も言うようにミスやエラーを除くとこの世の問題はすべて程度の問題である。
つまり、程度がおかしい。バランスが悪すぎる。という話しかしていない。
【警戒心はとても大事だとは思うのだけれど、なにもかも警戒していれば安全かといえば、そうでもない。なんというか部屋にネコの出入り口があるように、だまされたり失敗したりの穴は開けておきたいものだ。 】糸井重里・今日のダーリン3月28日
【ちょっとくらい「だまされる」こともないと、いろんなものにも会えないんだよなぁ。絶対にだまされまいとしている人には、ハエもカも、ハチもカブトムシも寄ってこないだろう。】
確かにねえ。
僕の場合、騙されてもいいのは、負けがおりこめるとこまでだなあ。そこはある程度おりこんでる。(他人の場合。)
あと、相手が得したいのが見えてもいいんだけど、常にこっちを損させる気の人からは離れるね。
まあ、そういう風に計算しようとすると機会を失いますよ。ということを言っていて、特に若い内はそうだろうけど。
老後が近いと、話によっちゃダメージも気にするよね。
わたしは会話をしていて、メインストリームで話を続けながらも、ほぼ同時並行で脳の一部だけ脱線し、連想ゲームをしている。
わたしのようなタイプもいると思うし、恐らく知的生産性の高い仕事をしているだろうが、ついその脳の飛躍が会話に現れて、コミュニケーションが問題とまでは言わないが、相手に奇妙さを与えていることだろう。
こういうタイプがいることはもっと社会に啓蒙されて良い。違うタイプには頭が悪いとすら思われている悲劇すら想定されうる。
変なのではなく頭の回転が早すぎるのだ。
許してやってくれ。
ロシアに攻撃されたらベラルーシから核兵器を撃つことを想定しているのだろう。それを想定するということは、ロシアは強硬な姿勢を改める気はないということ。
ため息出るね。
そしてベラルーシが核兵器を撃ったらロシアが撃ったんじゃないと、ベラルーシに責任をなすりつけ、責任逃れするつもりだろう。
不満が爆発する時は、長い時間をかけて不満が溜まりに溜まって、あとほんの一つのきっかけで爆発することになるので、何か一つを原因に特定するのは本質を見失うかも?
外交努力っていうのは、ずーっと必要なの。
相手人間だから。
人間関係を大切にするのと同じ。
アレってことしたら普通終わるよ。
ま、外交の場合は、そのアレって後も最善の努力しないといけないから、もっと忍耐いるんだろうけど。
嫌らしい話がいっぱいあるのはすっ飛ばして、基本部分は。
と思うんだけどね。
アレってことする国ばっかりだね。
大丈夫ってタカくくってのかね。
平和になりますように。
人は誰でも利害を考えるもんだけどさあ。
程度問題ってあるじゃん?
全部問題になってんのは程度の問題なんだよね。
誠意って何かね?(文太風に)
誠意の内、半分くらいはお金で代替(等価交換)できる。綺麗事を抜きにすると。
だからこそ罰金刑で済まされる犯罪があると考えられているのだろう。
だから誠意を持ち合わせていないお金持ちもいる。
もちろん罰金刑では済まされない罪もあり、例えば、死刑とは、死んで誠意を見せろ。ということなのである。わざわざ言わんやろけど。
強欲ってのは問題を作るね。
足りないって言って人の分まで取ろうとするからね。
取られた方はそりゃ恨むよ。
生み出してんならまだしもね。
パイを奪ってるだけじゃあねえ。
自分の儲けを考えるのは勝手だけど、こっちの儲けも考えてくれない人には、寂しい老後になる呪いをかけたいね。
一本の花が咲いていました。その花には・・・。
捨てる神あれば拾う神ありという。
捨てる神には固執しない。厄病神でない限り拾う神は大事にした方がいい。
切り替え大事。
余計な神はこちらから捨てていくスタイル。
何度か言ってるけど、人の行動はその人の行動原理に支配されている。潜在意識を含めた価値観により意識的な行動は選択される。
だから行動原理が同じ者同士だと利害が一致しやすいんだけど、異なると価値観みたいなものが違うからいつまでも議論が平行線をたどる。
例えば、原発を採用したい人は金銭的利益を第一の価値と見ており、安全性は配慮もするんだろうけど、優先順位は低い。これに対し安全が第一の価値の人は、その他のことは優先度が低くて、その場合の最適解は代替エネルギーってことになり、話は平行線になる。
だから、どちらからも歩み寄って譲歩できる線を探さないとどちらかの不満が残る。
これを今までの自民党は賛同者の意見しか聞いてこない(例えばだよ)みたいなマネばかりしてきたから、行動原理や価値観が違う人達とここまで分断してしまったわけ。
自民党が悪い、野党が悪いって、どっちも反省点はある。
我を通すばかりで課題の解決に本気で取り組んでない。
お互いそれなりに努力してんだろうけど、1番知恵を働かせなきゃいけないとこを全く置き去りにしている。
人間関係の問題のほとんどはこれと似た構造をしていて、ここんとこの解決を図ろうとしない限り、永遠に人間は争いを続け、戦争も無くならない。
社会をアテにしない。とは、社会の価値観に見切りをつけ、とは言いつつ価値観の合わない社会からでも狩りや出かせぎに出かけて生活に足るだけの日々の糧を作り、自分の価値観は自分で大切にして日々を豊かに生きることである。
STAND UP うしろ髪なんてひかれない
STAND UP おもちゃになんてさせないわ
STAND UP 立ち上がります明日から
STAND UP 言いなりになんてならないわ
STAND UP うしろ指なんてさされない
STAND UP 噂になんてさせないわ
STAND UP 不幸わせなんて似合わない
STAND UP 立上がります明日から
例えば成功しかしなかった人と失敗しかしたことがない人がいたとする。
お互い自分の経験はあるけど相手の経験はない。だから例えお互いの話をしても自分の体験から相手の気持ちを類推することはできないよね。
だから相手の気持ちを色々察してあげたかったら、色々経験しないと無理だよ。
全く同じ経験することはそりゃないんだけど、色んなパターン知ってた方が、察する感覚が近づく。
人の特性としてこうしたらこうなるということがあります。繰り返し述べているように人は行動原理に支配される生き物なので。
しかし多くの人は相手の行動原理から逆効果なことばかりをしてしまいます。得てして自分の感情を優先させるとそうなります。
ま、私の場合、そこまでわかってて敢えてしたりしなかったりもするんですけどね。
人が何かに価値を認めたり評価をする時自分1人で完結することならそれは例え絶対的な価値や評価であってもよい。しかし他者が関わる時には価値基準のすり合わせが必要である。ここで軸となる基準の価値が偏り誰かの価値と相反したり評価する方とされる方に認知バイアスがあったら不幸になるだろう。
(認知バイアスの本をポチリ。)
ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」がありますがこの言葉の誕生にはエピソードがあります。
彼は1人エロいことを考えていてつい「ムチムチ」と呟きました。側にいた弟子が聞き違えて「無知の知」とは何かと問いました。恥ずかしくなったソクラテスが咄嗟にアドリブかましたのが今日まで伝わったとされます。
「美しいものと悲しいものにはどうして親和性があるのだろうね?」
「それは涙というものがとても美しいものであることを人は知っているからよ。」
やんこまりたい
ポッと出の女って、虎視眈々と機会を伺ってて、確実に獲物をしとめるスナイパーな気がする。(妄想。)
馬鹿は不滅だね。
生命力がすごいね。
何度も果敢に馬鹿さらすよね。
チャレンジ精神がすごい。
馬鹿は自分を曲げないよね。
芯が通ってるね。
馬鹿は振り返らないよね。
前向きだね。
馬鹿は他人を気にしないよね。
ブレないね。
馬鹿は馬鹿のままで平気だもんね。
気が大きいよね。
馬鹿は言うこと聞かないね。
自分を持ってるんだね。
馬鹿はすぐ腹立てるよね。
自分に忠実だね。
馬鹿はすごく自分が大事だね。
自分を大切にしてるのね。
おや?
馬鹿って何だか素敵に見えてきたぞ。
きっと行動特性はいいんだね。
OSに乗ってるアレがアレなだけで。
良いエンジン積んでる街宣車ってとこだね。
パワフル。
だから迷惑半端ない。
生き急いで死んで。
幾ら個人が良い考えを持っていても、共有しなければ話は前に進まないし、知恵を出し合った方がより良い考えになるのだ。
環境の変化に腹を立てる人がいるが、まあそれが人為的なものならその人に腹を立てるまではわかる。致し方ない環境の変化に対しては感情を爆発させても疲れるだけなので(無駄に終わる)、むしろ環境に対し最適化していく方が建設的。
ほんまに気にくわんなら破壊しろ。(暴力ではなく知恵で。)
もしあなたが格の違いを見せつけたいなら、長い時間をかけて自分の格を高めるか、格下の相手を見つけるしかありません。
どちらを選ぶかで人の見る目が変わります。
人の体の成長については(あくまで比較的に)個人差は少ない方ですが、能力や内面の成長は個人差がとても大きく、人により時期も異なりますし、成長速度も等速ではありません。
これがむしろ当たり前なのですが、社会の仕組みではあまり考慮されていません。
多数派や平均に合わせたシステムはコスパは良いかもしれませんが、時にマッチしない人にとって悲劇をもたらします。そのために柔軟性や最適化のための努力が好ましくあります。
例え話ですが、チューニングされてない楽器の音は、音楽の才能に恵まれた人には苦痛になるかもしれません。
才能は惜しまないほど豊かになります。
後ろ向きでも180°回転すれば前に進むんです。
良い話の後だとこれも良い話なのかなと考えてしまう言葉
そしてやっぱり後ろに進んでいるのだが。
親しくしていた知人に久しぶりに会ったらこちらの顔が変わりすぎて誰かわかって貰えませんでした。ぎこちない感情のまま一緒に食事に行くことになりました。夢。
本能的に腑に落ちたり嫌な予感がするのには直感が働いており、あなたの直感はあなたを助けるのに役立つことも多いでしょう。
しかし、ビビッときた時には少し疑うくらい慎重になった方が良いです。脳の伝達物質の作用かもしれませんが興奮した時脳はデータを冷静に分析していないはずです。
信頼とは、関係を重ねてゆっくりと築き上げてゆくものですから、私のツイートを信用する必要は全くありません。
ただ、あなたが経験を重ねていく道程でアレかと思い当たったり、思わず役に立ってしまう場合もあるかもしれませんが、悪しからず、ご了承ください。
若い時はスキを作ると物事がうまく回るんでわざとスキを作った。
のんびりしている上だからほんとに頭の悪い人達はわたしを馬鹿にしはじめた。そこまでいくと物事は悪循環をはじめた。高圧的ではないけれど一切スキを見せないのを何年か続けた。そして再び信頼を得たけど得たものも失ったものもある。
手は2本しかなく掴める数が限られているのと同じように、人間は全てを手に入れることはできないみたいで。
何かを手にして荷物がいっぱいになったら、何かを手放さないと新しいものは手に入れられないみたいだ。
憎しみもこれに似ていて、憎しみでいっぱいになっていると、もう幸せの入るスペースがないんだ。
憎しみを手放すと、そこに大きなスペースが空くからね。
沢山素敵なものを手に入れられるといいね。
50も過ぎようやくオムツが取れました。
おっぱいはまだ恋しいです。
オンオフの切り替えは大切だが俺くらいになるとオフの時ほんとに電池切れる。
うちの奥さんは、謝るより謝るようなことをするな派で、それはほんとに酷いことをしたなら謝るくらいじゃ相手の気は済まないと考えてるからなんだけど、謝りすらしないのも相手をずっとイライラさせるよね。
これも程度問題。
悲しいときは心の中で「つらたん。」とつぶやくといい。
それが祖父の知恵だった。(嘘。)
悲しみに対し、心が弱ってる人は、逃避というか、悲しみを見ないように目をつぶっている人もいるのかな。
悲しみを乗り越えられない人へのマウントじゃ決してなく、自分の人生に対する振り返りだけど、喜びも悲しみも、そのもの100%の喜びや悲しみを感受できてきたかな。と思う。
悲しみの渦中にいる時はそんなこと言ってる余裕ないし、実際耐えられないような悲しみを経験する時にはこの世を呪いたくもなるだろうけど、喜びも悲しみもそのまんまを感じるということは、人生の醍醐味でもあると思う。
まあ子供のうちは100%くらいの悲しみを200%くらいに感じちゃうこともあるかもしれないけど。
引き換えに強さを手に入れるかもしれないし、だんだん喜びや悲しみとの付き合い方もうまくなってくと思うよ。
ものごとを好転したいなら、受け身でいちゃほんとに何も変わらない。相手は問題と認識してないか、或いはいけないと思いながらそのまま目を瞑ってやりすごそうとするもの。
あなたが動き出さなければ局面は変わらない。
しかし、高圧的な態度を見せるなら、話はますます拗れたり硬直しがち。
時には自分の感情や考えを一旦置いて、話を好転するための取り組みをした方が良いのだろう。
目的は幸福になりたいのだろうから。
人の助けが欲しければ、素直に人に甘えることです。意地になっても得はありません。甘えるという行動を取らない限りあなたの要求に人は気づかないのですから。困っていることすら気づかないかもしれません。気にしてないことに対しては人はほんとに鈍いです。
しかしお金をくださいと甘えてもなかなか人はお金をくれません。例えばあなたがボインでない限り。人はほんとに現金です。
人の気持ちを思いやり何かできることがないかと考え実際に知恵や労力を使って何かすることができる人は一等上等である。うちの奥さんや母親はこのタイプだ。自分のことも大切にはしているが人といる時は人の気持ちを優先する。所謂共感型かな。
私なんかはつい自分のことでいっぱいになってしまう。自分が何か抱えていたらすぐに他の人を考える余裕がなくなってしまう。言い訳のつもりじゃないけど、わかってほしくて理由ばかり説明しようとしてしまう。しかし、最初に言ったような人達はそんな理由など横に置いておいて、相手を先に気遣う。
私みたいな人は、自分のことが中心で、人が好きか嫌いかは別にして、人に関心が薄い。子供時代に友達も含めて他人に馴染むのが下手で(協調できないというより親しくできない)独りで(或いは家族だけと)過ごす時間が長かったタイプだろう。
要は人が何を喜ぶかという経験の引き出しが足りず、しかもそうなる素養が無い。
無いものを無いと言っても社会は存在し人生は終わるまで続くのだから、社会で人と生きていくための、自分のやり方を綺麗事抜きにスキルとしてでも身につけなければならない。
例えスキルであったとしてもそれで相手が嬉しいのであれば良いのだし、人と楽しい時間を共有できるなら、相手も自分も幸せになれるのだ。
もちろん、共感型となった人間も、それはそれで幼い頃の生い立ちが影響している可能性はある。
人が世に出て自他の区別がついてから、他から自分を守ったり、他に働きかけるやり方を、人は独自に、それこそ、トライアンドエラーで学んでいく。
どう自他を区別してるかも人によるだろう。
対人関係というのは一括りにされるが、バリエーションがありすぎて、パターンというものはあろうが、人は個別の問題を抱えているのだ。
例えばそんなことを少し知っているだけで、人は人に優しくできるかもしれない。
優しさは想像力から生まれるのだ。
天国はみんなおんなじようなイメージで地獄には様々な具体的なイメージがあり、天国は退屈だみたいな話をする人もいたらしいけど。
幸福っていうのは、例えば金持ちになるとか、社会的に成功するとか、ワンパターンと思い込んでる、或いは、思わされてるかもしれないけど。
ほんとは幸福にも色んな形があるんだ。
そして、大風呂敷を広げた幸福以外にも幸福を見出せるなら、例えば恋人や家族とか友達とか小さい単位の人達とも分け合えるし、なんなら1人でその幸福を感じることもできる。
不幸ってのは個別の事情に起因するから、問題の解決には個別の検討が必要だけど。
人間長く生きてればみんな色々な問題を抱えるもんで、話してみれば同じような目にあってるとか、そうでなくても似たような経験から人の痛みを想像することが、多くの人間にはできる。
だから、悲しみっていうのも、自分が閉じさえしなければ、人と分け合って負担を軽くするチャンスがあるんだ。
もちろん、その日の天使が現れなくて、1人で悲しみを抱えなきゃいけない夜だってあるんだけどね。
同じ夜がずっと続くわけじゃない。
世の中には大変な人が沢山いる。
人の数だけ地獄があるだろう。
自分の地獄と人の地獄を比べてどっちが不幸か競っても仕方ない。
その人の地獄はその人には地獄でしかないのだから。
地獄に存在価値を見出すならば人の地獄を見て苦しみに想像が至るようになることだろう。それも地獄での過ごし方次第。
地獄でうめき続けたいのか、地獄で裁かれたいのか、地獄で救いたいのか、地獄で風を感じたいのか。
例え地獄にいようと、地獄での生き方を決めるのは自分である。
昔の映画のように、あからさまなハッピーエンドの物語もそれはそれで嫌いじゃない。説明がくどいとやだけど。
リアリティは大切だけどフィクションに求めるのはその質感であり、現実に悲惨な物語が溢れてるのに、わざわざ悲惨なだけのフィクションを見る気はしない。あくまで個人的には。
アキカウリスマキなんかは悲惨なんだけどユーモアを感じるし最後に希望の明かりが見えて。そういうのは好物。
鉄分を摂りすぎると身から錆が出ます。
忘られぬ
人の心を
置き去りに
桜の花の
はらはらと散る
#短歌
よし!
最後に訃報が。
RIP