さよなら、ろくでもないひと。
削られ磨かれた宝石だったり。洗練され活けられた花だったり。無駄をなくしてきらめくものがあって。あくまでわたしの人生にとって、きみがその無駄なものだった、ということになってしまった。残念なんだけど、でも、さっき告げた「さよなら」が正しかったって。間違ってなかったって。心の底から思っている。疑うことも、迷うことも、ためらうこともできないほど。正しいさよならをわたしは選んだんだって、確信している。
さよならをきちんと正しく選んで、わたしはわたしの人生をここまで守れてこれた。それは誇らしいことで、でもやっぱり悲しいことで。きみも、わたしにとってあまり良くない過去としてわたしに記憶されて、忘れられる。たまに思い出されて、重たいため息になって吐き出される。その部類に入ってしまった。残念です。
きみのおかげでわたしはまたひとつ賢くなって。きみのせいでわたしはまたひとつあきらめに近づいてしまった。ひとりで生きていくのを嫌がりながら、それでもずうっと、ひとりで生きていくほかないのかもしれないなんて、恐ろしい予感を、きみはわたしに手渡ししてきた。本当に、ろくでもないひと。あーあ。あーあーあ。
このひととふたりで生きるよりはひとりが良いなって、そういう気持ちで振りかざすさよならは、もうやめたい。やめたいのに、繰り返してる。
せめてわたしは、わたしを大切にしたいから。そんな気持ちで、さよならを選んでいる。わたしなんてどうでもよく思えたら、わたしはきみとか、きみと似た、過去のろくでもないひととかと一緒に生きることを選んだのかもしれない。それを幸せだって、思い込もうとしたのかもしれない。
でもわたし、そんな未来ならいらないんです。笑って捨てていたい。その結果ひとりの今があるのは分かっていても、でもわたしがおかしいなんて、思えないんです。やっぱりわたしは、わたしにちゃんと幸せでいてほしくて。
いつか、今までのさよならを、わたしの生き方を、全部本当に正しかったんだって答え合わせするような嬉し涙を流せたら。わたしはその時やっとわたしの人生に、心の底から安心できるんだと思う。そんな瞬間、いつか来るのかはもうわかんないけど、諦めきれずに期待している。夢をみている。愛されるその日を、待ち望んでいる。馬鹿みたいかもしれなくても。
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