二度と作れない味
元気をもらった味…私にとっての“それ”は、病院で食べた「母の餃子」
病院で母が作った料理を食べられたことは、今思うと“不幸中の幸い”だった。
中1の秋…部活中の大けがで骨折。なんと生まれて初めて入院したのだ。
骨折によって傷ができたため、点滴で抗生物質を投与しなければならず入院が必要との医師の説明。まさか骨折で家に帰れなくなるとは…考えてもみなかった私は不安でいっぱいになった。病院の食事は当時の私にとっては「大人の味」私の味覚もまだまだ発展途上だったので無理もなかったのだが、食事が合わないことはとても辛かった。
1日をベッドで過ごすしかなく、それほど空腹にもならないが食事が楽しみではない生活は入院生活を一層長く感じさせた。腕のケガなので歩けるし、内臓はいたって健康…私の場合、食事は制限の必要がないはず。そう思った母がいちおう担当医師に相談して、一品だけなら自宅の料理を病院で食べてもいいことにしてくださった。母からの思いがけない「うれしい食事」に、私が真っ先にリクエストしたのが餃子だった。
生まれたときから小さかった私は食が細く、一度にたくさんの食糧を食べられなかった。そんな私の大好物が餃子。餃子は皮がうどんなどと同じ材料で作られるので、主食とおかずを一緒に食べられる餃子は母にとっても都合のいいメニューだったのだろう。餃子の日、私は本当に“餃子だけ”を食べた。食の細い私が、餃子なら20個近い数をペロリ食べられた。
病室で懐かしい香りと再会出来た喜び。愛して止まない味との再会が本当に嬉しかった。入院生活で嬉しいことは面会くらいしかないが、大好きな母の味を食べられることが、心まで元気にしてくれることを十分感じられた。
もちろん餃子は自分でも作れる。しかし母亡き今となっては、同じ味にはならないのだ。長い間いつかは思い出せるとか、今なら作れるかもなどと思ったが作れていない。母の味への記憶がずいぶん遠くなった今でも、忘れられない味は「母の餃子」“あの日あの場所だったから”心に残り、元気をもらった味の記憶はこれしか思い出せない。いつまでも恋しくて大切な味です。
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