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今ならわたしが素直に受けとめてあげられる、わたしの原風景

わたしの家は、一時期(数年間)猛烈な貧乏で苦しんでいました。

赤紙があちこち普通に貼られてるような家でした。

世の中の一端が映し出されたような家でした、今にして思えば。

一番ひどいときには、家中をさがしても見つかったお金が、寝たきりの祖母が持ってた五円玉ひとつという様なときもありました。

兄になんでもいいからと言われ、とにかく何かを買いに近くの市場にその五円玉をもって出かけたのですが、当然なにも買えませんでした。わたしは余りにも幼すぎる子供でした。

ですが、わたしは、そこで社会に少し触れた気がしました。お金のありがたさ、こわさをその段階で理解したのです、ほんの少しですが。


家が奇跡的に持ち直して以降は、今度は次のような場面に出会いました。

わたしに会う大人の方たちの多くは、わたしの言うことには基本耳を傾けようとはせず、ほぼことごとく次のようなことをおっしゃっていました。

「生まれもっての金持ちの子は、呑気でええな!」「苦労知らずの子にはわからんやろうけどな!」

一事が万事こんな調子でした。

仰ってることの意味は、ある程度納得できましたが、それでもやはり、そこにはハッキリとした無理解もみてとれたのです。

やはり、自分の一番の理解者は自分自身なのです。

人は基本思いたいように思うんだなって、その時わたしは気づいたのです。

自分も社会に揉まれるうちに、いづれそうなるかもしれない、気をつけなければとの戒めの想いが次第に生まれてきました。

そして、自分の外に、自分を含めた全体が見渡せるような小高い所に、「もう一人の自分」を立たせるといったそんなクセというか習慣を、成長するにつれ、次第次第にわたしは身につけていったのです。


わたしは、その後ぐれることなく成長していきました。それは、基本母親のおかげでした。

ただ、初めて口にしますが、わたしを苦しめたのも、実はその母親なのでした。

そして、どこまでもわたしの人生に干渉し狂わし続けたのは、わたしの実の父親でした。

残念ながら、わたしは、両親から挟み撃ちにされたわけです。

それでも、今ならわかるのです。

母親は、きっと本当にさみしかったのだろうなって、いつも基本笑顔でしたが。自分の子供たちから、いつまでたっても、子離れ出来ませんでした。ただ、それだけのことでした。

そして、父親もまた本当に孤独だったのだろうなって、今ならわかるのです。

戦争のせいで、何もかもがめちゃくちゃにされて、強烈に自己を肯定して生きていくしか他に道がなかったのだろうな、って。

【 いい悪いだけでは見極められない、そんな曖昧な世界だってこの世にはあるのです。 】


で、このnoteで一ヶ月、自らを改めて振り返ってみて、心に問いかけて問いかけて考え考え表現しているうちに、はっきりと気づいてきたこと。

それは、

わたしは、人に認められたくて生きてるというより、それ以上に自分で自分のことを認めてやりたいのだなぁ、ってことに気づいたのです。しみじみと今そう感じています。


何事も人に譲り、いつも自分のことは最後にするというクセというか習慣が、いつの間にかすっかり身についてしまっていました。

要するに、ここぞという時の「自己肯定感」が、父親とは真逆の形で異常に低くなってしまっていたのでした。


最終的に自分を支えるのは自分自身です。これからは、自分自身も、しっかり支えていってやろうと思っています。


わたしは、基本人とすぐ打ち解けるほうのタイプなのですが、正直いつの間にか、世の中に対して厭世的な気持ちからか、かなりの距離を、長年、特にここ数年にわたり持ち続けてしまっていました。いい友だちにも本当に恵まれているにもかかわらず、あまり自分からは関わろうとはしてきませんでした。

ですが、この時代私のようなものでも、自分の能力を活かし、世の中に対して少しはもの申す人になってみようと思ったのです。


なかなかうまくいかなかった、若い頃の自分自身の苦い経験から、

努力はしてるのに基本報われないといった方たちに対して、少しでも道を示すお手伝いが出来たらいいなといった観点から、まずはこのnoteでそういったことを実際に実行に移し始めているわけなのです。

独りよがりのある所は、もちろん重々承知の上です、念のためお伝えさせていただいておきます。


そういった気持ちからここにわたしは今います。とにかく、自分なりの視点をこれからも出来るだけ提供していきます。

継続力には自信がありますが、それでもいつまで出来るかは、やはりなんの保証も出来ません、この時代ですから。

最後になりますが、わたしを含めた旧世代の方々に対して一言。

いつまでも昔の考え方が通用するかというと、残念ながら、それらはもはや多く通用しません。皆さんも、当然お気づきのことと存じます。

ただ、若い世代の方々にも一言。

今の若い世代の方々には自信過剰な方たちがやたらと目につくように日頃感じておりますが、そういった方たちもやはり冷静になられないと危うい時代だと申し上げておきます、先に生きてきた者として。耳を傾けていただけたなら幸いです。

もっと、さらなる大局に立たれたら、ガラッと風景が一変することに気づかれるだろうなあと心底思います、本心です。


それでは、みなさん、今日も一日ありがとうの精神で。

あまり理解しあえなくてもいい。ただ、人は人の支えがなくては、時として生きていけないのだということを、少しでも自覚していただけるのであれば。


ぼくらはみんな、今を生きているのです。


ではでは。







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じんさくら
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