叫びたい日

わたしは一昨日からずっと叫びたい。

正確にいえば自覚し始めたのが一昨日からで、本当はもっと以前から叫びたかったのかもしれない。
完全に理性が備わったとき、わたしはすでにハタチを過ぎていて、いくつかの自分を失ってしまった後だった。

けれど未だにわたしは理性的に動けない方だと思う。
だからいざ、叫びたいと思うと、それがたとえ電車の中でも衝動に駆られる。
たった今、電車で駆られてしまっているから、こうして、書いてる。
叫ばないように、叫びたいことを、書いてる。

消化できる方法が文章で良かったと本当に思う。
わたしは文才がないけれど、書いている時間が好きで、手と頭、ペンと紙、あればどんなことでも整理できる気がする。

友達が好きだ。でも遊ぶのは好きじゃない。
一人でいることが好き。でも一人で寝るのは好きじゃない。

カーテンを一日中閉めていると、世界と遮断されてとても嬉しい。
ひとりでいる時くらいは自分が主人公でいさせてほしい。

始発の電車に乗ると、誰もが隅っこに座ってる。

"誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう?"

思えばこんな歌詞があった気がするし、私は幼い頃このフレーズが好きで、LINEかなんかの一言に設定していたかもしれないし、していないかもしれない。
このフレーズは三年に一度くらいの頻度で私の頭を反芻する。オリンピックかよって。

けれど結果的に私たちは隅が好きで。好きで好きで仕方なくて、他人に挟まれている状態が続くなんて耐えられないし考えられなくて、できることなら自分に注目されないように、生きてる。

悪い人に見つからないように悪いことを諭されないように、生きて、生きて生きて自分の中のふるいにかけてきた僅かな人間を信頼して慕う。

少なくとも22歳の私は、刺激的だった頃の自分をあまりにも俯瞰して見ていて、今は朝まで呑むことすらままならない。
夜は私だけが無断で入ることを許されている家で寝たいし、好きな時に起きて、布団乾燥機をかけて、洗い物をして、好きな映画を見て、昨夜の鍋の残りに冷えたご飯を入れて食べたい。

隅っこで泣きたいから、地球なんか丸くしないでくれよ。

あー全部めんどくせぇって隅っこから叫びたい。








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