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感情は非言語 小田和正は正しい。

久しぶりに長く書きたくなった。
いつも誰に言われているわけでもないし
誰かのために私が書いていたわけでもないけど、
久しぶりに自分のために書きたくなった。
だって暇だし、お金もないし。

感情とは葛藤して初めて生まれてくるもの。
だと私は思う。というか、そうだ。
しかもそれはすごく複雑であって、喜怒哀楽じゃ簡単に表現できない。
感情は言語化できない。
いつだっていろんなものがぐちゃぐちゃに混ざり合っているものだと思う。
だから、私はいつもそれを言葉にすることができない。イライラして悲しい時もあって、楽しいけれど悲しくなる時もある。
泣いた後になんで泣いたのか自分でも分からない時だって、何が面白くて笑ってんのか分からない時だってある。
頭の中を全て言語化できたらいいのに。おはようとかおやすみとかもっともっと単純なワードで表すことができればいいのに。
感情は簡単に言語化できない。

感情は一瞬で消える。
目の前にある紙を意味もなくぐちゃぐちゃに捻り潰したら忘れるような悩みも、ホラー映画を観て一瞬で吹き飛ぶような些細な幸せも、全部全部忘れないで大切にしなきゃ。
なんて、そう思う時もあるけど、そんなこと考えるのは一瞬で。
大抵のことはそれを上回る何かがあれば瞬きひとつで忘れちゃう。
そういう繊細なものだよ。
だから、私はもうずっと、何年も前から自分の感情を押し込んでいることに気づくことができなかったし、自分の内側からふつふつと湧き出るものをどう言語化してどう相手に伝えればいいのか、分からなかった。
言わなくていいとさえ思ってた。
だって感情は一瞬で消える。

大好きな人と喧嘩をした。
多分今までで1番起伏が激しかったと思う。
だけど、その感情全部、私は「大丈夫」の一言で片付けた。
この時の私はとてもダサかった。今こんなこと書いてる自分もダサいし、イタいんだけどさ。

私が自分の感情をおざなりにするだけで傷つく人がいる。

自分の中で大きな発見だった。
優しさは時に残酷。
私は人のために怒ることもできなかった。

いつも食べているキムチが、スーパーで安くなっていた。
私はそれだけでとても嬉しいし、そんな些細なことで喜んでいる私のお金の無さに情けなくなった。
バイトの時間ギリギリになって、急に行きたくなくなった。でも、お金がないから行きたい。あーめんどくさい。
そんな人間だ。元々、そんな些細なことで沢山の感情が動いて、葛藤するようなそんな人間が私なんだよ。

抱えきれなくなって電話をかけた友人は、下着にエプロンを身につけたまま出た。
ハンバーグ作ってたんだって。
何作ってたってもうなんだっていいよ。
ツッコミたいのはそこじゃないんだよ。
ていうか、そういう人いるんだ。本当に。

喧嘩してから初めて、心の底から笑った。
その時、初めて自分が全然「大丈夫」じゃなかったことに気づいた。

大好きな人と喧嘩した。
私が自分をおざなりにして、傷つけたし、傷ついた。

もう、感情を全て「大丈夫」という言葉にはすり替えない。
人間だもん。
全部が全部大丈夫なわけないよ。
嫌なことは嫌だって言えばいいし、表せない時は自分の中で葛藤すればいい。

書いてたら、朝になった。
朝が眩しい。
人と会わない時は朝からキムチを食べる。
友達との予定がある朝も好きだけど、なんも気にしなくていい朝もちょっと好きなんです。
感情は言語化できないし、一瞬で消える。
でも、今消えそうな感情はなんとなく、なんとなくだけど一生忘れちゃダメだと思った。

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