軽油の話
仮免試験はノー勉で落ち修了検定は持ち前のあがり症で落ち、番号が無いショックで教習所のトイレで泣いた日を経て、どうにか免許を取得できた。
そんな苦労を全て流すように、無知な私は
兄の軽自動車に軽油を満タンに入れた。
友達をランチに誘い兄から借りた車で行こうとした。
軽自動車はガソリン代が安いと何処かで聞いた私は、そもそもガソリンが違うという発想に至り、友達と合流する前にお礼として軽油を満タンで入れた。
「恩を仇で返す」があるならば「貸しを破壊で返す」のが私だ。
初めての運転なので近くのコンビニで1日限定の自動車保険に入り、エンジンをかけたら車の警告灯が全て光った。
保険に入ったばかりなのに。
友達に相談したり調べたりしたが、警告灯は消える気配無し、エンジンをかければかけるほど凄い音もしてくる。世紀末だ。爆発を恐れた。
兄に電話をして自動車会社に連絡するよう指示を受けた。
車種や形状を聞かれても、私は車については無知だ。「銀色の四角い車です」これが精一杯だ。
軽油が原因だという発想も無いので「エンジンをかけたら壊れた」と、「触ってないのにパソコンが壊れた」に近い事を言い自動車会社を困らせた。
暫くして兄が来た。
エンジンをかけた時の音を聞き、怒りより呆れて項垂れる姿は、どの絵画の哀愁にも負けていない。間も無くレッカー車も来た。
「後はやっておくから、帰っていいよ」
この一言で兄がどれほど優しいかは、お分かりだろう。
その後何事も無かったかのように友達とランチを食べ、家に帰ると「教習所で習わなかったのか、というより常識だ」と母が驚いていた。
教習所側も常識だと思って教えなかった。母は18年間の私の育児を経ても、私に常識が欠如していることに気がついていない様だ。
車はタンクを10万円で交換し、私は一銭も払わず兄が支払ってくれた。
兄より寛大な男性を未だ私は見たことが無い。
こうしてトラウマによりペーパードライバーが生まれた。