『人間は環境の奴隷である』
*人間は環境の奴隷である。
この言葉は、二つの意味を表した言葉である。
⑴人間はいかなる努力をしようとも環境には逆らえない。
⑵環境を利用することで、なりたい自分を実現させることができる。
⑴は何と無くわかると思う。地震や台風などの自然災害を自在に操ることは不可能だし、貧困地帯に生まれた人の多くが満足いく教育をうけれないことも想像がつくだろう。
今回は⑵について考えていきたいと思う。
⑵環境を利用することで、なりたい自分を実現させることができる。
高校生の自分を例にして考えてみよう、、、
将来なりたい姿→『人に影響を与えられる人間になる』
浮かび上がる選択肢
選択①
多くの情報が集まり、多様性に溢れる関東圏の大学に進学することで、自分の見識、価値観、人脈をアップデートし、人に影響を与える幅を増やす。
選択②
地元高知の大学に進学し、ネットや本を読むことで必要な情報を収集するなどして、インプット、アウトプットを繰り返す。
そしてめちゃんこ美味しい野菜作って鉄腕ダッシュに出演。(野菜が名産)
選択③
直接海外の大学にいくことで多様性や価値観の違いなどを通して、日本の良さを再認識するとともに、英語も堪能に喋れるようになることで与える影響の範囲を世界レベルに釣り上げる。
その他
地方の大学に進学する、大学に進学せず起業する、Youtuberになる、SNSを駆使してトップインフルエンサーになる...
こんな感じ。
そもそも、これらの選択から意思決定することすら環境に依存している。
自分の場合だと、両親が公務員だったため安定志向が強く、起業やYoutuberになるなどの意思は頭の中になかったし、年の離れた兄2人が東京の大学に進学していたこともあり、関東圏で得られるメリットも何と無くイメージできたので、関東圏の大学に行くという意思決定をした。
当時は何と無くで意思を決定していたけれど、
今思う、このシーンで一番大事なことは、
「どの環境に身をおけば自分の実現したい夢に近づけるか」
である。
例えば②の選択を取ったとすると、
・高知という日本の中でも狭いコミュニケーションに属することになるので、会う人々の多様性は関東や関西と比べて限られる。
・最先端のテクノロジーや情報が届きづらいため、自分の将来の選択肢に大きな偏りが生まれる。
・自分が刺激されるような優秀な人材に出会う可能性が低くなる。
・コテコテの土佐弁しか喋れないため県外の人に相手にされない。
などなど
①の意思決定と②の意思決定をした4年後には大きな差が生まれるということはもはや一目瞭然だろう。
このように人間は環境の奴隷であるからこそ、環境を利用してよりよい方向に導くことができるのだ。
そして、この考えを身につけるタイミングが早ければ早いほど、人生にいい影響を及ぼすことができると思う。
例えば大学生でいうと就活。
大好きで熱中してきた部活やサークルに力を注ぎ、それを評価してくれる企業に行くのか、
熱心に取り組んできた研究や専門分野を生かした職を選択するのか、
自分の将来の夢を実現させるために早期に業界研究やインターンをし、十分な検討のすえ、行きたい企業に行くのか、
何と無く日々を過ごし、お酒を浴びるほど飲み、培ったコールを活かせる企業に行くのか。
安定=年功序列型・終身雇用型と捉え、そういった仕組みのある企業に就職するのか、
安定=「時代の変化に対応できる能力」と捉えて成長性著しい企業に身を投じるのか。
人間の意思決定はほんとに様々だからこそ、自分のなりたい姿を実現させるためには
本当にその環境でいいのか問い続けること
が大事だと思います。
もしみんながみんな、なりたい自分になるために適切な環境を選ぶことができたならば、世界がHappyになるのではないでしょうか?
なんちゃって。
おわり
*「人間は環境の奴隷である」という表現は、ある会社の社長さんがおっしゃっていた言葉です。今まで何と無くでしか過ごせていなかった当時の自分にとって、とても考えさせられる言葉でした。また、今回はあくまで個人の見解で話しているので、少々偏りがありますがご了承ください。
よく理解できなかった人がいれば直接説明しますね笑
んー、文章を書くのって難しい!
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