恋は下心、愛は真心
「恋と愛のちがいを学びたいです」
インスタで、モデルの井手上漠さんが投稿したこの一文。
フォロワーが自分なりの答えで、言葉を紡いでいた。その数は100以上。
その中でとりわけ多かった返答があった。
「恋は下心、愛は真心」
カラフル
筆者は芸能人に詳しい方ではない。
その中で、井手上漠さんの存在を知った。「めちゃくちゃかわいい...」と衝撃を受けて、芸能人の中で一番最初にインスタをフォローすることとなった。
もう一つ衝撃を受けたのは、彼女が身体的な性別が男性であることだった。
井手上さんは男性として生まれ、ジュノンボーイで話題になり、モデルとして活躍している。
Twitterのプロフィールには「性別ないです」。
幼い頃から、かわいいもの、女の子の子がする遊びが好きだったという。男の子らしく、に寄せようとした時もあった。だが、中学校時代の弁論大会や、母からの「漠は漠のまま生きればいい」という助言で「自分らしく生きる」という軸を確立させた。
弁論大会の言葉から、芯の太さや意志が強く感じられて、筆者はぐっときた。
「世の中にはいろいろな人がいます。自分と同じ人間は世界中どこを探してもいません。考えることも好きなことも大切なことも一人ひとり違うのです。一人ひとりが違うからこそ、相手に興味がわき、もっと知りたいと思ったり、愛しく思えたりするのではないでしょうか。」
昨今、「普通」が自分の価値観で止まっている人もいて、マイノリティを感じる人が生きづらい世の中になっている。
なんで男なのに?普通はこうじゃない?という言葉に苦しめられてきたという井手上さん。ならば、その普通はなんだ?という話になる。
「雨上がりの空がかかる虹が美しいようにさまざまな色が輝き、調和すればこの世界はもっと美しくなると思うのです。一人ひとりが自分を自由に表現できる世界。そんなカラフルな世界を一緒に作っていきましょう。」
世界を変えようと自らの手で発信し続ける井手上さんはカッコいいなと思うし、性差を超えて「推せる」芸能人だ。
自分らしさにコンプレックスを持たず、マイノリティがマイノリティじゃなくなる世の中になればいいなと思う。応援だけじゃなく力になりたい、とも。
「恋」と「愛」
長い前置きから本題に移る。
題名の格言は、恋と愛の漢字に入っている「心」の場所からも来ている。
「恋=下」、「愛=真ん中」。上手くできているものである。
初恋なんてものは尊くて綺麗なイメージもあるけど、それでも下心なのかな、とは疑問だけど。
ただ、相手に想いを馳せる時に、結ばれた暁には「好きの見返り」を求める、といった意味では下心とも言えよう。
逆に、愛は見返りを求めない。大人になって芽生えるものだと、振り返ってみて思う。恋が成熟し、愛に移りゆくのだろう。漢字としてみても、恋が高まり、下心が濾過されて真心になる。「愛」の字は心がこもっている。
言葉をつなぐ助詞でも垣間見える。
好きな人「に」恋する
好きな人「を」愛する
では、敬う気持ちの対象が違う。「に」では自分に、「を」では好きな人に。
恋は自分本位、愛は相手への思いやり、ということかもしれない。
恋人には恋や愛のどちらか2択だけど、子供や親には「恋」の感情を使わない。そこにあるのは「愛」だけだ。
逃げ恥婚
先日、星野源さんと新垣結衣さんが結婚した。
大人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の続編が終わった後に交際し、結婚に至ったという。
星野源さんがリリースした最新曲、「不思議」は「ラブとかキュンとかいう不思議で目に見えないものをちゃんと歌にしたい」と作曲したものだそうだ。
この曲にも、恋が愛へと変わっていく様が描かれている。
1.「理由もない 恋がそこにあるまま ただ貴方だった 幼い頃の記憶 今夜食べたいもの 何もかも違う なのになぜ側に居たいの 他人だけにあるもの」
2.「愛に足る想い 瞳にいま 宿り出す」
3.「君を想った日々を すべて 乗せて届くように詰め込んだ歌 孤独の側にある 愛に足る想い 二人をいま 歩き出す」
1.2.3で、歌詞で流れる時間とともに感情の変化、恋から愛への変容が見てとれる。新垣結衣さんと過ごして書いたのだろうか、と思わず余計な深読みをしてしまう。
「逃げ恥」では恋ダンスなどで大ヒットとなった「恋」という曲がある。
「恋をしたの貴方の 指の混ざり頬の香り 夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ」
恋を超えて二人で愛を見つけた。
「夫婦」や「恋人」とかの、言葉では縛れなくなった大事な対象。そこに愛は生まれるのかもしれない。