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幻の航空自衛隊出水基地

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

notoのブログ記事に書くか迷っていたのですがやっぱり書きます😅

「がん」とか復職とは全く関係ない話題になりますのでご了承ください。

さて今年、2025年は戦後80年の節目の年になります。

先日、鹿児島県阿久根市の沖合に沈む紫電改の引き上げの話がありました。

今年中に引き上げたいと言うことでした…

個人的には賛成ですし、もし引き上げた機体はこの紫電改が防衛にあたった出水海軍航空隊跡地の公園に展示してほしいと勝手に思っているところです‥

最近、掩体壕公園も新しく整備されたので、場所としてはふさわしいと思っています。

掩体壕公園
掩体壕

そもそも、出水基地について知らない方がほとんどだと思いますのでこちらのリンクをご覧ください。

九州南部には旧海軍基地の場合は鹿屋、旧陸軍の基地の場合は知覧が全国的に知名度が高いですが出水市にも海軍の飛行場や鹿屋基地の分工場がありました。

さて、この出水基地は戦後、民間に払い下げられたのですが、昭和30年代に航空自衛隊基地の設置の話が出ました。

こちらについても詳細のリンクを貼っておきますのでご覧ください。

https://www.izumi-library.com/img/tosyokandayori_2021_3.pdf

もし、基地が完成していたら、現在の奈良基地や静浜基地と同様の機能を持つ航空自衛隊の基地になっていた可能性もありますね…

ここでまとめですが、そもそも出水基地は戦前に地域活性化のために陸軍飛行場を誘致したのが始まりでした。もしとなり街の水俣のチッソ工場が先に出水市に進出していたら、旧海軍の飛行場もなかったかもしれませんし、水俣病も出水市で発生していた可能性もあります…

歴史にifはないですが、航空自衛隊の基地が反対運動にあわず、設置されていたり、チッソ工場が出水市で創業していたらどうなっていたのか気になるところです…

今回はここまで🤲

出水市を知らない方や歴史に興味のない方にはあまりおもしろくない話ですが書きたい話題だったので書かせていただきました。

今後ともよろしくお願い致します🙇

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