子供の頃に貧乏を経験して大人になったら、毎日が幸せの連続だったことに気づいた
子供の頃、いわゆる貧乏だった。
もちろん、貧乏というのは相対的比較から生まれる感情なので、「自分は他人と比較して貧乏じゃない!」と思えれば違うのかもしれない。
だが大人になって改めて冷静に考えたが、僕の家は貧乏だった。
子供の頃、貧乏で辛い思いをしたかといえば、おそらく辛い思いをした。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのと同じで、いまは辛さを感じない。
大人になったいま、あの子供の頃の暮らしを色々と思い起こした。
きっと、何か得るものがあるんじゃないかと願って。
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僕の家は6人家族だ。
父、母、兄2人に僕、妹の6人家族だった。
この家族が住む家は、友達から”廃墟”と呼ばれた1DKの小屋である。
※イメージ写真
台風で2度、屋根が飛んだ。漫画のような家である。
1DKとはこのような間取りである。
これに6人が日々生活するわけだ。
狭い。非常に狭い。
家なのに肩と肩がぶつかるなんて日常茶飯事。
母に「コラッー」と追いかけられては3秒で捕まる狭さ。
ちなみに、1部屋に6人が集結して食事をすると床がぶっ壊れるため、全員揃っての食事は生まれてこの方、1度もない。
お金がなかったので家族全員での旅行はもちろん、外食も一度もない。
文明の力もほとんど存在しておらず、電子レンジにエアコン、車すら乗ったことがなかった。
おそらく、昭和のまま時が止まってしまったような、そんな家だった。
そんな家で育った僕が大人になった。
20歳で1人暮らしを始めた。
驚きの連続だった。
食べ物を1分で温めることが可能な電子レンジに感動した。
今まではガス火で10分くらい温め直していたから。
住んでいる家を冷やしたり暖めたりすることに感動した。
今までは暑かったら近所のスーパーに涼みに行き、寒かったら毛布にくるまっていたから。
車という移動手段のハイテクさに感動した。
今まで20km圏内は自転車で移動していたから。
子供の時に貧乏だったおかげで、大人になったら、感動の連続だった。
他にもいくつも感動をしているのだが、特に感動していることがある。
親に対して感動した。
ウチの親は子供4人を成人まで育てあげた。
子供1人を成人させるのに必要な費用は、およそ2000万。
ウチの親は8000万もの大金を注ぎ込んで、僕ら子供に投資した。
8000万あれば、人生のやりたいことはかなり実現できる。
電子レンジ、エアコン、車なんて何十個でも買える。
それなのに、僕ら子供のために稼いだ有り金を全て注ぎ込んでくれた。
ウチの父と母は、人生でやりたいことができたのかな?
いつも僕ら子供のために働いていた。
自分の趣味とかあったのかな?
自分の時間なんてあったのかな?
父は休みの日にボロボロのグローブでキャッチボールをしてくれた。
僕にとってそれは幸せだった。
母は毎日のように甘い卵焼きと炊きたてのご飯を用意してくれた。
僕にとってそれは幸せだった。
兄貴二人は自転車でどこまでも遊びに連れて行ってくれた。
僕にとってそれは幸せだった。
妹は僕のくだらない話にいつも付き合ってくれた。
僕にとってそれは幸せだった。
子供の頃、周りから見たら貧乏だったかもしれない。
不幸そうに見えたかもしれない。
だけど、間違いなくいまの僕は幸せだし、子供の頃も幸せだったに違いない。
僕たち家族は、最強の家族だ。
幸せはなるものじゃなくて、気づくものだと教えてくれた家族だった。
貧乏。だからなんだ?
お金がない。だからなんだ?
そんなこと、僕らの家族の前では何の意味もなさないよ。
世間という杓子定規に僕らを当てはめないでほしい。
子供の頃に貧乏を経験して大人になったら、毎日が幸せの連続だったことに気づいた。
そして、明日は母の日だ。
まずは、自分を産んでくれた母に、渾身の「ありがとう」を伝えようと思う。
母に面と向かっていきなり「ありがとう」は正直かなり恥ずかしい。
だからまず、練習としてあなたに伝えたい。
最後まで読んでくれて「ありがとう」。
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