遣米使節団のデジタル追跡 “パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅” に学ぶ 江戸 万延元年(1860年)
はじめに
「遣米使節団のデジタル追跡」へ ようこそ!このブログでは、1860年に日本の外交史上初の訪問団である万延元年遣米使節団の旅について、8話にわたってお届けしてきました。私自身、1991年から94年にかけてパナマ日本人学校に派遣されていた経験が、このテーマへの興味を深めるきっかけとなりました。
当時の使節団77名が、日米修好通商条約の批准書交換のために太平洋を渡り、ワシントンでブキャナン大統領に謁見したという事実は、私にとって非常に魅力的な発見でした。特に驚いたのは、彼らが私たちが住んでいたパナマの地峡を鉄道で横断したこと。これは、パナマ運河が開通する50年以上も前の出来事なんです。この歴史的な旅が、私の探究心をさらに駆り立ててくれました。
そして、2024年、ITの進化とともに私の趣味の研究が新たな局面を迎えました。AIやインターネットを使った歴史研究は、まるで時空を超える冒険のように、新しい発見へと導いてくれました。こうして、デジタルツールを駆使してパナマと日本の文化が交わった瞬間を解明していきました。
特に、Facebookで知り合ったパナマ人のアマチュア歴史研究者、Sr. Nodier García氏の協力が大きな助けとなりました。私の3年間のパナマでの生活経験も、両国の視点からこの旅を客観的に見つめる手助けとなっています。
これから、時空を超えたサムライたちの旅を一緒に振り返ってみましょう!(詳細はこれまでの8話をご覧ください。)そして、これらの歴史の旅は、私たちに何を教えてくれたのでしょうか?
デジタルツールの活躍
パナマ日本人学校派遣期間終了の1994年3月に持ち帰った資料を、本格的に分析・研究を始めたのは、教職を退いた2024年からのことでした。その資料は・・・
1992年にパナマ日本人学校の児童3名と一緒に校外学習で訪れた、「パナマ歴史博物館」の「パナマ地峡鉄道コーナー」の展示物の写真資料。(博物館の許可を得て撮影)
1994年の日本帰国直前に撮影した、当時の遣米使節団の記事が掲載されている、「La estrella de Panamá社」1860年4月30日発行のバックナンバーの写真。
これらの資料から“サムライたちのデジタル追跡” の「旅」を始めました。
遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」に記載された、蒸気車の下にある鉄の棒の断面の絵。A New Railroad for Panama - After the Diggingの関連サイトにある、1853-1869年に使用されたパナマ地峡鉄道のレール断面図。遣米使節団が乗車した年代のレールであることが、ある程度高い精度で推測できました。
1875年にイギリス人のアードワード・マイブリッジ(Eardweard Muybridge)が中米を航海した際に撮影した写真。
La Biblioteca Roberto F. Chiario de la Autoridad del Canal de Panamá (パナマ運河庁のロベルト・F・キアリオ図書館)や、Mickey Sánchez学士の「パナマ湾の埠頭」という報告書の記述には、
「1855年にアメリカ人によって建設された。その敷地内には、最初のパナマ鉄道駅とその作業場があった。最初の駅の建物は木造で、金属板の屋根は丸天井の形をしていた。」と、ありました。
さらに、遣米使節団の一員であった、木村鉄太の記録「航米記」では・・・
・・・と、記述していました。こうして、遣米使節団のパナマ上陸地点の特定に至ったのです。
次に、新聞資料から。
スペイン語対応のオンラインOCR機能を使用して、写真の文字をデジタル文章に変換し、さらに編集。最後にAI翻訳を用いて、日本語に翻訳しました。
こうして、パナマ側の視点から、遣米使節団の上陸の様子を客観的に把握できたました。
次に、遣米使節団が書き記した書物からは・・・。
遣米使節団の佐藤藤七の記録した絵と、パナマ市在住のSr. Nodier Garcia氏が発見してくれた写真(1868年 パナマ鉄道151号機関車「ノース・アメリカ」の写真 Panama Railroad Company Annual Report - 1884"8-9ページより)
この、航海位置記録(地球上の経度と緯度)をGoogle Earth 上にマッピングすると、サムライたちの旅の軌跡が現代の地図上で浮かび上がってきました。歴史がデジタル技術で蘇った瞬間です!
“パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅” から学んだこと
帰国後のサムライたち:
今回の「デジタル追跡の旅」は、パナマ地峡横断に焦点を当てましたが、彼らの地球一周の旅については他の資料に譲りたいと思います。遣米使節団は1860年11月9日に横浜に帰還しましたが、その間、江戸では歴史的な大事件が起こっていました。そう、「桜田門外の変」です(1860年3月24日)。この頃、彼らが乗るポーハタン号は嵐の太平洋を越えてハワイを目指していたのです。
彼らが帰国すると、日本はさらに激動の渦中にありました。尊皇攘夷運動、薩長同盟、大政奉還、そして戊辰戦争から明治維新へと、時代の大波に巻き込まれていったのです。
もしこれがIT時代であれば、彼らは「帰国報告会」をパワーポイントで発表し、その後は「社内昇進」というレールを歩んだのかもしれません。しかし、万延元年遣米使節団の記録は、静かに歴史の舞台から姿を消していきました。
例えば、従者として旅に参加し、様々なスケッチや記録を残した木村鉄太は、帰国からわずか2年後の1862年に34歳の若さでこの世を去りました。彼らの成果については、日米修好通商条約の批准書交換という「不平等条約」の側面が強調されがちです。しかし、彼らが異国で見聞きした経験やその記録は、日本の歴史において大きな影響を及ぼしました。決してネガティブなものではなく、むしろ非常に「ポジティブ!」な功績と言えるでしょう。
彼らが目の当たりにしたのは、蒸気機関車、レール、活版印刷による新聞、製氷技術、パナマとアスピンウォール(現コロン市)の電信技術、給水ポンプなど、産業革命の成果でした。さらに、大航海時代の羅針盤による航行技術もその背景にありました。
特に注目すべき人物は、小栗忠順です。彼は帰国後、造船所の建設やフランス語伝習所の設立、日本初の株式会社である兵庫商社の創立、軍の近代化、大砲製造のための滝野川反射炉の建設、ガス灯設置、郵便制度や鉄道、新聞発行の提案など、幕末にかけて数々の功績を残しました。そして、明治維新後も彼らの先進的な精神は日本の発展に受け継がれていきます。
その象徴的な出来事の一つが、1860年にパナマ地峡鉄道を通過してからわずか12年後、1872年に新橋と横浜の間に鉄道が開通したことです。
サムライたちのメッセージ:
サムライたちのデジタル追跡旅は、IT時代に生きる私たちに、たくさんのことを教えてくれたように思います。海外で見聞を広めようとする「チャレンジ精神」「異文化を積極的に理解し、それを、自分で一度かみ砕いて、受け入れる広い視野」「自他共に、人や文化、歴史を尊重する態度」「柔軟な心」「グローバルな思考」「行動力」「自然科学に対する理解」「好奇心」「コミュニケーション能力」等、私自身も、これからの足跡を辿る旅の中で多くのことを学びました。
最後に、この2枚の資料をぜひご覧ください。
パナマ・日本両国の協力によって建設された「マリスコス(魚)市場」
なんという奇遇でしょうか? いや、必然だったのかも?
最後までお読みいただきありがとうございました。
パナマと日本の友好関係が永遠に続くことを願って。また、お会いしましょう。
Espero que la amistad entre Panamá y Japón dure para siempre. Hasta pronto.
Quisiera expresar mi más sincero agradecimiento a la Sr. Nodier García
パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅シリーズ もくじ
はじめに (第一話)
1.江戸使節団のデジタル追跡ツール登場 (第一話)
2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業
(第二話)
3.Google Earthを利用して江戸使節団の足跡をマッピングする
(第三話)
4.パナマ地峡鉄道 アマチュア研究者との情報交換から
(Facebookの活用)(第四話)
① パナマ地峡鉄道の旅 パナマ上陸 旧パナマ駅へ
(Facebookの出番です) (第四話)
② パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)
(第五話)
③ パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅
(Google Earthも使って)(第六話)
④ パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着 (第七話)
5.サムライたちが教えてくれたこと (最終話)
・江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる
・エピソード1: サンパブロ駅での豪華な食事
・エピソード2: ポルトベーロでの危険な沐浴
・帰国後のサムライたち
・サムライたちからのメッセージ
・付記
付記
研究協力者:Colaboradores en la investigación:
Sr. Nodier García
出典:Fuente:
小栗忠順の従者 佐藤藤七の記録「渡海日記」© 東善寺
小栗忠順の従者の記録 名主佐藤藤七の世界一周 © 東善寺
小栗忠順の従者 通訳 木村鉄太の記録「航米記」© 青潮社
万延元年遣米使節団 副使 村垣範正 「遣米使節日記 復刻版」© 日米協会
万延元年の遣米使節団 宮永 孝 ©講談社
山本厚子「パナマから消えた日本人」 ©山手書房社
La estrella de Panamá社
画像提供:Imagen cortesía:
El sitio de la Biblioteca Rodolfo Chiari de la Autoridad del Canal de Panamá
Lic. Mickey Sánchez
Sr. Eardweard Muybridge
Sr. Theodore da Sabla