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碧空を征く 最後の海軍航空艦隊 彗星艦爆隊員の手記より   序 章

この記事は、下記の記事の続きです。

もくじ

はじめに 「藻屑録」

序 章  「地球は廻っている」

第一章  「海軍甲種飛行予科練習生」

第二章  「第37期飛行術練習生」

第三章  「艦上爆撃機専修練習生」

第四章  「彗星艦上爆撃機錬成員」(前編)

第四章  「彗星艦上爆撃機錬成員」(後編)

第五章  「関東の雄・K3」

第六章  「出撃下令」

終 章  「事後情報分析からの考察」

おわりに 「二つの命日」

資 料  「あの日の電信の意味するもの」

昭和100年・戦後80年の節目のこの年。
「碧空を征く」は、特攻隊員としての父の実体験をもとに、戦争の悲劇と平和の尊さを伝える手記です。父が残した言葉を通じて、当時の歴史や心情を振り返り、未来へのメッセージを紡いでいきます。今回は、「地球は廻っている」です。

地球は廻っている

「彼のネルソンは言った。『海を制する者は、世界を制す。』と。しかし、私は『空を制する者は、世界を制す。』と決し、後に続く者を信じて海軍航空隊に身を投じます。」

赤山の丘、松藾こだまする双松の台上より、旧制島根県立松江中学校で軍関係学校入学者に対して壮行会を実施したその第一回目に当たった中学5年2学期終了時の小生の挨拶であった。
満17才の青年を開眼させたのは、1941年(昭和16年)12月8日、帝国海軍の真珠湾の航空攻撃である。

その後、「海軍」という小説では、主人公は海軍兵学校生徒と海軍甲種飛行予科練習生で、2人の主人公は真珠湾攻撃において、航空兵としてまた特殊潜航艇乗組員として活躍する筋書きの物語が後に映画化され、青年の心を動かした。
「空を制する」ことが必要不可欠な時代の到来と、航空への憧れを掻き立てた。

概して人より血の気の多い性分も加担したであろう第12期海軍甲種飛行予科練習生の試験に応募し、戦線への最短距離を選び、入隊して彗星艦爆隊搭乗員としての道を進む。
しかし、結果的には、大勢は逆行し倒錯の波に流されるはめとなる。

航空戦優勢の時代の到来を自らの手で実証した開戦戦略、真珠湾航空攻撃。また、世界戦史上で航空対戦艦の対決を実証したマレー半島クワンタン沖で、英戦艦プリンス・オブ・ウエールズを一式陸上攻撃機、96陸攻で撃沈した日本海軍であった。

しかし、それにもかかわらず、伝統的な旧日本海軍のZ旗を掲げた日本海海戦時代の艦隊決戦勝利への夢思想。また、上層部の「大艦巨砲主義」思想は依然として旧思想、頭脳に支配されていた。

それに対して、日本人と同じ「大艦巨砲主義」に立って海軍戦略を策定していたはずのアメリカ人たちは、敵日本の挙げた戦果を戦訓として学ぶことを忘れなかった。皮肉にも、日本人の成功がアメリカ人の戦略戦力に転化したのは、結果として現れた哀れむべき現実であり、やはり地球は廻っていた。



投稿者のコメント:私が幼い頃、父は戦争のことをほとんど語りませんでした。中高生時代の歴史学習内容程度のことは話してくれていましたが、いわゆる「武勇伝」「苦労話」「愚痴」などは一切語らない父でした。単なる「カメラ」「機械好き」「新しい物好き」の好奇心旺盛な父でした。あの頃、65歳を越えてワープロを打てる高齢者は、そんなにいなかったと思います。
あなたはどのようにお感じになりましたか?

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回へと続きます。                  

※ note掲載にあたって

この父の手記は、1990年(平成2年)頃から1995年(平成7年)頃に、父がワープロで当時の記憶をたどりながら、各種文献を基に記したものです。現在では、不適切な表現や誤った表記があるかもしれません。
また、歴史的検証や裏付け調査研究等は不十分です。その点をご理解の上、お読みいただければ幸いです。


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