体言止め1
体言止めが好きだ。流れていた文章に急ブレーキをかける。話が一時静止する。カメラワークが発生する。だから、好きだ。
例えば、次の文章について考える。
①緑の芝生の上で、犬が走り回っている。
②緑の芝生。走り回る犬。
①は、観察者の視点がある。誰かが芝生のそばにいて、緑の芝生の上で犬が走り回るようすを見ている。一方②は観察者不在で、ただそこにある。視点は固定されておらず、読み手のカメラワークに委ねられる。
よく考えると、②は緑の芝生の上を犬が走り回っている保証はない。二つの関係性について何も述べていないからだ。それでも私たちは、この二つの体言を見れば、その関係を無意識的に補間している。緑の芝生の上に走り回る犬がいると思う。何故か。二つの関係性を想起できるからだ。犬は芝生の上を走り回るものだからだ。
関係性を想起できる体言を並べること、これは体言止めのテクニックだ。
少し脱線する。
この記事を書いてる途中で気付いたのだが、俳句はまさにこのテクニックを使っている。俳句は、5-7-5の17文字で、景色を切り取る。5-7-5の中に散りばめられた体言は、読み手がその関係を補間する。読み手に全て委ねられる。書き手は読み手が各体言の関係性を想起できる範囲を見極め、句を詠む。これは俳句の醍醐味であり、体言止めのテクニックだろう。
緑の芝生。額縁。
ではこの2つの体言ではどうだろう。2つを関係付けることは難しい。違和感を感じる。だがこの感じが嫌いではない。「2つは一見無関係だけど、実は繋がっているかもしれない、そうじゃないかもしれないけど。」不安を感じる。急ブレーキがかかったと思ったら、よく分からないところに連れて行かれた。これは元の話に戻るんだろうか...そんな不安感。ワクワク感。
以上、私なりの体言止めの用法やその効果をまとめてみた。
・体言止めは急ブレーキをかけ、流れてた文書を一時停止させる。
・視点が固定されず、カメラワークは読み手次第。
・関係性を想起できる体言を並べることで、読み手は無意識にその関係性を補間する。
・関係性を想起できない体言を並べると、読み手は不安と同時に、未知なところにいけるかもしれないワクワク感を得ることがある。
今回は、主にものの名前、犬や芝生や額縁のような、の体言止めの用法について考えた。他にも、概念の体言止めや「○○なこと。」なように体言化する用法についても考える必要がありそうだ。これは次回にする。