自然化されるもの

自然とはなんだろうか。

スピノザは、神即自然とし、世界全体を神と解釈した。人間も自然の一部であり、世界の一部である。

ロラン・バルトは、テクストにおける自然をエクリチュールとし(※これは意訳である)、私たちはエクリチュールから逃れられないことを論じた。新しいエクリチュールに出会ったとしてもそれは自然化される。それは歴史であり、神話であり、コードであり、儀式である。

どうやら私たちは自然化には抗えないようだ。だが、争うことはできる。それは、否定性の肯定であり、倒錯的な動物である人間の本性であり、人間的な姿勢だろう。

そもそも、倒錯的である人間自体が自然の一部である。そう言ってしまえば、スピノザからは逃げられない。けれど、世界に内在しながら世界を変異させることはできる。いずれ自然化されるとわかっていても、脱自然を目指すること。自然に争うこと。このことこそ、人間にとって自然なことではないだろうか。

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