【私の90年代 vol.5】 小柴豊さん(会社員)
90年代は、自分にとって変化の大きい、実り多き10年でした。中でも94〜95年の経験は今にも生きています。
名古屋に本社がある企業を相手に仕事をしていましたが、そうした会社のマーケティング部門のレベルが非常に高いことに驚きました。東京の顧客よりもいろいろなことにアンテナを張っていて、知識も深い。「こういう新しい分析手法がありますよ」などと下手に営業すれば、「もうそれは知っている」と一刀両断されます。
彼ら自身で調査もたくさんするし、私よりも勤勉に知識を収集しているため、商談は常に緊張感があって、怖かったです。「あなたの会社にしかできない提案を持ってきてくれ」と、厳しいことも言われました。
ただ、厳しい中にも優しさはありましたし、私自身も3人しかいない支局のリーダーとして、「俺が最後なんだ。ここで踏ん張らなければ!」という責任感があったため、何とか食らいついていきました。おかげで相当鍛えられたと思います。
一方で、そうした仕事を通じて、自分のキャリアに対する課題も見えてきました。さまざまな顧客がいたため、例えば、コンピュータ企業のブランド調査をやりつつ、食品会社のいなり寿司の調査もやるわけです。これだけ幅広いと専門家になるのは難しいです。何か一つ、自分の専門分野を持ち、顧客と対等に話ができるようになりたいと痛感するようになりました。
それが後に、IT・ネット業界に足を踏み入れたことにもつながっています。
私にとって90年代は「金色」
日本全体の経済成長の恩恵はあまり受けずに終わってしまいましたが、IT業界はまさに黄金期に差し掛かるところでした。いろいろな物事がピカピカしていて、面白いこと、進化を実感できることがいっぱいありました。この先どこまでいけるだろうという疾走感を覚えています。
【取材後記】個人で購入したMacをオフィスに持ち込んだり、パソコン通信で他のユーザーとコミュニケーションをとりながらマーケティングを勉強したりと、今ではごく当たり前のことでしょうが(パソコン通信はSNSなどに置き換わっていますが)、それをIT黎明期に実践していたという小柴豊さんの感度の高さに驚かされます。
「Microsoft Windows 95」の発売によって一般家庭にもPCが普及し、実際、わが家にも富士通の「FMV」がやってきました。ただ、高校生だったこともあり、パソコン通信はやらせてもらえず(というか、やり方すら知らなかった)、ひたすら「ソリティア」か「信長の野望 天翔記」をプレイしていたのを思い出しました……。(伏見学)
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