妻子との出逢い。①
「お前は私生活も部活のようだったら文句ないんだけどなぁ。」
中学2年時。 休み時間にガムを食べていたところを担任と鉢合わせになり、片手で下顎をつかまれ、ため息交じりにこう言われたことを覚えている。
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中学からは授業も宿題もまともに取り組んだ記憶がない。気づいたら2年時の通知表は体育の「3」以外すべて「1」。
だからといってゴリゴリのヤンキーだったかというとそんなことはなかった。せいぜい学校指定の制服を腰パンなどして着崩し、眉毛を剃って髪型はツーブロックのワックスでツンツン。ほんとにごくごくたまーに喧嘩をする程度で補導だとかはなかった。
当時の自分でさえ中途半端だと思っていた。
しかし”剣道”に関しては違った。
小学1年生から剣道をやっていた。他にもピアノや習字をやらされていたが、好んでやっていたのは剣道だけである。 剣道を続けるために父との約束で、嫌いだったピアノも習字も6年生まで我慢して続け、中学生になって剣道のみになった。
そう。まさしく”剣道のみ”であった。
毎日が剣道だった。部活外でも火曜日以外はやっていた。そんなだから、私生活が悪くても当たり前のように部長になり、その剣道部が創部されて初の県大会団体戦出場も果たした。
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「お前は私生活も部活のようだったら文句ないんだけどなぁ。」
中学2年時。 休み時間にガムを食べていたところを担任と鉢合わせになり、片手で下顎をつかまれ、ため息交じりにこう言われたことを覚えている。
自分でも思っていなかったわけではない。 しかし無理であった。”興味のないものに取り組む”ということが全くといっていいほどできなかったのだ。
いや、単純にめんどくさかったり、苦手なものから徹底的に逃げていただけなのだろう。
友達は多いほうだったと思う。コミュ能力はそれなりにあったから、輪に入るのは簡単で、いつでも中心の輪にいた。
しかし、”二人きり”というシチュエーションが面倒くさかった。
だから親友はできなかった。
剣道に逃げていたのだろう。唯一面倒くさいと思わずにできる、好きなものだったから。
だがそれも中学まで。高校に進学してからは逃げ場であった剣道さえも面倒くさいものになってしまった。
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高校卒業してから崩れ落ちていくのが早かった。
飲む打つ買うの三拍子。就職して1か月後に新車を購入したものの2か月で退職しフリーターに。心霊スポット巡りにハマり、深夜の帰り道で事故ってその新車は一ヵ月程で廃車となった。
それからも反省なく問題を起こし続けた。2年後には父親から手切れ金を渡され、その金でなにを思ったか東京に移り住み...まぁ同じような、いやもっと酷い生活を送った。
それから2年後の年末。 22歳の12月31日。
今でも鮮明に覚えている....
父親に土下座していた私を......_| ̄|○
~続く~
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