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血縁も大事なのかもしれない。だが結局のところ、親子になるには”絆”なのだろう。

👆の記事で紹介しているが、妻と息子は血縁ではあるが”祖母と孫”という関係であり、いろいろとあって”養子縁組”をして”親子”になった。私が出会う前の話だ。

息子が小学校に入学してからか。

”すっかり母子になったなぁ。”

なんて偉そうに、私が妻に言ったのは。

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私が大阪に来て一緒に暮らし始めたころ。息子は3歳になろうとしていたが、妻の中ではまだ”孫”という感覚がだいぶ強かったのだと思う。親子になると決めたものの、気持ちが切りかえられない。

”息子との距離”が目に見えてわかった。

無理もない。”可愛がるだけでよかった孫”が、ある日を境に”育て守らなくてはいけない息子”に変わったのだから。それも50歳という年齢を目前にして。

よく泣いていたのを、今でも覚えている...。

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三人で暮らしていくうちに少しづつではあるが、距離が無くなっていくのを感じることができた。

もちろん、私もできることはやっていたが、一番の要因は妻と息子の意思疎通ができるようになってきていたからではないかと思う。


ただひたすら、オムツ替えや入浴などを”してあげなくてはいけなかった赤ちゃん”から、”育て教えていかなくてはいけない子供”に対して。

ただひたすら、”自分の世話をしてくれる人”から、わからないことやできないことを”教えてくれるお母さん”に対して。

少しづつではあるが、お互いの気持ちを育み、”親子の絆”ができていったのだ。

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息子が小学校へ入学してからは、私の目には母子としてしか見えなくなっていた。

学校に対して最初から母親として関わっていったのも大きかったかもしれない。保育所ではすべてが途中からだったから、切りかえるのが難しかった要因の一つだったのだろう。

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でも、母親になれた一番の要因は、目をこれでもかとまん丸く見開いてなにかを伝えようとする、


”おかあさんっ、おかあさんっ!”


この息子の言葉であろう。


夏休みでアニメを見ている息子の後ろ姿に、”ありがとう”と感謝の眼差しを送ったところで、

この記事を終えたいと思う。

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