株主系オタクが発生する理由を探る
目に余る誹謗中傷、避けたくてもおすすめに流れてくる地獄、X。
基本的に情報を得るために使ってはいるけど、見るに耐えないことも多い。
アイドルの場合、ビジネス的な誹謗中傷ならはいはい、となるが、容姿に対するものであるとどうか本人の目に入らないように願うばかりである。
見かけたところで追求して粒立てることは逆に目立ってしまうし、それをファンと名乗る人物が行なっているのだから恐ろしすぎる。だがこれが普通の世界のようにも見えてきた。
一つの仮説だが、すべてのエンタメがオタク化していっているのが関係しているのではないかと考えた。
アイドルカルチャーに絞ってみると、そもそも「親衛隊」と呼ばれる人がいたように、アイドルカルチャー=3次元=ヤンキーカルチャーであり、オタクと呼ばれる人たちの居場所ではなかったように思える。
2000年前後の小学生時代も、アイドル=国民的な存在であった。一部熱狂的な人がいるみたいではあるが、誰もが目にする存在である。
時はたち、現在は国民的なものはほぼなくなり、どんなに有名でもファンダムカルチャーがでかいだけ、ファンクラブの人数によって計られるようになった。その他の人は知らない場合が結構ある。
それに至るまでに、「会いに行けるアイドル」あたりでオタクカルチャーがアイドルに流入してきたのではと推測される。いわゆるAKBあたり。
つんくさんのインタビューでも秋葉原でアイドルをというのは苦戦したという話を聞き、今ではアイドルオタクという言葉が普通にあるが当時としてはこれは矛盾した言葉だったのではないかとふと思ったのが発想の発端。
その後でんぱ組.incなどオタクカルチャーそのもののようなものも出てきつつ、オタク=アイドルのような構図が定着したのはここ数年のような気がする。
数年前、乃木坂46の「だいたいぜんぶ展」へ足を運んだ時、後ろに並んでいた新内眞衣のファンと思われる人が明らかにオタクではなくヤンキーのようだったなと思ったことが印象的だった。この頃からアイドルオタクという言葉の違和感はあったのかもしれない。
ファンの開拓という意味ではオタクだろうがヤンキーだろうが問題はないだろう。オタクもそもそも「思慮深く鑑賞する」タイプの人物のことなので、全く問題はない。むしろパフォーマンスに注視してくれる存在はありがたいだろう。これからもそんな人物には居てほしい。
ところがオタクにはもう一つの側面がある。それは漫画・アニメカルチャーでは特に顕著だが、理想化を求める傾向である。
漫画・アニメ自体、キャラクターデザインからストーリーまで全てが作り物である。つまりどうにでもなるとも考えられる。ファンの一言によって展開が変わってきた歴史もすでに存在している。もっとこうしてほしい、という要望に従って進める、みんなの理想を作り出す場でもあるのである。
(もちろんそれを裏切りながら素晴らしいものを作る人が超一流には存在するが、それはほんの一握りの存在ではある。)
そんな理想化の中で暮らしていると、すべてのことに理想を求めてしまいがちになるのが根本の原因のように考える。
それがたとえ3次元であろうとも、2次元、キャラクターデザインが気に入らないと同じような感覚で、実在する人物の容姿について気楽に言ってしまっているのかもしれない。自分にこの感覚はないのであくまで想像ではある。
少し戻るが、会いに行けるアイドルもそうしたファンによる介入によって理想化を実現していくようなシステムになっていたように思う。アイドルでも理想化が適用されるのだ、という前例をここで作ってしまったのかもしれない。
もはやアイドルだけではなくて全てにおいて理想化が進んでいるのかもしれない。容姿だけでなく態度や発言まで監視され理想化を求められる。多様性への反発なのか、ただの復讐なのか。
何はともあれ、やたら介入したがるオタクのことを株主系オタクと呼ぶことにしようかなという話。こんな言葉流行らなさそうだけど。アイドルの皆さんには是非無視してほしい。というこの願いは介入にあたるのか否か、自分自身に問いながら暮らしていきたいところである。