森下

ロイター板のような役割を果たしています

森下

ロイター板のような役割を果たしています

マガジン

  • エンターテインメント研究会

    • 13本

    気になるエンタメ情報をコラム形式でお送りします。

  • なんでもレクチャー研究会

    • 8本

    知っていることを教えてみることをやってみるマガジンです。

  • 映画一日これ一本

  • あるあるPA講座

    ちょっと役に立つかもしれない音楽知識を講座形式でお送りします。

最近の記事

株主系オタクが発生する理由を探る

目に余る誹謗中傷、避けたくてもおすすめに流れてくる地獄、X。 基本的に情報を得るために使ってはいるけど、見るに耐えないことも多い。 アイドルの場合、ビジネス的な誹謗中傷ならはいはい、となるが、容姿に対するものであるとどうか本人の目に入らないように願うばかりである。 見かけたところで追求して粒立てることは逆に目立ってしまうし、それをファンと名乗る人物が行なっているのだから恐ろしすぎる。だがこれが普通の世界のようにも見えてきた。 一つの仮説だが、すべてのエンタメがオタク化し

    • 感性のスイートスポットについて

      誰しもが10代の頃に浴びたカルチャーのことをいつまでも語ってしまうのは、その頃が感性のスイートスポットだからなのではと感じる。ちょうど14〜20歳くらいの、手放しで憧れられることができる時代。 単純に、作り手がほぼ全員年上ということもある。20を過ぎれば若くして世に出る場合も多く、"共感"という点ではハマるかもしれないが、"憧れ"というのは大谷翔平並みに突き抜けていないと難しい。 そうしたぼんやりとした"共感"を感じるまま20代を過ごし、30代になったあたりではたと気付く

      • ぜんぶストレスのせい

        人間の行動原理は全部ストレスなんじゃないかと思えてきた。 そういえば大体の病気はストレスが原因だし、交通事故で亡くなるとしてもストレスからくるあらゆる原因による注意力の低下からの可能性がある。 やりたいことをやろうとすることも、やりたいことができないストレスを発散、またはできないストレスが溜まるであろうことを予見したストレス回避により行動に移す。ここでもストレスに操られている。 欲しいものを求めたり、食事をするのもストレスを解消しているのだろう。お金を稼ぐのも、お金がな

        • 「アイドル的存在」と「アイドルという職業」の区別

          ※以前も書いたらしいけど全く記憶にはない「アイドル」という言葉について、今はこんな感じに思ってますという文章です。 「アイドル的存在」だった人たちの多くがやっていた職業のことを、いつしか「アイドル」と呼ぶようになったので色々ややこしくなってるんじゃないかなと最近よく考える。 というのも、大谷翔平のように「アイドル的存在」といえるが、職業は野球選手みたなケースも沢山存在するからだ。歌舞伎界、ミュージカル界のようなショービズの世界からスポーツの世界まで津々浦々、将棋界にすらア

        マガジン

        • エンターテインメント研究会
          13本
        • なんでもレクチャー研究会
          8本
        • 映画一日これ一本
          7本
        • あるあるPA講座
          2本

        記事

          曲は好きだけど話し方は苦手

          曲を聴くと言うのはほとんどの場合「印象」がメインとなる。 印象からは様々な妄想が生まれる。いい曲だと感じるほど、歌っている本人もすごくいい人に違いないという「文脈」を求めてしまいがち。 ここでの文脈は理想による妄想が出発地点なので、厳密には文脈ではない。(客観的事実を伴っていないから) そうした自分の中で建てた筋書きから外れた時、人は自分の中で矛盾が生じ、ストレスを感じるのだと思われる。いい曲だからいい人だと信じていたのに裏切られた、と勝手に妄想した上でそう感じるのである

          曲は好きだけど話し方は苦手

          作品と商品の違いについて

          ジブリなんかもそうだけど、基本的には監督(宮崎駿)が思い描く作品を、プロ(鈴木敏夫)が「こんなの売れねぇよ」と文句を言いながらあの手この手でなんとか売っていくというのが今までのメディア作品の基本的な構造である。音楽なんかも「こんな曲売れないよ」と言いつつ売っちゃうプロに手伝ってもらうことがメジャーデビューの目的と言える。 市場経済において、すべての物事は効率化を目指す。メディア作品に関しても例外ではなく、そもそも「売りやすいものを作ろう」という発想になるのは自然なことだと考

          作品と商品の違いについて

          推し活における偶像と実像の区別について

          誰もがミュージシャンや俳優、アイドルに憧れを抱きながら応援する、という推し活の認知度が上がってきて数年が経っている昨今。 推し活自体は名前を変えて、はるか昔から存在している。アイドルという語源にも関係するが、そもそも宗教自体が偶像崇拝の対象であった。 現代の特に日本においては宗教は割と薄く存在しているので、多くの人は初詣に拝む程度、如来と菩薩の違いについて詳しく理解している場合の方が少ないが、かつての日本人は曼荼羅を描き、仏像を掘り崇めていたという点では、生写真を買いアク

          推し活における偶像と実像の区別について

          「アイドル」という言葉に付加され続ける意味について

          ロックの話 ロックの歴史を辿ると、何度も「本来のロックへ回帰しよう」という動きがあり、その都度名前が変わっていくという現象がある。ロカビリーやロックンロールを経て、ビートルズ以降は機材の進歩も相まってサイケデリックへ向かう中、本当のロックとして登場した「オルタナティブ」であったり、1970年の終わりにHR/HMに対抗する形で「パンク」が登場、その後も形骸化していくパンクを横目に「ハードコア」など脈々と続いていた。これらは名前は変えつつも「本当にロックなのは俺たちだ」という内

          「アイドル」という言葉に付加され続ける意味について

          星座とキャスティングを考える

          最近見たバラエティ番組の各出演者における番組内での発言や立ち振る舞いから星座によるキャラクターと役割について考えてみるコーナーです。 しくじり先生 #147出演者(以下全て敬称略) 猛獣使い(見えてる):若林(乙女座)、吉村(蟹座)、酒井(蠍座)、岡本夏美(蟹座) 猛獣(見えてない):澤部(牡牛座)、井桁(水瓶座) 中立(見えてるけど操らない):平子(射手座) ゲスト 猛獣使い:オダウエダ(両者蟹座) 基本情報として猛獣使いと猛獣に分けて考える。 猛獣使いは視野が広くい

          星座とキャスティングを考える

          ハロプロの猛獣と猛獣使い

          星座ごとで性格的になんとなく猛獣と猛獣使いに分かれるので分類してみた。 ちなみに 猛獣:牡羊座・牡牛座・獅子座・天秤座・射手座・山羊座・水瓶座・魚座 猛獣使い:双子座・蟹座・乙女座・蠍座 という感じ 猛獣使いと聞くと周りを仕切ったり先導していくイメージかもしれないが、実際は「最終的に自分が全体をコントロールする立場にいる」という人である。 そのため、双子座のようにいじられてるように見えて実は自分を中心に回るようにコントロールするタイプもいる。というか、ほとんどの場合周り

          ハロプロの猛獣と猛獣使い

          ハロプロのグループイメージ

          ハロー半年くらいしっかり追ってみたのでそれぞれのグループの関係性をイメージ的に勝手な分類をメモ。 モーニング娘。'22 先輩後輩関係がはっきりとした強豪校の部活感。つんく先生。おそらく共学なイメージ。 アンジュルム 女子寮で共同生活してる感じ。顧問の先生のいないサークルのようなイメージ。女子校内でめちゃ人気。 Juice=Juice 家族。全員姉妹(ただし母:宮崎&父:金澤)のため非常に近い関係性な感じ。卒業は一人暮らし始めるみたいなイメージ。 つばきファクトリー 中

          ハロプロのグループイメージ

          ワンセグが先かテレビ離れが先か

          テレビを見なくなったみたいに言われてからしばらく経ったけど、よく考えてみたらガラケーの頃はワンセグでみんなテレビ見てたなと思う。 未だにカーナビで見てる人もいるような気もするし、単純にスマホ(というかiPhone)でテレビが見れない→動画再生機能はある→ネットも早い→じゃあYouTube見るか、という流があってからのテレビ離れな気がする。 つまりスマホでテレビが見れないからテレビを見なくなったということで、テレビ番組ではなくテレビ、ソフトでは無くハード的な問題なんじゃない

          ワンセグが先かテレビ離れが先か

          推し活≒擬似祖父母体験

          アイドルなどいわゆるファンというのは大体がガチ恋でその他は擬似子育て体験だと思っていたけど、最近は擬似祖父母体験なのではと思えてきた。もはや孫と言ってしまうファンもいるように、距離感的にも遠方に住む祖父母の方が近い気がしてきたからである。 まず直接育成に携わっていないという点。プロデューサーや作曲家やボイトレ・ダンスの先生は文字通り先生、マネージャー等スタッフを親と考えた時、ファンは発表会だけ見にいくということでまさに祖父母。ブログで近況を断片的に知ることができるというまさ

          推し活≒擬似祖父母体験

          全てのエンタメはストーリーを消費するということだった

          よく映画みたいな人生というけれど、実際は映画が人生みたいになっている。というか、そうでないと人間にとって理解できないのでそうなっているのだと思う。 やっぱり人間は人間しか愛せなくて、人間以外のものには人格(性格)を与えて擬人化することで愛するなど工夫をしている。動物やぬいぐるみに話しかける、などはそう言った類のものである。人間なので、相手も擬似的に人間的なものに置き換えなければ応対できない。 そんなこんなで人間が毎日やっていることといえば、人生だと思う。朝起きて会社や学校

          全てのエンタメはストーリーを消費するということだった

          いまハロプロが面白いという話

          アイドルといえど、一旦タレントとして売れるとどんなに歌がうまくても「歌がうまいタレント」として認識され、「歌がうまい歌手」とは受け取ってもらえない。歌がうまいことは加点ではあるけど、すでにタレントとして成立している場合では「歌がうまいこと」が必要な条件ではないことの方が多い。 これはまさに孫状態。「孫が可愛い」を前提としている場合、孫が歌おうが踊ろうがその「可愛さ」に違いはない。つまり既に「可愛い」のでほかのことは正直どうだって良いしなんだって良いのだ。なんだって「可愛い」

          いまハロプロが面白いという話

          モーニング娘。'22「Chu Chu Chu 僕らの未来」

          耳馴染みのいい、どこかで聴いたことあるものを散りばめることが聴きやすさなので、J-POPには基本的にそう言うものが多い。〇〇年代風、モータウン風、メタル風などなど…売れてるかどうかは別として、商品としてリリースされる音楽作品は基本的にそうした基準点みたいなものをクリアしているものが大半で、ジャンルごとに区切られた中では似たように聞こえる(あえてそうして聴きやすくしている)ように出来ていると思う。 「Chu Chu Chu 僕らの未来」は不穏な笛の音から始まるというなんとも不

          モーニング娘。'22「Chu Chu Chu 僕らの未来」