【朝活③】「ゆっくり、いそげ」を読みにクルミドコーヒーまでドライブした話
三島旅行で出会った方に招待されたイベントの告知で知った、
「ゆっくり、いそげ」という本。
とても心地よい本だった。
社会も人も心地よい生き方を探る内容に随所で涙がこぼれそうになった。素敵。
行動派の私は、クルミドコーヒーに行ってみたくなった。
そこで昨日、車を飛ばしてドライブがてらはるばる西国分寺まで行ってきました。
最後数ページを、クルミドコーヒーで読みたくなったのです。
「ゆっくり、いそげ」を読んでいたので、
経営者である影山さんの想いがカフェの隅々まで行き届いていることがわかって感激しました。しかも内装もとても可愛い。まるでジブリの世界。女性客が多かったです。
とても居心地の良いカフェは、経営者・店主・スタッフ…携わるすべての人の思いからつくられるのだなということを学びました。
そして改めて西国分寺をふらっとしてみたのですが。
(実は旦那の実家があり何度か訪れてはいたものの、しっかり巡ったことがなかったので)
この町も素敵ですね。
つい最近までは、都心以外に住む選択肢はなかったのですが。
ここ最近で一気に視野が広がっています。都心以外も悪くないなと。
選択肢を狭め自分を苦しめているのは、自分自身なんだと最近気がつきました。
自分で勝手に決めた「こうしなきゃいけない」が強すぎて、苦しんでいる。
私の家族や親戚は、誰もそこまで望んでいないのに。
心地良い自分の幸せとは?私たちの幸せとは?社会の幸せとは?
について考える、良いきっかけでした。
最後に、本を読んでいて気になったことを備忘録としてまとめておきます。
私自身、人と関わることが煩わしいと思ってしまっている。でも孤独でもある。本で提唱している支援し合う関係性は、大人の孤独を脱するきっかけになるという捉え方をした。ただ、支援し合う関係性を理解している人同士であれば自由で強制する関係性が築き上げられるが、私の周りはそうではなく無意識の同調圧力を感じる。そんな場にいる私はどうアクションすべきなのか?周囲を変えることは難しいから、身を置く場所を変えるのが良いのか?
お金を稼ぐことと、支援し合う関係性の実現を推進することのバランスはどうとっているのか?概念はわかるが、具体的にイメージが湧かない。自分の中での最適な年収を定める(幸せでいるために必要十分な年収)を定めるなどか?お金への執着が捨てきれず怖くて踏み出せない私にわかりやすい指南書が欲しい。こんな即時性を求める考えも、よくないのか?
丁寧な良い仕事が評価されにくい時代。10年働いている広告業界に生きにくさと行き詰まりを感じている。まさに、人を手段化した業界だと感じている。コロナがそれに拍車をかけている(周囲とのコミュニケーションを積極的に取ろうとしない私にも非はあるが…そもそも声すらかけてくれない周囲にも問題はあると思っている)。場を変えるべきか?自分が居心地良く支援し合う関係性を築ける場はどう見つけていくのか?ヒントはあるか?
今週末、影山さんのトークイベントに参加すべく、これまたはるばる三島まで行くつもりです。もし機会があれば、質問してみたいと思います。