7年続けて初めてジャパンファイナル。 日本一の切符を手に入れた僕は少し慢心していた。 なぜならばその時点で約千分の30だからだ。 結果は賞はとれずだったが納得は出来た。 その場には錚々たるメンバーが揃い。 美容師としての磨きと時間をかけて日本一を獲りにいく。 熱気と静寂の場であった。 この中のトップになる意志の強さとオーラを僕は兼ね備えているのか? エリアファイナル突破し奢っていた自分に悔やんだ。 日本一の壁は厚く高かった。 自分の中での価値観と基準値の変換を 一段一段、
僕にとったらクリエイションとは 旅 のようなこと。 また自分と今との対峙するということでもある。 なぜ?と意味を求められる前に 意味を持たすことの必要性と意味を持たない事の重要性があると感じている。 楽しく嬉しいばかりではないのは勿論、戦いに近い感覚。 創造し創造し初めて それぞれの答え的な部分に触れられると思っている。 また 巡り巡って お客様やスタッフ、サロンも豊かになる一部であると信じている。
知る、知りたい より深い部分で 本質を見極める 理由を知る 何故それに触れるのか。 もっともっと詳細に細分化する。 なんとなくとか抽象的ではなく、惹かれた人や物事を知る事で 自分を知り自分を作る それは結果どうなりたいかというビジョン次第でかわる。 自分が求める物で成長が大きく変わる 当たり前の事なんだけど、、
1日の終わりに 無理やりでも理由を作る 今日と明日の線引き 置いた物を取りに戻らぬよう。
楽しむ事が全てで遊びに明け暮れた 10代 僕は何者なんだと、生きる というより生かされている事に気づき 全てを投げ出した 20代前半 心が負けて(といまは言っておく)出戻り 20代後半 認められる、存在価値を見出そうとす 30代前半 そして 2023 6/2 (一粒万倍日) 台風と共に無事オープン。 オープン前に92歳の爺ちゃんが亡くなった。爺ちゃん婆ちゃん子だった僕は何か使命な物を強く感じた。血の継承というかなんだろう、、タイミングは偶然もないし大体が必然なんだろうと思
吸って吐く 呼吸は 「意識的」「強制的」がいい。
世の中100か0かでわかるなら たいして面白くない。 行知し 尚もわからず また行知する まだ朝日は登り始めない いつにらなるかわからないまま、100円玉の入っていない望遠鏡で夜を見る。 千年前から歳を取らない月を見ては 初めて君に会ったかのように美しいと惚れ惚れする時がある 私もそうでありたいと。
天の気分がいい時は 任せればいい こんな当たり前のことで 特別なにをするわけでもない あー気持ちいい日だなって単純に感じる こんなに何も無く満たされる日 自分を忘れて誰になるわけでもなく シゼンと同化する。
甘酸っぱいって表現はどうも居心地が悪くて 降るこが止まず、遠くから落ちてきた粒は、僕を伝って地に沁みた。 あの時の事実は鮮明な色で彩られていて 光り輝くよりは、月明かりのように ただ僕は、 立ち尽くしている 気づいた時にはもう去っていった後で、しっかりと晴れていたんだとおもう。 残ったのは濡れた服についた寂しさと落花生 。 大切なことは忘れないと言った月も少しずつ欠けてきて 光の中に立ってた僕は大人になって 1匹のウサギは高く飛んだ。 乾かないまま歩き出した僕
寒さのせいか背筋が丸まると同時に自分の内側に目が向くようになる。 いつもと変わらずスケジュール帳を一枚一枚めくり、生きた時間と反比例していて それはまるで2軒目の中盤くらいの記憶の内容の薄さのような、単にほんのり気持よくフワフワしている様な 芽が出る頃にはもう既に、今、身支度を始めていかないといけない。 表面上では見えていない水面下では常に流動的でないといけない。酔っていても一歩、1秒を踏み締める。 天と地の狭間 カルチャーとトレンドの狭間 実態と幻影の狭間 狭間に挟
どこか薄れていくことを色濃くするような また 忘れ物物がないか確認しにいくように。 戻る場所の一つである東京。 これは過去への囚われではなく、未来への糧。 人と人が出会うように、場所や空気と出会う。 変わり行く景色を覗き、変わらない景情を望む。 そして沁みる。
生で体感 生の空気 生だから受ける、感じられる 衝撃 は時間や、お金は必要となるけれどそれに対しての対価は経験価値として自分唯一の武器となる。 損得勘定では見えない先の未来に 全身全霊でぶち当たり、意味や認識を超えた世界に入る。
綺麗な粋な言葉を使うと心から出るものが濁ってしまいそうなので、気の赴くままに書こうと思う。 髪を切り、髪を染め、曲げる。そんなことをして良い物をいい暮らしをいい旅をするのが目標であった。簡単にいうとマウントというやつだ。他人と比べ優れていたい、存在価値や存在意義を見つける為に生きている。 ある程度取り繕いそれなりにそれっぽく振るう、そこにはある程度全力なんだけど、目を見開いて目を逸らさず全力と言えのだろうか。 r4.9/29にをもってそれは言えないと感じている。 バカみ
我々は日常的にクリエイティブしている!! というのよりは 流動的でどこか意識が薄い 「当事者なのに、されている」感覚に近いと感じている。 どこかの一部分で熱を放出するように 絞り切る最後の一滴を出すように。 クリエイティブの中に意識を持ってクリエイトする時を作る。 今まで生きた証をぶら下げ、これから生きる新しい場にそれを投じる。 こればかりは 勇気と覚悟 が必要。 結果を求めてはクリエイトやりずらい。 クリエイトするから結果がでる。 与えられることは 「受け取る とい
その物事にはちゃんと君が居て 退屈な物事でも私にとっては大切なモノゴトと成つて 君の後ろに広がる世界や君の創造する世界を感じだ時 君と居たくなる。 それはまるで返り血を浴びて、君の血が私を染める いずれ君の血は私の血となることを知っているから 対岸に居る君との距離は それには知る時間が必要で どうにか行き着くしかない 金 以上の 価値 を見出す瞬間 もちろん一目惚れもある
君がその美しい花弁であるならば 散り落ちた君はもう戻らない。 散ることは自然の断り 咲き誇り 散りゆく 足を出せば進む様に それは美しい