仕事に目標のない日常が精神衛生上いかに良くないかを実感した1か月
会社に退職の意向を示してから2か月が経とうとしている。
会社辞めると表明するに至った経緯は上記のnoteにまとめているので、興味のある方がいたらどうぞ(進捗はその記事の最下部の方にまとめている)。
2020年1月を振り返る。
私の状況はこうだ。
1、希望の部署に異動して希望の業務に携われれば、会社に残るという選択をする
2、部署異動なければ退職
どちらかの選択をするわけだが、そのキーとなる部署異動は、社内の人事異動が一斉に内示される時(例年3月1日前後)にならないとわからないのだ。
つまり、あと1か月以上あるのだ。正確に言うと年初の出勤日に部署異動の可能性が復活したので既に約1か月経過、もう1か月待てば異動の内示が出て晴れて結果が明確になるというわけだ。
「2か月か…長いけど給料は貰えるし、とりあえず待っておくか…」と言い聞かせ、若干もやっと始まった2020年だった…が、1か月待ってみて気づいた。
この状況、精神衛生上よくない。かなり良くない。
いや、適当に仕事してても給料減らないし、楽なものだと言えばそうなんだけど…
私が退職の意向を示すほどに魅力のなくなってしまった業務を、1日8時間、前後の通勤諸々含めると1日12時間(1日の半分、起きてる時間の2/3以上)、その魅力のない活動に、その後の展望も見いだせない状況で向き合っているのだ。これで不健康にならず過ごせる人もいるのかもしれないが私はそういう人とは仲良くできないと思う。
別部署に異動して残る可能性もあるので積極的に転職活動する気力もない。
会社と私の方向性が乖離していってるにも関わらず行動を縛られ過ぎている状況を打破しようと思って退職を表明したのに、今も継続して、相変わらず会社の掌で転がされている…あれ??
でも最近思う。
自分がこんなに資本主義や現代貨幣理論や文化を学んで面白さを知ったところで何の役に立つのか、と。
去年の春頃は終身雇用・年功序列オワコン的な動画も結構見ていた(盲目的に見ていたわけではないが、こういう動きはじわじわくるのだろうなという感覚はあった)が、今、いろんな本を読んだりしていく中で、日本的雇用習慣も良い面もありそうだとは思った。企業の負担は大きいが、政府がどんどん役割を縮小して店じまいしている状況では、私たち凡人は会社員になった方がある意味安定ではある。個人的には政府の役割もっと大きくしていいと思っているが。
日本に限って言えば、足りないのは「他国がどうであろうが、日本はこういう国である」という自信だと思った。完全に福田恆存の受け売りみたいな感じになってるけど。芯が無いよなーと、日本。
これは国だけでなく個人にも言えると思う。
話が飛躍してしまったので戻す。私の仕事である。未だに会社に運命を握られているような状況。あんまりよくない。
目指すは仕事無心、勉強熱心なのだろうか。これはこれでどうなのって思わなくもないがw