十数年前の薬学部生活の一サンプルと、課せられた一つの縛り
お前も浪人にしてやろうか!
『蝋人形の館』のメロディを『学校へ行こう! B-RAP HIGH SCHOOL』にて覚えたあややです。
ご訪問ありがとうございます!
今回のお話は『私が通った薬学部とはどんなところだったのか』について。
大学へ抱いていた幻想
なぜ唐突に薬学部の話をするのか。
それは「大学生活って普通は一回しか送らないし、その一校分の体験しかできないよなぁ」と思ったからです。
その一校分の体験をシェアしていこうかと。
ちなみに古すぎて進路選択の参考にはならないはずです。私が大学生だったのは2006年~2012年(六年制)。今現在の様相とは異なっているでしょう。
参考にはならなくても『あなたの知らない世界』としてでも読んでいただければなと。
大学名はここには書きませんが、私の自己紹介記事を読むだけで容易に推理可能です。新潟県に薬学部は当時も今も一つしかないのですから。
実際に大学生になる前から、私の中には漠然と『大学』のイメージがありました。
時間の使い方を思うままに選べる。好きな授業を選べて、その上で自由時間が多いので色々な遊びもバイトもできちゃう――。
そんな明るく自由なキャンパスライフ。
想像上の大学にふんわりとした憧れを抱いていました。
そして迎えた18歳。
過去の記事でも少し触れていますが、私は将来の安定した生活のために薬学部を志望し、運良く滑り込むことができました。
そこで過ごした結果。
「なんか……違くない?」
と思ったのです。
何が違うかって?
そりゃ、脳内でふわふわ育んできたキャンパスライフと……ですよ。
私が入った薬学部の実態
薬学部とは薬剤師養成所なので、履修すべき科目が法の下にがっちり定まっているのですよ。
それが六年間みっちみちに詰まっているのですから『自由な学び』はそんなにありません。
少なくとも、私が居た大学、私が通っていた年度においては英語かドイツ語かの選択と……あとは取っても取らなくてもいい・どちらかだけ取ればいいというような授業が数個。
母校のサイトにて現行の時間割を見てみたのですが、私が通っていた時よりは確実に授業履修の自由度が増えていますね。
私がいた頃の選択自由度を5%とすると、それが15%くらいには増えている。
当時は確実になかったはずの哲学とか郷土史の授業が選べるようになっているし、語学系も英語・ドイツ語だけでなく中国語・韓国語・ロシア語も選択肢にある。いいなぁ。
そんな、履修コースが95%がっちり決まっていた、私が通っていた薬学部ではどんな生活をしていたのか。
基本は『午前座学、午後実習』です。そうでない曜日もあったかも。
一時限90分。午前は二時限分、曜日ごとに定められたそれぞれの講義を聴き、午後は三時限分の枠をぶちぬきで使用して実習。
薬品をいじったり、器具をいじったり、動物さんの体の一部をいじったり。
一応、五時限目の終了時間は午後六時ということになっていますが、実習の場合はきっちり六時に終了! お疲れ様でした! とはなりません。
その日のメニューが全て終われば終わり。何時に終わるかは事前に予測できませんでした。
なので、私は平日のアルバイトができなかった。
何時に実習から解放されるか分からないから、その後の予定を入れられないんですよね。
パワフルな人は夜間のアルバイト(さすがに、夜9時とか10時とかまで実習で残ったことはなかった……はず)を入れることもできたのかもしれませんが……。
私には二回行動する気概はなかった。
一時期、土日の夜間にアルバイトをしていた時期があるのですが……自分の接客力やマルチタスク力のなさを思い知らされ、長続きしませんでした。
ここは平日とかは関係ない話ですけどね。
ちなみにクラス分けも存在しました。約100人×2の2クラス制。
クラスごとに召集される講義室が違い、実習班も同じクラスの中で組み分けられました。
基本的に四年まではこういう生活です。
そして四年生の時に所属する研究室を決めます。
私が何の研究室を選んだのかは黙秘しますが……薬化学、衛生科学、薬効薬理学とか。化学、医学に関する研究室が十数個。
研究室選びで卒業研究の方向性も決まります。
成績上位者には研究室選びの優先権がありました。
研究室には定員があるので、運が悪いと全く希望していない研究室に配属される可能性もありましたね……。
研究室によって厳しさにかなり差がありました。
私のいた研究室は、それぞれ用がある時に来て、自分の作業をし、用が済んだら去っていく……という感じで、みんなゆるく研究室に溜まってた感じでした。
ですが『拘束時間ががっちり決まっている』『遅刻すると罰金』という研究室もあったと聞きましたね。
六年制なのですが、卒業論文作成は二回に分けて行いました。
四年次に1回。これは文献まとめを中心としたものになったと記憶しています。
そして、六年次の早期に提出する、実験や観察を伴った、いわば本番の卒業論文。
四年次までは授業詰め込みと言いましたが、五年次には薬学部ならではのイベントがあります。
薬局と病院での実習ですね。
それぞれ2ヶ月半。地元民、あるいは近隣県(厳密には実習先調整エリアが同じ地域)出身者は基本自宅からそう遠くない施設が振り分けられます。
遠方の出身者は大学付近の施設に振り分けられました。
その5ヶ月以外はひたすら卒業研究です。
そうそう、実習に行くためには筆記試験と実技試験をクリアする必要もあります。
そして6年次、卒論を仕上げたら後はひたすら国家試験に向けた勉強。一応、ほんの少し講義もあったと思います。
卒業するためには卒業試験に合格しなければなりません。
ここで国家試験に受かるための学力が足りてなさそうな人をふるいにかけ、学校としての国試合格実績を底上げするわけです。
これは各教科担当の先生が問題を作るので、国家試験と違ってその先生の『癖』がうかがえる仕上がりとなっています。
私は結構難しく感じ、危機感を覚えました。
落ちたら半年後に再試験。もちろんその年の国家試験は受けられないので、国試予備校に『進学』も可能だったそうです。
私がいた大学はほぼ単科大学のようなものでした。
だからなのか……サークルはあったのですが、スポーツ系などオーソドックスなものがほとんどでしたね。テニスとかバスケとか。
地域の総合大学と合同で維持されているサークルも少数ありました。
オタサーもなかった。オタク・創作系のサークルは私が卒業してまもなく結成されていたのを確認したのですが……私も入りたかった。残念でした。
私はマイナーで全く体育会系ではない、そして活動頻度の低いサークルに入りました。ほぼ飲みサーと化していました(私の代は)。
大きな総合大学などに実在する尖ったサークルの噂を聞くと羨ましかったですねぇ。
薬学部なら『Fラン』でもいい!?
ところで。
母校に対して大変失礼ですが、この大学は正直入学ハードルの低い薬学部だったと思います。
しかし、私個人としては『資格取得だけを目標にするなら、高ランクの薬学部に無理に入らなくても良い』と思うんですよね。
卒業して国家試験に受かればそれが勝利なのですから。
現に私は国立の薬学部も受験しましたが清々しく不合格となりました。
主に数学の練度とセンスが絶望的に足りてなかったんですよね。
そんな私でも母校のおかげで薬剤師になれちゃったのですから。
とはいえ、我が薬学部、入るのは簡単な部類でしたが出る分にはそうじゃなかったようです。
実際、卒業までには同級生が半分近くにまで減っていたはずです。
学校を去るまではいかなくても、どこかの段階で留年したり……ね。
Fラン(という区分が適用できるかは分かりませんが)薬学部とはいえ、先生――教授には素晴らしい実績をお持ちの方々もいらっしゃいました。
しかし……ごく一部の先生は、授業の評判が、その……という方もおられました。
先生のオリジナル教科書も……その……という場合も、ごく一部。
干支一周よりもっと前の話ですがね。
他の薬学部でどういう教育が行われていたのか分かりません。
薬学部である限り、大枠は母校と同じカリキュラムに沿っていたのだとは思います。
難関校、名門校はその上で教育の濃度や難易度が母校より高かったのかもしれませんね。
もはや知る術はありませんが。
サークルも、総合大学の中の薬学部ならばもっとニッチな選択肢もあるのでしょうかね?
我が母校、というか合格のための成績水準が低い部類の薬学部。厳密にはそういう私立大学。
薬剤師を目指す万人にお勧めできるとは口が裂けても言えません。
その最大の理由は……学費です!!
私の在籍時の学費は一年あたり約二百万だったようです。それを六年!
私がそんな大学に入れたのは、ぶっちゃけ私が一人っ子で、親が貯めてくれた教育資金を一挙に吸い取れる立場であったことが大きいと考えています。
私は一応、県外の大学も受験し、ある私立薬学部にも合格していました。
しかし、学費を出した上に一人暮らしに向けた仕送りもするとなると……と親は難色を示しました。
両親が元気に現役で共働き、債務もなし。お金持ちではないけれど安定した部類の家庭ではあったと実感していますが、私の学費は親の資産に大ダメージを与えました。
私は何とかストレートで卒業できましたが、ここで留年を一度でもしていたら……ねぇ。
受けられる教育の質も上位校と差があるのかもしれませんが、前述の通り、そこは私には判断できません。
人生の道が定まっちゃってもいいの?
そしてここからは精神的なデメリットの話。
Fラン私立に限らず、薬学部全体、多分それ以外の『職業訓練学部』にも言えるかもな、と思います。
それは『別の道を選びにくくなる』ということ。
多大なコストを掛けて、長い時間を費やして勉強する。そしてつよつよ資格を入手する。
そうしたら……その資格を利用しない人生を選びにくくなる。
資格試験で問われるのは知識です。
現場で、その仕事を行う資質は一切考慮されません。
仕事って知識だけあればできるものではないですよね。
その分野の知識を前提に持ちつつも、判断力とか、情報処理力とか、コミュニケーション力とか……そういう人間力の基礎、社会性のスキルがないと良い仕事はできないわけです。
別の分野を例に挙げると、介護や看護。この業界は人手不足だと言われますが……これは誰にでもできる仕事ではないと思います。メンタルの強さ、器用さ、対人能力、業務内容を苦に思わないこと。お給金の問題を横に置いても、こういうハードルがあるように思えてなりません。
だからこそ、それを担ってくださっている方が大きく報われる世の中になってほしいものですが……。
薬剤師という資格をもってして働けるフィールドはいくつもありますが、それぞれ何らかの『国家試験では問われない能力』が求められます。
それで体や心を壊した……などまで行ってしまったら、全く別の道でやり直そうと思う確率も上がるでしょうが。
壊滅的にできなくはないけれど、向いていない。他にもっと適性がある業界があるような気がする。
それくらいの気持ちでは、薬剤師ではない生き方に方向転換するのは難しいのではないかな、と感じます。
既に莫大なコストを支払っているのですから。
ここは個人の性格や価値観次第ではその限りではないかもしれませんが……。
薬剤師免許を使って仕事すればある程度の収入は期待できますしね。安定は大きな魅力です。
なので『あんまり実働に向いていないけど薬剤師になっちゃった』私は、仕事をできるだけ堅実にやらせていただきつつも、趣味の分野で自己実現を図っているわけですね。
あっさりと事実を陳列しただけの記事にはなってしまいましたが、こういう大学生活を送った奴もいたということで。
最後に念押ししますが、古すぎて進路選択には役に立たない情報ですよ。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
おまけ:大学と聞いて思い浮かんだ好きな漫画
本筋とあまり繋がらないおまけ。
『大学生活』で頭に浮かんだ、連載中の漫画作品をピックアップ。
『瑠璃の宝石』渋谷圭一郎先生
主人公は鉱物に興味を持った高校生・ルリちゃんですが、彼女を鉱物の深淵に導くナギさんは理学部の大学院生です。
彼女らのように、本当に強く惹かれ、熱意を傾けられる対象の探索に没頭する人生は憧れます……。
鉱物のなるほど! と、それに接する喜びや達成感が詰まった作品です。
『出禁のモグラ』江口夏実先生
本題はオカルト事件の解決ですが、主要人物の文学部生、真木くん・八重子ちゃんが学んでいる内容は私が本当に興味がある分野に近いです。
打算なく、趣味全振りで進学するなら文学部に行きたかった。
人間に、人生について回る苦悩や恨み、情念、でも同時に確かに存在する善意を味わえる作品です。
『絶対BLになる世界VS絶対BLになりたくない男』紺吉先生
キャンパスライフが主題かというとちょっと違うかもしれませんが、主人公くんたちが通っている大学の描写は『高校以前、私が漠然と大学に抱いていたイメージ』に通じるものがあります。
色々な授業に出て、アルバイトも自由にできて、時間の融通が利いて。
タイトル通りの、発想の勝利! なキレキレシチュエーションがどんどん出てくるお話。
今度こそお開きです。
研究室からは毎夜毎晩、悲鳴にも似た叫び声が聞こえるとか聞こえないとか……。