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沈黙のパレード、あるいは容疑者Xの献身?

昨日も触れたように「沈黙のパレード」を観た。ガリレオ・シリーズは数作を残しておおよその作品を観ているし、原作も読んでいる。以下に続く文章は、映画の内容について批判する意志があるわけではないことと、若干のネタバレがあることを、先に断っておく。


言わずと知れた東野圭吾氏原作の「沈黙のパレード」。昨年9月上旬に文庫版が発売された際は、即書店に走った。何なら、単行本が発売された時から同時に文庫化してほしいと思っていた。これは余談だが、東野圭吾氏の作品を読むことを避けていた時期が長かった。好みでないからではない。その逆だ。一度でも手を出してしまえば、絶対に抜け出せなくなると(直観的に)分かっていた。それを百も承知していたのに、最初に読んだのが、あの有名な『容疑者Xの献身』。当時の知人から借りて読んだのだが、返した後、同じ本を買いに行った(映画化されていたことを知ったのは、その後である)。氏の作品の中でも、群を抜いて知名度と人気がある『容疑者Xの献身』(所有しているもので、文庫化から5年で26刷り)。ハマらないわけがない。案の定、ここから東野圭吾作品にどっぷり浸かることになった。

元来、本好きということもあり、映像化される作品はその前に必ず原作を読む。映像化が決まると、必ず表紙がそれ仕様になって店頭に並ぶ(今の『沈黙のパレード』はガリレオ仕様で、福山雅治さん・柴咲コウさん・北村一輝さんが全面化している)。そうなってから購入するのはミーハーだと思われそうで嫌なので、オリジナル版しか買わない私である。


そして、昨日観た映画版。2時間20分という上映時間に収めるため、原作から大幅な省略があることは覚悟していた。結論的に言えば、それをはるかに上回るカットと描き方だった。
まず、佐織の失踪(および殺害されていた事実)に対する並木家の反応からして、原作と映画は違っていた。原作は達観と諦念により、悲しみながらも淡々と受け入れていたのに対し、映画ではとても感情的だった。

蓮沼の殺害方法をめぐる、ヘリウムガスと液体窒素のくだりの割愛は仕方ないと思う。しかし話のキモの一つでもあろう、佐織失踪より以前に起きていた事件については、ほとんど言及されていない。
それは、そもそも、今回草薙さん(北村一輝さん)が蓮沼の逮捕と立件に刑事としての執念を燃やしたきっかけの事件であり、同時に深い悔恨と傷を彼に与えている。それをあまりにもカットしすぎて(と個人的には感じた)、並木家に――佐織に――対する感情移入が強く描かれている
(憔悴しきって無精ヒゲを生やす北村一輝さんはとても素敵だが、原作の草薙さんはそんな人ではない)。
そのため、今回の事件関係者の一人が、蓮沼とどのような深い(因縁)関係にあるのかが分かりづらくなっていると感じた。


映画と原作の最大の違い(それが最も大きな印象の違いを決定づける)は、草薙さんと湯川先生の関係の描き方だろう。原作では、これまでと変わらない大学の同期生であり、信頼関係も変わらない戦友として描かれている。
それに対して、映画では先にも触れたように、草薙さんが抱く並木家に対する感情移入と、蓮沼への恨みが強すぎて湯川先生と、対立関係さえ生じかけている。

並木家を取り巻く人々は沈黙することで並木家の人々を守り、佐織に対して献身する"容疑者X”になるが、映画では草薙さんまでもがそうなっているように見えた。原作(文庫版)の帯文に書かれている、容疑者Xはひとりじゃない。というのはあくまで並木家を取り巻く人々を指すのであり、草薙さんは違うはずである。
憔悴した草薙さんと湯川先生が二人になるシーンを観ていると、石神を愛するがゆえに苦悩する湯川先生と、今回の草薙さんが重なり、まるで「容疑者Xの献身」だと思った。

本作はある意味「容疑者Xの献身」とつながりもあるのだから、そう解釈しても良いのかもしれない。だが、私は「容疑者Xの献身」を花岡靖子への石神の献身(深い愛)ではなく、湯川先生の石神に対する深い愛の物語として読む。今回の劇場版「沈黙のパレード」は、原作の切り取り方によって湯川先生による草薙さんの救済物語、あるいは、この二人による「容疑者Xの献身」(湯川先生と草薙さんの愛の話)になっていると強く感じた。すなわち、原作と主題が変わってしまった印象だったのである。


なぜ、このような印象の違いを抱くのか。その大きな理由は映像化の仕方にあると思う。端的に言ってしまえば、原作の割愛が多すぎるのである。
東野圭吾氏の作品は、ガリレオ・シリーズに限らず、どれも綿密に物語が構成されている。張ってある伏線は最後には見事に回収されているし、軸がきちんと通っている。無駄がないだけでなく、綻びもない。
だからこそ、映像化する際は原作に忠実になれば良いと思う。原作にない妙な(と言っては言葉が悪いが)オリジナリティは不要だ。原作をそのまま映像にすれば十分である。
それが原作者に対する敬意ではないだろうか。

今作の欠点を唯一挙げるとすれば、映画の脚本(脚色の仕方)だろう。エンドロールで流れるKOH⁺の「ヒトツボシ」は、秀逸である。作詞作曲が福山雅治さんなのだから当然と言えば当然だが、やはり書下ろしの力は凄い。


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