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捨てられないもの

どうしても捨てられないものがある。

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(写真が苦手なので、下手なのは百も承知である。)

高校時代に使用していた、日本史Bの用語集である。卒業後の保存状態で、写真のようになったのではない。現役で2年、使用している間にこうなったのである。

表紙を一枚めくると、こんな感じ。

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背割れして、とれかかっている。というか、写真に収めるために何とかこうしただけで、実際は完全に剥離している状態だ。実際に使っていた頃からこんな感じになったのだが、図書館司書の方に繰り返し補強して頂いて、だましだまし使用していた。

もうひとつ。

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これは、高校日本史の教科書としては、おそらく最も定番だろうと思う山川出版社のものだ。元の色はサーモンピンクに近いはずだった(現在の高校生が使用しているものは、私の時代よりもう少し濃いサーモンピンクのようだが)。

この写真では分かりにくいが、ブッカーという透明なフィルムで補強している(ちょうど、編者名の笹山晴生氏あたりから下をすべて覆う形になっている)。表紙より側面の方がブッカーの補強が分かりやすいと思ったのだが、もはや色落ちして、サーモンピンクだったことが分かる箇所は裏表紙の上部3㎝ほどしか残っていない。

教科書がこのような状態になったのは、日本史の授業が始まって一年後だった。自分の名誉にかけて一言弁明しておくと、決して手荒に扱ったのではない。破損個所も多いが、破ったりもしていない。ただの使い過ぎである。

一年で、教えて頂いていた先生の教科書と、あまり大差がないものになった。あまりにもボロボロなので、3年に上がる際に教科書だけは買い直すかと訊かれた(あまり教科書を開いていない?新品同様のそれを持っている同級生が羨ましかった)。

ちょうど同じものを使っていた双子の妹が、3年では日本史を選択しないと言うので、綺麗な教科書をそのまま譲り受けた。二冊目は元の色が分かる程度の色落ちで済んでいるが、それでも背表紙は完全に剥げており、ページは手垢で黒ずんでいる(一冊目は、もっと酷い)。

用語集に話を戻すが、高校生(の親)が買わなければならなかったのは、教科書と資料集だけだ。学校によっては史料集も必要だったようで、これも3年で妹から有難く譲り受けて活用した。だが、いずれにしても用語集の購入は必須ではなかった。おそらく、それは今も同じだろう。

しかし、私は高校2年のわりと早い時期に買ってもらった。先生が教科書と併用しているのを目にして、直感的に必要だと思ったのだろう。実際に酷使し、大いに活用した。山川出版社の教科書には載っていない(マニアックな)用語や、私大の正誤問題にそのまま出題されるような用語の説明文が掲載されている。

私が実際に入学した大学の入試では、本当に用語集の説明文が正誤の組み合わせ問題で、そのまま使われている。したがって、とても簡単な入試問題に感じたのだが、それを私が言うのはご法度だった。全員が用語集を持っているわけでもなければ、偏愛的に日本史を勉強するのも私だけだったからである。

上述のように、先生方は必ず教科書と用語集を併用して授業をしていた。ゆえに、教科書・用語集・資料集と史料集がセットになっていたのだが、たまに用語集を置き忘れて教室へいらっしゃる時もあった。ほかのクラスの授業ならば、取りに戻られることもあったのかもしれないが、私のクラスでは一度もなかった。

「○○(私の名字)、用語集見せて」

教壇から一番近い、最前列が私の固定席だったからである。取りに戻る意味がなかった。私も机の上が狭くなることを承知で、常に教科書と用語集を置いていた(その代わり、資料集はあまり開かない怠惰な生徒だった。広げる場所がなく、よく落下させていたので嫌になったのである)。


細心の注意を払って扱わなければ、さらに破損が進む状態になった今でも、教科書と用語集を捨てられない。「モノより思い出」というCMもあるが、私にとってそれらを捨てることは、思い出も捨てるというのと同じである。あの先生との思い出も捨てるなど、絶対にできない。今の私があるのは、先生の存在があってこそである。

きっと、最期の時も、教科書と用語集は手放さない。

なお、ヘッダーの写真は、実際に私が使っていた教科書とまったく同一のものを拝借した。もともとは、この色なのである。

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