「ゴールデン・ステップス」にみる轟悠さんの存在
”羽山紀代美ダンシング・リサイタル「ゴールデン・ステップス」"(2005)を拝見した。宝塚歌劇団の振付師である羽山紀代美氏の30周年を記念して、氏が振付をされたショーを再現する舞台だった。出演は、雪組・月組・星組に加え、専科より初風緑さん、そして轟悠さん。各組トップコンビは、朝海ひかるさん・舞風りらさん(雪)瀬奈じゅんさん・彩乃かなみさん(月)湖月わたるさん・白羽ゆりさん(ショーが行われた6月時点での星組トップ娘役は檀れいさんであり、白羽さんはおそらく、次期娘役トップ就任が決まっていたと思われる)。二番手はそれぞれ、貴城けいさん(雪)霧矢大夢さん(月)安蘭けいさん(星)がお務めになっていた時代。
はっきり言って、知っているショーは「バロック千一夜」のみ(1995年雪組上演)で、羽山紀代美氏のことも存じ上げない(轟さんを拝見するために観たのだから)。元タカラジェンヌで、ダンサーとして名高い方だということを、轟さんのお言葉で知った。往年のファンの方には垂涎もののリサイタルだろうが、私にはすべてが新鮮だった。三組それぞれから、ダンスあるいは歌に秀でた方が選抜されていた印象を受けた。雪組からは舞咲りんさん、月組からは憧花ゆりのさん、星組からは陽月華さんと立樹遥さんが出演されていたことを発見できて、嬉しかった(陽月さんのトップ娘役時代は知らず、立樹さんは雪組時代しかほとんど存じ上げないが…)。
ダンスに秀でたトップスターさんの中でも、やはり朝海ひかるさんの踊りが違うことは素人の私が観ても分かった。本当に重力がない(感じさせない)ダンスを踊られる。『パッサージュ』(2001年)の天使や『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』(2004年)のRosso、ご退団公演の『タランテラ!』で凄いことは知っていたが、本当に流れるようなダンスである。超絶技巧(高い技術を求められる)なダンスも、決して「頑張って踊っています」という感じがしない。「普通」に踊っていらっしゃるように見える。相手役の舞風りらさんも同じだ。「絶対、難しい」と思うダンスをニコニコしながら踊りこなされる。その上、歌唱力も高い。
星組の湖月わたるさんは、少々お歌が不得手な方だった。そのためなのか(因果関係があるのか)分からないが、多くの楽曲を安蘭さんがお歌いになっていた。雪組時代から高い歌唱力をお持ちだった安蘭さんの歌をたくさん拝聴できて、嬉しかった。女役もされていて、編タイツの美脚を久しぶりに目にすることもできた。同じように、雪組二番手だった貴城けいさんもその歌唱力を存分に発揮して下さっていた。
その安蘭さんと貴城さんの歌唱を聴いていると、まさしく「雪組歌唱」だった。杜けあきさんから一路真輝さん・高嶺ふぶきさん・轟さんまでは、いわゆる「雪組歌唱」と呼ばれる歌い方(こぶしに近いビブラートを効かせる)だった。その歌い方を継いでいらっしゃったのが安蘭さんと貴城さんだ。お二人の歌を聞いた時は、こんな私でも懐かしさを感じた。トップに就任された方々の中では、貴城さんが「最後の雪組歌唱」と言われる。組が変わっても、やはりお二人は雪組育ちなのだとあらためて感じる歌い方であった。
最初の方に書いた通り「ゴールデン・ステップス」を観た目的は、轟さんである。今か今かと登場を待ちわびていた(専科へ異動され、特別な立ち位置にいらっしゃったため、ご出演が限られることは予測していた)。一幕目にはお出にならず、二幕の後半に二度、出演された。最初はスパンコールの付いた赤い燕尾服をお召しになり、大階段で”G線上のアリア”(「バロック千一夜」より)を歌われた(彩乃かなみさんと白羽ゆりさんがセリ上がりで登場され、お二人と共演)。誰もが知るG線上のアリアをソロで歌い上げる難しさは、想像に難くない。
二度目のご登場は、大フィナーレとも言える大階段での黒燕尾の場面だった。出演三組の男役さん全員による黒燕尾の最後に、大階段の中央を降りて来られてからの総踊りである。最も宝塚らしい場面の一つだろう。一糸乱れぬ黒燕尾は壮観だ。だが、その中でも轟さんの黒燕尾は別格だと思う。
燕尾服の着こなしはもちろん、添える手や肘の角度、脚の上げ方…。どれをとっても、やはり他のジェンヌさんとは違うのである。長年、研究されてきたこともあるのだろう(2005年当時で、入団から満20年)。「男役の教科書」とも言われた方である。だが、轟さんの黒燕尾が別格だということはトップ時代の作品を観ても既に分かる。『パッサージュ』の最初に、装飾が一切ない黒燕尾で踊られる場面があるのだ。そこで、宝塚における黒燕尾とは何たるかを示して下さっている気がする。轟さんと比較しては他の方が気の毒だと感じるが、言うなれば「完璧」なのである。
トップ退任後も主演として作品に出演され、特別な催し(TCA/宝塚スペシャル等)では必ずセンターにお立ちになっていたことを、快く思わないファンの方も少なくはなかった。しかし、やはり轟さんがいらっしゃることでその場が締まるという側面はあった。決して多くの言葉でお話になる方ではないけれども、自らの存在(振る舞い)で、タカラジェンヌとは何かを示されていたと私は思う。
轟さんがいらっしゃらない現在の宝塚は、やはり一つの柱を失ったことになるような気がしてならない。轟悠さんはどなたにも代わりのできない、宝塚歌劇団の象徴だったのである。